第435話 別の道へ

 赤い霧が晴れていく。その中から現れたのは、無残に身体の内部から引き裂かれたヴィクトールの姿であった。誰がどう見ても、ひと目で死んでいるとわかる状況。改めてそれを確認し、自分たちはやったのだということを確信する。


 赤い霧が晴れると同時に、大成も現れた。このまま消えるのではないかと思っていたが、こうやって現れてくれたことに少しだけ安堵したものの――彼もまたひと目で正常ではないと判断できる状況であった。それは、どこかで見た覚えがある。


「大丈夫――じゃなさそうだな」


「ああ。だいぶ無理をしたからな。当然だろ」


 軽い調子であったものの、そこからは苦しさが感じられた。


 ……それでもなお、進まなければならない。目的は、ヴィクトールを倒すことではなく、この先にある『棺』の破壊だ。それができなければ、なにを成し遂げたとしても勝利にはなり得ない。なにがあったとしても、それだけは成し遂げなければならないのだ。


 竜夫はもう一度動かなくなったヴィクトールの死体に目を向けたのち、歩き出そうとした。


「……待て」


 こちらの行く手を大成が阻む。


「あんたは戻れ。こっちは俺に任せてくれないか? たぶん、あれを破壊してから逃げるのは無理だ。それなら、どっちか一人でも生き残ったほうがいいだろうからな」


 その言葉は苦しそうでありながらも、とてつもない力強さがはっきりと感じられ、竜夫は言葉を返すことができなくなってしまう。


「まあ、言いたいことはわかる。一人でやるより二人でやったほうがいいってのは間違いない。だが、二人死ぬより一人だけが死ぬほうがいいってともまた事実だ。俺かあんた、どっちが死ぬべきかってのは言うまでもないだろう?」


 あんたには守らなきゃならん奴がいるんだろう? と大成は言葉を続ける。


 言い返さなければならないのに、言い返すことができなかった。彼の口から発せられる言葉には、そうならざるを得ないほど強さがあった。死ぬべき人間など、ここにいるはずもないなんてわかっているのに――


「この際だから言わせてもらうが、俺はもう長くない。奴を倒すのに支払った代償は大きくてな。もういましかねえんだ。だからこそ、大切ななにかが残ってるあんたには死んでほしくない。自分勝手だってのはわかっちゃいるが」


 それは、これから死のうとしている人間が言っているとは思えないほど、落ち着いたものであった。それは、死を目前にして悟りを開いたかのよう。


「それとも、俺には任せられないか? ここまで一緒にやってきたとはいえ、俺たちは短い付き合いだから、そう思うのも当然だろう。無理もないさ」


 否定しようとして、やはり言葉が出てくれなかった。その言葉も、いま自分が真っ先に否定しなければならないというのに。それが、とてつもなくもどかしかった。


「一人でやるのは厳しいってのは間違いないが――だからといってできないってわけでもない。こんな俺でも、残ったすべてを賭けりゃああんたの分くらいはなんとかできる。頼むよ。俺に、意味のある誇りある死を選ばせてくれないか」


 すべてを賭ける。その言葉を聞いて思い出したのは、小さな町を守るために塵一つ残すことなくこの世を去った男のことだ。


 彼は、その男と同じことをやろうとしている。いま持てるすべてを以て、なんとしても成し遂げなければならない役割を果たそうとしているのだ。


「あんたの……相棒はどうなんだ?」


 最も近い場所にいる彼の相棒はどうなのだろう? 大成と一心同体であるブラドーの意思を聞かずして、これをやらせるべきではないの思ったのだ。


『構わん。俺もこいつと同じく、この世に執着する理由などないからな。俺の命で竜どもを滅ぼせるのなら、報酬としては充分すぎる。忌み嫌われた俺の命と引き換えに奴らを全滅させられるなんて、とてつもなく愉快じゃないか』


 ブラドーの声からは、一切偽りは感じられなかった。このまま、竜どもと心中しても構わないと本気で思っている。


『さっさとしろ。ここで時間を食ったってしょうがない。俺たちがなんとかしてやる。文字通り、そのすべてを賭けてな。これは、俺たちからの最後の願いだ。それを聞き入れちゃあくれないか?』


 あらゆるものを冷笑していたブラドーから発せられた真摯な言葉。それは、彼らが本気であることを理解させるには充分すぎるものであった。


「……わかった」


 そう言って、竜夫は半歩後退する。


「ありがとう。あんたなら、そう言ってくれるって信じてたよ」


 大成はこちらに振り返ることなくそう言葉を返してきた。どのような表情をしているのか見えなかったが、その声から安らかなものが感じられた。


「……そっちは頼んだ」


 竜夫はそう言って後ろに振り替える。


「任せろ。そっちもしっかり逃げろよ。脱出に失敗なんて、格好つかねえからな」


「そうならないように最善を尽くすさ」


 一メートルほどの距離を隔て、背中合わせに言葉を交わす。わざわざ顔を見る必要もない。なにを語るべきか、合わせた背中だけで充分すぎた。


 竜夫は、そのまま歩き出す。いままで進んできた道を引き返していく。一歩一歩、はっきりと。


 数歩進んだところで、一度振り返る。大成の背中が目に入った。なにか言葉をかけるべきか、わずかに悩み、なにも言うことなくもう一度振り返った。


 これ以上、語るべき言葉などあるはずもない。それは野暮というものだ。


 竜夫はそのまま歩き出し、歩みを速めていき――


 いままで進んできた道を再び歩み始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る