第403話 己を超えろ
迫りくる白い影の動きに合わせ、竜夫も大きく一歩前に踏み出した。先に動き出した白い影が振るう刃に対して、ワンテンポほど遅れてそれに合わせる。
衝突。硬い音と衝撃が空気を揺らす。互いに譲ることなく、幾ばくか鍔迫り合いを続けたところで同時に退いた。
やはり、こちらを完全に模倣しているらしく、そうやすやすと打ち破ることはできなかった。単純にぶつかり合っただけでは、奴を上回ることは難しい。この状況を打破するのであれば、こちらを完全に模倣している奴を上回ることができるなんらかの手段が必要であるが――
しかしそれは、こちらを模倣した奴もわかっていることだ。長い時間の行使が難しい以上、出したその直後に討ち取ることができなければ、後出ししたほうが有利になるのは必然であろう。
奴はこちらを倒すことが目的であるが、こちらはそうではない。こちらにしてみれば、奴は目的を阻むために現れた障害の一つに過ぎないのだ。出し惜しみをしていられるような状況でも相手ではないが、ここで終わりではないことはなにがあっても忘れてはならないことである。
「…………」
黙したまま、白い影と睨み合う。
奴はこちらをかなりの精度で模倣しているが、リアルタイムでこちらの思考までも読み取っているわけではないはずだ。
だが、こちらを模倣した時点での記憶は持っている可能性は非常に高い。そうでなければ、ここまでこちらの戦術を理解し、利用することは不可能だろう。模倣して読み取った相手をしっかりと理解し、即座にそれらを十全に扱えるだけの能力は、簡単に実現できるものではない。この点だけでも、卓越した存在と言えるだろう。竜によって作成された身代わりであるが、その能力は奴を創った竜どもと遜色がないと言えるほどすさまじい。
それに、もう一つ警戒しておかなければならないこともある。
最初に奴は、自分以外の影をこちらにけしかけていた。戦った感触からして、それらは奴よりも遥かにその能力が劣っていることは間違いないが――それでも、複数体同時に相手にすることになればかなりの脅威となるだろう。
単騎で戦い場合において、もっとも恐ろしいのは数に物を言わせて攻めてくることである。なにより、この場は逃げられる場所が限られている状況だ。逃げることは難しく、負うのは容易い。崩されれば、そのままやられてしまいかねない。
「安心しろよ。少なくともいまの俺はあんたに対し、幻影をけしかけるつもりはない。俺には名誉もクソもない存在だが、相手に対する敬意くらいは持ち合わせている。なにしろ、数多くの理不尽を吹き飛ばしてここまでやってくれたんだ。それぐらいの敬意は見せておくのが筋ってもんだろう」
こちらの思考を読み取ったかのように、白い影は言葉を発した。
……少なくともいまのところは、ということは、こちらに対し敬意を見せる必要がなくなれば容赦なくその手段を取るということでもある。奴がそう判断する理由は不明であるが――奴の言葉を信じるのであれば、少なくともいまの状況のまま、真っ当に戦っているのであれば、奴が他の影どもを呼び出すことはないのだろう。
「俺自身、馬鹿馬鹿しいと思うが、そうさせるような自我を持たせた主様が悪いというだけだ。そういう風にさせたくないのであれば、そうさせないようすればよかっただけだしな。それは、俺の知ったことじゃねえ。精々、俺に許されている裁量を俺の判断で行使するだけだ」
まったく、自我を持たせるってのは考えものだな、などと白い影は他人事のように言葉を響かせる。
「というわけだ。正々堂々一騎打ちをやろうじゃねえか。俺が俺でいられる間に、あんたみたいなのとまともにやり合う機会なんてそうそうねえんだ。俺には主様のように、気軽に娯楽を興じられるような立場ではないんでね」
白い影の自嘲するような言葉は、本当に創られた存在なのかと思うほど人間味に溢れていた。
いや――だからこそ、なのかもしれない。奴は重要な存在の身代わりとなる影武者となるべく竜たちによって創り出されたものである。確固たる自我と精神性を持つ竜という存在を、高い精度をもって模倣するには、それくらい完成された精神性を必要とされるのかもしれなかった。
「さて、続きをやろうか。もう一度、問わせてもらおう。諦めるつもりはあるか?」
白い影はこちらに対しそう言うと同時に構え直す。
「悪いが、そのつもりはない。ここで諦めたところで、逃げられるわけじゃないしな。それとも、あんたがここから逃がるための手段を講じてくれるのか」
「見逃すくらいはいいが、俺があんたに、ここから逃げられるような手段を提供する義理はねえな」
じゃ、結局は同じってことか――と、その言葉からは、少しだけ残念そうに思っているのが垣間見えた。
「それじゃあ、容赦なくやらせてもらおう。別にいままでも容赦していたってわけでもないんだが」
あんたに目的があるように、俺は俺の責務を果たすことにしよう。その言葉を言い終えると同時に周囲の空気が変わる。
空気から焼けつくような感触が伝わってくる。そこから感じられるのは、なにがあろうともこちらを討とうする決意。
それは、こちらも同じである。奴を倒し、この先へと行く。人と竜を巡る戦いを終わらせるために。
竜夫はゆっくりと息を吐き、構え直して白い影と相対する。火種などどこにもないというのに、どこからか焦げた匂いが感じられた。
一秒ほどの間を置き、両者は同時に動き出した。それはまるで、お互い示し合わせたかのよう。
双方が三歩踏み出したところで刃が衝突する。硬い感触と音が周囲へと響く。一度だけでなく二度三度衝突する。そのぶつかり合いは、両者がどこまでも互角であることをうかがわせるものであった。
やはり、単純なぶつかり合いでは崩せそうにない。身体的なスペックは間違いなくこちらと同等だ。ここまで他者を模倣できるというのは、卓越したものであるのは疑いようもなかった。
この戦いは、鏡に映った自分と戦っているに等しい。奴を倒すのは、鏡に映った自分だけを倒すのと同意であると言えるだろう。
常識的には、鏡に映ったものだけを倒すことなどできるはずもない。自分を映した鏡を破壊することはできても、その中にいる映った自分だけを消すことなど不可能なのだ。
だが、その困難すらもどうにかしなければ、この先へと進み、自分が望みうる最良の未来を勝ち取ることは絶対にできない。
このまま長引くと、不利になるのはどうやってもこちらだ。鏡に映った自分が自分を上回ることになる。
それを避けるためには、なにが必要か? 奴がまだ模倣し得ていないものは一体なにかを見つけられなければ、この山を越えることは絶対にできなかった。
鏡に映った自分を倒すために必要となる『なにか』を見つけるために――
自分自身との向かい合い、超えるための戦いはまだ続く。
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