第436話 境地に至る
来た道を引き返していった竜夫の気配がこの場から遠ざかったのを確認したところで、大成は呼吸を整え直し、その心持ちを改めた。
これでいい。あいつはまだ死ぬのには早すぎる。あいつは、こちらとは違って未来も、大切なものもあるのだから。
ヴィクトールを確実に殺し切るために、もうすでに残っていなかった命のストックを自身の未来で代用した。それは決して安いものではなかったが、後悔はない。なにもないこちらに、賭けられるものは自身の未来くらいのものだ。充分すぎるくらいに活用できたのだから、それでいいではないか――
そして、残された未来はさらに使うことになる。
この先にあるのは、この世界にかつていたというすべての竜たちの本質だ。それを完全に滅ぼすのであれば、自分のすべてを賭けたのだとしても安すぎるくらいだろう。
身体の内に火を点けられたかのような熱が放たれている。それはきっと、自身の生命を燃やして生まれたものだろう。とてつもない力とともに、確実に死へ近づいているという感触があった。
恐らく、残されている時間はそう多くない。これから、己が持つすべてを賭けて戦うのだ。余裕などあるはずもなかった。
刻々と生命が失われていく最中、大成は真っ直ぐと澱みない足取りで確かに進んでいく。その先にあるすべてを終わらせるために。
恐怖はなかった。訪れる死が避けようのないものとなっているというのに。いままで見てきた誰かの死は痛ましく、そして悲惨なものだった。いつか自分もそうなるのかもしれない。そう思っていたが、現実は違ったようだ。
『これから死ぬ気分ってのはどういうもんだ?』
進みながら、竜夫はブラドーへと問いかける。
『存外に悪くない。どいつもこいつも死ぬときってのは悲惨なもんだったというのにな。俺たちだからそう思うのか?』
『かもな。でもまあ、悲しそうに死ぬより笑って死ぬほうがいいだろ。知らねえけど』
他愛もない話をしつつ、『棺』の最奥へと進む。
こちらの行く手を阻む障壁を蹴り破って、竜たちの本質が眠る『棺』を目の当たりにした。
「こいつは……さすがだな」
前衛的なオブジェのようなものが目に入る。そこからはとてつもなく強い力が放たれていた。ただそこにあるだけで周囲にある現実を塗り替えてしまうほどの大きな力。その力は、いままで戦ってきた竜どもとは比較ならないほど巨大だ。それも当然だろう。あそこにあるのは、すべての竜という総体なのだから。
巨大なオブジェはまるで生きているかのように胎動していた。いや、もしかしたら本当に生きているのかもしれない。なにしろ、竜たちの本質が眠っている場所なのだ。疑似的に生きている存在であったとしても不思議ではないだろう。
その中枢がどこであるかはすぐに理解できた。周囲に満ちる力はあまりにも濃く、視認できたからだ。その流れる先を見れば、誰だってそれが理解できるだろう。
いま己がもてるすべての力を賭け、あれを破壊すればいい。それですべて終わりだ。竜どもは滅び、こちらは死ぬ。たいして価値のない二つの命を使って得られる対価としては充分すぎる。
大成は『棺』の中枢を見据え、深呼吸して直剣を構えた。あれを壊すには、文字通りすべての力を賭ける必要があるだろう。なにしろあれはすさまじい数の集合体なのだ。たった二つで対抗するにはあまりにも大きすぎる。
『やらせん』
どこからか声が響く。ふと見ると、真正面に誰かの姿があった。それは、誰のようでもあり、誰でもない存在。男でも女でも子供でも年寄りでもあるように見える。こちらと同じ人型をしているが、まったくの異質な存在であることは間違いなかった。あれは――
「我らに牙を向ける忌み子と異邦人よ。何故我らを殺す?」
その声は、誰のものでもないように聞こえた。無数にいるどこかにいる誰かを集め、それを平均化したもののようだ。
「別に。たいした理由なんてねえよ。俺たちにはお前らが邪魔なんだ。あと、勝手に好き放題やらされた仕返しだな」
「我らがどうなったところで、貴様が死ぬことに変わりないはずだが」
「死のうがなんだろうが、好き放題やられて殴り返さないまま死ぬのはごめんでな。喜べよ、お前らも俺たちが全員道連れにしてやるんだから。傑作だろ?」
大成は目の前に現れた人型にそう言い放つ。
「……そうか。その理由は我らには理解しがたいものであるが――貴様が我らを殺そうというのであれば、それをやらせるわけにはいかぬ」
淡々と、誰でもない声で言葉を紡ぎながら、どこからともなくなにかを引き抜いた。
その手に持つのは黄金の輝きを放つ武骨な槌。ただそこにあるだけで空間を歪めるような力が放たれていた。
「呪われた子と異邦人よ。このまま放っておけば死ぬのだとしても、貴様らに手を下さぬのはあまりにも危険すぎる。我らは、そのすべてを以て、貴様らを葬らせてもらおう。それが、我らの総意だ。我らの復活を阻むのであれば、それはなにをもってしても叩き潰さなければならぬ」
起伏のない淡々とした言葉であったが、一切の有無を言わせない気迫が感じられた。
『とんでもないのが来たな。ま、このまま終わるなんて思っちゃいなかったが。ところで、あれはなんだ?』
『あそこにいる竜たちの総体だ。竜たちの防衛本能をはじめとしたその意識たちの集まりが形となったものだろう。気を引き締めろよ。俺たちが歯向かおうとしているのは竜たちのすべてだ』
『そりゃあ――すべてを賭けるのには上等すぎる相手だな』
大成は直剣を構え直し、いま持てるすべての力を解き放っていく。
これは、文字通り最後の戦いだ。すべてを以て、奴らを打ち倒す以外ほかに道はない。
誇りある死を迎えるために戦いが、静かに始まりを告げた。
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