第412話 踏み入れた異界
不気味な静寂はなおも続いている。これだけ精巧に造られているにも関わらず、気配はまるで感じられず、虚無に満ちていた。それは、『棺』という名称に相応しい。
だが、はっきりと感じられるものがあった。それは、言いようのない圧倒的な存在感。この先にあるはずの、『棺』の深奥――すべての竜たちの本質が保存されている場所だ。現身を倒してからだいぶ進んだところで、肌を焼くようにその気配が一層色濃くなっていた。
目指すべき場所は確かに近づいているのは確かであったが、同時に近づくたびになんとも言いようのない嫌なものが強くなっているようにも思えた。
それも当然だろう。人間よりも遥かに強大な竜という存在のすべてが保存されている場所なのだ。ただそこにあるだけで影響を及ぼすほどの力があったとしてもおかしくない。
進むたびに強くなるその異様な空気に呑まれそうになる。その空気にさらされて、怖気が走り、身体が硬直してその場から動けなくなってしまうほどに。
それを間近としたことで、自分がとてつもなく強大な存在に立ち向かおうとしていることをはっきりと認識させられた。
はっきりいって、たった二人であれに立ち向かうなど無謀が過ぎるだろう。この先にいるであろう竜たちの数はとてつもなく膨大な数であることは間違いなかった。
身体が硬直しそうになりながらも、足を止めることなく、竜夫は『棺』を進んでいく。
どこまでも無謀であったとしても、ここまで来てしまった以上、足を止めることなどできるはずもない。この先にあるのは、こちらの勝利か敗北だけである。ここでやられてしまえば、この世界は復活した竜たちによって呑み込まれてしまうだろう。それは、この世界で世話になった多くの人を蹂躙する行為に他ならなかった。自分にとって、縁などない場所であったとしても、助けてくれた多く人に対する義理だけは果たさなければならないだろう。それが、たった一人が背負うには大きすぎるものであったとしても。
なにより、自分のような力を持たぬみずきだけは返さなければならなかった。彼女だけでも、元の世界に戻れる算段は作っておかなければならない。
重力が強くなったのかと思うほど、身体が重くなる。この先にある圧倒的な存在から発せられる力の坩堝によって、身体を引き寄せられているかのようであった。
「…………」
竜夫は一度強く歯を食いしばり、気合いを入れ直す。気休めのような、自身に対する鼓舞。気休めにしかならなくとも、この先に立ち向かわなければならない存在の大きさを考えれば、やらずにはいられなかった。
周囲は相変わらず静かであったが、どこか歪んで見える。この先にある『棺』の中枢部から漏れる力の影響か、それともただそのように感じているだけなのかはわからない。
どちらであったとしても、この場所がすでに尋常ならざる空間であることは間違いなかった。一歩一歩確実に、それでいて足早に『棺』の中心部目がけて進んでいく。
この先、なにが起こっても不思議ではない。しっかりと気を引き締め、怖気に呑まれないように、いつでも戦い出せる態勢を整えておく。
……本当に、遠くまで来てしまったのだと改めて実感する。空高くに浮上する巨大な建造物に辿り着き、その中心にまで到達しようとしているのだから。
しかし、まだ戦いは終わっていない。この先にあるはずの、竜たちの本質が保存されている場所を破壊しなければ、勝利とはなり得ないのだ。それだけは絶対に忘れてはならないことである。
そして間違いなく、こちらを阻む敵がいるはずだ。それは恐らく、すべての竜たちを背負って戦わんとする最大の敵であろう。
『……聞こえるか?』
異様な空気に満ちた回廊を進んでいったところで、声が聞こえてきた。別行動をしている大成の声だ。心なしかどこかくぐもって聞こえる。やはり、なにか影響が及んでいるのかもしれなかった。
『ああ。そっちはどうだ?』
『なんとも言いようもなく、異様だな。どうやら、保存されている竜たちの本質のせいで、なにか現実として影響を及ぼしているらしい。俺たちにどこまで影響が及ぶかはわからんが。普通の人間だったら、ここにいただけで即卒倒しかねないって話だ』
『じゃあ、普段通りに力を発揮できるとは限らないわけか』
なにしろここは敵の本拠地である。侵入者に対して不利な影響が及ぶのは必然であろう。
だとしても、戦い抜いて勝利をつかみ取る以外に生き残る道はない。どのような場所であれ、それしかできることはなかった。
『そうだな。でもやるしかねえよ。そうしなきゃ生きて帰れそうにないしな』
大成の言葉に対し、竜夫は『そうだな』と小さく返答する。
『……一つ、訊きたいんだが』
竜夫がそう問うと、大成は『どうした?』と言葉を返してくる。
『あんたは、ここまで付き合ってよかったのか? 別に、ここまで命を張る理由もなかったような気がするが』
『確かにな。正直、わざわざここまでする理由はなかったってのは間違いない。俺はただ、竜どもに好き放題されたってのが気に食わなかっただけだしな。そんなもん、ここまで大それたことをする理由とするには弱すぎるって思うぜ』
大成はそこで一度言葉を切る。
『でもまあ、戦う理由なんてのはいつだってそんなもんだ。誰かにとって取るに足らないことであったとしても、他人には命を賭ける理由になる。そういうもんだろう?』
『…………』
大成の言葉に、どう返したらいいのかよくわかなかった。
『それに、俺にはそこまで生きようとする理由なんてねえんだ。いま生きてるのだって、ただ死に損ない続けただけだしな。俺も、ブラドーも。だから、俺たちを巻き込んで悪いだなんて思う必要はねえ。俺たちは、俺たちなりの理由を以てここにいる。それは、あんたが気にすることじゃない』
『……そうか』
そう言われ、わざわざそれを否定する必要はなかった。理由がどうであれ、彼は戦い抜くつもりなのだ。その覚悟を持っている相手に対し、これ以上の言葉など不要であろう。
『中心部で会おうぜ。目指している先は同じだし、どこかで鉢合わせるだろ。それじゃあな』
そこで交信が切れる。異様な空間は、再び静寂へと包まれた。
理由がどうであれ、彼が非常に心強い相手であることは間違いなかった。そもそも、彼がいなかったらここまで辿り着くことすら不可能であっただろう。
さらに進む。回廊に満ちる異様な空気はさらに強さを増していた。
そのときであった。
どこからともなく、なにかが落ちてくる。
落ちてきたそれは、どろりとした音を立てながら形作られていき――
それは人型となった。顔のないそれは、こちらを見据え――
その瞬間、竜夫は刃を創り出す。間違いなく、こちらを阻むために現れた敵であった。
こちらが刃を構えると同時に、顔のない人型は一切語ることなく、向かってきた。
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