第386話 解き放て

 すべての音が遠ざかり、流れる時間が遅くなる。


 その直後、身体の奥から熱いなにかがこみ上げてきた。いままで感じたことのないほどの力の奔流。それが、身体の隅々まで行き渡っていった。


 アトラスの姿が目に入る。巨人といっても差し支えのないその体躯を目にするだけで、多くの者は畏怖をしてしまうだろう。やはり、戦いにおいて身体の大きさは絶対的なものである。


 アトラスが迎撃する前に竜夫は自身の間合いに入り込む。全身の力を利用して両手で持つ刃をすくい上げるように振るった。


 竜夫が振るった刃はアトラスの腹部のあたりを切り裂く。通常であれば、戦闘続行は厳しくなるはずであるが――


「……見事」


 アトラスは小さな声でそう言い、強く足もとを踏みつける。周囲を揺るがす衝撃が走り、同時に雷撃が放たれた。


 竜夫はそれを跳躍して回避。アトラスの目線と同じ高さへ。もうすでに腹の傷は修復されていた。出血をしていた様子もない。単純な再生能力であるのなら、傷が瞬時に治ったとしても多少なりとも血が残るはずであるが――


 飛び上がった竜夫は空を蹴り、その力を利用してアトラスに対して刃を振り下ろした。


 しかし、アトラスも二度も攻撃を食らうほど甘い相手ではない。両腕に力を集中させ、竜夫が振り下ろした刃を防ぐ。


 刃を受け止めたアトラスは、その腕力をいかしてこちらを押し込んだ。飛び上がっていた竜夫は踏ん張ることができず、押し込まれたことによってわずかに体勢が崩れた。


 その隙をアトラスは逃さない。力強く一歩踏み込んで追撃。投石器によって放たれた大岩のごとき一撃が襲いかかる。


 押し込まれたことによって反応がわずかに遅れた竜夫は、回避することは不可能であると判断。一瞬でも防げればいい。そう結論を出した竜夫は持っていた刃に力を注ぎこんで巨大化させ楯として、それをアトラスの拳へと押し当てた。


 アトラスの拳と竜夫の巨大な刃が衝突すると同時に、爆発が発生。無理矢理力を注ぎこまれた刃が破裂したのだ。その衝撃によってお互い後ろへと弾き飛ばされた。再び距離が開く。


「…………」


 距離が開いた直後、竜の力を解放したことによる反動が襲いかかった。身体が重くなる。やはり、長い時間あれを維持することは難しいようだ。下手に多用をすれば、こちらの首を絞めることになるだろう。使うときをしっかりと見極める必要がある。


 アトラスを倒し切ることはできなかったものの、収穫はあった。竜の力を解放すれば、アトラスの堅牢な防御力を突破し、ダメージを与えられること。もう一つは、アトラスの不死性が普通の再生能力によるものではないことだ。


 確かにダメージを負わせることはできているが、それを瞬時に無効とし、すぐさま再生している。それがはじめからなかったかのように。


 この秘密を明かさなければ、アトラスを打ち倒すことは叶わない。本当にすさまじい相手だ。いままで戦ってきた誰よりも勇ましい。敵ながら、驚嘆に値する。


「まだ力を隠していたか。その状態でいられれば、俺としてもなかなか厳しいところだが――いまの貴様を見たところ、先ほどの状態を長時間維持することはできないようだ」


 アトラスの声は相変わらず余裕に満ちていた。もうすでに戦闘不能となってもおかしくないはずのダメージを受けているとは思えないほどである。


 くそ。どうやって奴は受けたはずのダメージを無効化しているのだろう? 奴にもう一つの能力があるとは考えにくい。いままで戦ってきた竜の多くは二つ以上の能力を持っていなかった。奴は、奴の能力の範疇であの不死性を得ているはずであるが――


 なにかつかめそうであるが、あともう一歩がつかめなかった。いままでの状況になにかヒントがあるはずだ。それをなんとかつかめれば――


 アトラスが動き出した。こちらに策を考える間など与えるつもりもないらしい。竜夫もわずかに遅れて動き出す。体格の差を考えれば、完全な待ちの状態でいるのは危険であると判断したからだ。


 先に自身の間合いに入り込んだのはアトラスであった。雷を纏う拳を打ち下ろしてくる。それは、巨体であることを一切感じさせないコンパクトな一撃であった。


 竜夫はそれを左側に回り込んで回避しつつ、アトラスに触れられる距離まで近接し、刃を創り出した。その空間に割り込ませる形で創り出した刃はアトラスの身体に突き刺さる。突き刺さったのは腿の付け根にあたり。


 しかし、身体を貫かれてもアトラスは一切怯まなかった。超至近距離まで入り込んだ竜夫を振り払うかのようにまわり蹴りを放つ。人の範疇を超えた巨大な身体を持つアトラスのそれは暴風さながらの一撃であった。巻き込まれれば、全身を砕かれてしまうのは必至だ。


 竜夫はアトラスの身体に突き刺した刃を手放し、まわり蹴りを潜り抜ける。とてつもない威力と衝撃が自身の直上を通過。


 再び刃を創り出し、一閃。極薄のそれはおよそすべての隙間に入り込む。いかに硬くとも、この刃の前には無意味だ。アトラスの肋骨のあるあたりからすくい上げるように切り裂かれる。


 アトラスはまだ止まらない。自身に突き刺さった刃を引き抜き、それを振るってくる。アトラスにしてみればそれは小刀というようなサイズであったが、彼の巨体で振るわれれば、その威力は絶大なものとなる。


 竜夫はそれを飛び越えてさらに回避。アトラスの頭上を取った。


 だが、上を取られてもアトラスが揺らぐことはなかった。先ほど振り払ったこちらの刃を流れるような動作で振り下ろしてくる。


 それを見た竜夫は空を蹴って方向転換して避けた。アトラスによって叩きつけられた刃は音もなく崩れ去る。


 再び距離が開く。


 もうすでに先ほど与えた二つの傷は修復されていた。出血はない。まるで、傷つけたという結果そのものが消えているかのように。


 奴の身体を斬りつけたときの感触は間違いなくあった。いま目の前にいるアトラスが幻の類でないことは間違いないはずだ。それなのに何故、奴の身体に傷を負わせることができないのか?


 もう一度奴の上場を考えてみよう。奴は自身が持つ霊的な存在を自身に装着させることで、爆発的な能力を得ている状態だ。いま装着しているのか雷を操る獣。他にも、炎と冷気の二対の鳥に、大蛇が確認されている。大蛇に関してはもうすでに破壊済みの状態だ。それらが生物ではない以上、時間が経てば復活する可能性はあるが――いまのところその兆候はない。


 そこまで考えたところで気づく。


 奴は霊的な存在を自身の身体に装着している。ということは、奴が負ったダメージはその装着している霊的な存在が肩代わりしているのではないのだろうか?


 そうであるなら、色々なことが説明できる。確かにその身体を傷つけたにもかかわらず、一切出血しなかったことも。重傷となる傷を負っても問題なく動いていることも。すぐさま負った傷が再生していることも全部。


 であれば、奴が装着している霊的な存在がそのダメージを肩代わりできる限界を超えれば、傷を負わせられるはずだ。大蛇を倒せたことを考えると、雷の獣も二対の鳥も同じく倒せることは間違いない。


 恐らく、ダメージを肩代わりできる限界を超えれば、いま装着している霊的な存在ははがれるはずだ。その隙を突くことができれば、奴を倒しうるだろう。


 問題は、いま装着している雷の獣がどれくらいの耐久力を持っているかである。こちらからは、どれくらい耐えられるのかはわからない。瞬時に装着している霊的な存在を変更できることを考えると、仮に装着している霊的な存在をはがせたとしても、その隙を突けるのは恐らくごく短い時間であることは確実だ。そして、そこを逃せばまだ残っている二対の鳥を装着されてしまう。下手をすれば、二対の鳥以外にも霊的な存在を保有している可能性もある。はがしたその次の一撃で仕留めなければならない。


 カラクリは見えたものの、実際に攻略するのは難しい。奴を倒すのであれば、これだけではまだ足りなかった。


 とはいっても、光明が見えたのもまた事実。どうにかして糸口を見つけなければならないが――


 まずは奴が装着している霊的な存在をはがせなければどうにもならなかった。それができなければ、奴にダメージを負わせることすらできないのだから。


 わずかに光明が見えた戦いは、まだ加速する。

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