第411話 幕間3 地上の混沌

 延々と終わらぬ戦いほど、悪夢と言えるものはない。『棺』から放たれた無数の影を相手にしながら、アダムスはそれを実感する。


 どこからどもなく湧いてくる影どもは、はっきり言って雑魚だ。ある程度の実力と経験のあるティガーであれば誰もがその結論に至るだろう。ティガーどころか、小銃を装備した一般人ですら倒すのに苦労しないはずだ。もし、あれに苦戦するティガーがいたとすれば、そいつはただティガーを自称しているだけの馬鹿者でしかない。


 とはいっても、それが膨大な数となれば話は別である。どれだけ強くとも、圧倒的な数の暴力の前には無力なのだ。取るに足らない雑魚であると油断して、数の暴力に呑まれ命を落とした同業者は珍しくない。


 緩慢な動作で迫ってくる影をアダムスは張り倒す。


 触れられるので実体はあるようだが、その重量はまるで感じられない。ただそこにあるだけのハリボテのような存在だ。


 そのくせ、腕力はやけに強い。数体に押し込まれるようなことになれば、人体など簡単に引き裂いてしまうだろう。自身を守ることなく突っ込んでくる、まさしく使い捨てるために存在する兵隊。取るに足らない雑魚でしかなかったとしても、自分が傷つくことを一切厭うことなく突っ込んでくる敵というのは、ただそれだけでかなりの脅威である。


 周囲を見る。


 この影どもの進軍を阻むために、他のティガーたちも奮闘していたが、かなり厳しいように思えた。なにしろ、この戦いが始まってからそれなりの時間が経過している。当然、戦うこちらの体力は有限だ。延々と尽きることなく現れる影どもと戦うことは不可能である。どこかで後退をしなければならないが、これだけの数で押されてしまうとそれすらもままならない。


 なんとか交代できたとしても、影どもは一切退くことなく進軍してくるため、そのぶん前線が後退させられる。カルラの町までまだ距離はあるものの、このままではいずれ町まで押し込まれるのは明らかであった。


 嫌な考えを振り払うようにして、アダムスは迫りくる影を殴り倒した。相変わらず、本当にそこにいるのか疑問に思うほど、軽い存在だ。一体、自分たちがいま相手にしているものはなんなのだろう? 竜どもが放った使い捨ての兵隊であることはわかっているが――それ以外は一切不明だ。


 嫌な空気だ。自分たちのすぐそこに、死神の気配が感じられる。過去にも同じような気配を感じたことはあるが――今回ほど嫌に思えるのははじめてのように思えた。


『そっちの状況はどうだ?』


 アダムスは自分と同じくこの戦場に赴いているモーリーへと話しかけた。


『さっきと同じだ。延々と湧いて出てくる影どもぶっ飛ばしているだけだ。いまのところはなんとかなっちゃいるが、これをいつまでも続けられるとは思えねえな。このままこの状況が続けば、どこかで破綻するだろう。体力的に限界を迎える奴もそろそろ出てくるはずだ』


 言うまでもなく、モーリーのほうもこちらと同じ状況のようであった。


 膨大な数に押されてもなんとか押しとどめられているのは、竜の力による交信によって即時的な連絡を取り合えていることが大きい。大がかりな装置がなくても即座に連絡を取り合えるというのは絶大だ。これがなかったら、前線で戦っている者たちを交代することもままならなかっただろう。


 まだ日は高いというのに、自分たちを取り巻く戦場には暗雲に満ちていた。悪夢のように終わらない戦い。


 アダムスはさらにこちらに向かってきた影をなぎ倒す。


 普通に戦えば雑魚でしかない相手を延々と向かわせてくるという戦術を考えたのが誰なのかは不明だが、いい根性をしているとしか言いようがなかった。


 影どもの奥にある『棺』から落ちてきた謎の物体――あれが恐らく、奴らをなんらかの形で発生させているものである可能性は高い。だが、これだけの数がいると、生身でそこを切り抜けていくというのはあまりにも無謀としか言いようがなかった。そこに突っ込んだ奴は、ほぼ確実に戻ってくることは不可能だろう。それを誰かに頼むなど、安易にできるはずもなかった。


 航空機や戦車があればなんとかなったかもしれないが、そんな最新鋭の装備を調達できるはずもない。なにしろ敵は軍を乗っ取り、この国の実権を握っている存在なのだから。仮に調達できたとしても、いますぐに用意するなどそもそも不可能である。


 厳しい状況であったが、それでも戦意が衰えることはなかった。先日、この町を襲った出来事を考えれば、竜たちがこちらに対しどのような考えを持っているのかは言うまでもなかった。生き延びるのであれば、徹底的に抗戦するしかない。それ以外、生き残るすべは残されていなかった。


 やはり――


 アダムスは空へと目を向ける。その先にあるのは、ここからでもはっきりと存在感のある『棺』だ。すべてを終わらせるためにそこへと向かっていった二人の若者のことを思い出す。ウィリアムたちが託したあの二人が、すべてを終わらせてくれることを信じるしかなかった。


 自分たちにできるのは、あの二人が戻ってくるためにこの町を守ることだけだ。こちらには、あの二人の若者にどのような事情があるのかはわからない。だが、一番危険な役目を負っているのが彼らであることは確実である。


『そっちはまだ戦えるか?』


 アダムスがそう問うと、モーリーは即座に『当たり前だろ。俺たちをなんだと思ってやがる』と言葉が返ってきた。


 これだけ言えるのなら、まだ大丈夫だろう。あいつらも、まだその戦意は失っていない。


 まさか、自分のようなならず者が大きな『なにか』を賭けて戦うことになるとは。生きていると、思いがけないことがあるものだ。


 似合わないものであることは重々承知であるが、たまにはそういう気の迷いも悪くない。一生に一度くらい、そういうときがあってもいいものだ。


 アダムスは一度拳を力強く握り――


 戦意を高揚させ、迫りくる影どもへと向かっていった。

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