第369話 誤解
投擲した刃は吸い込まれるようにして白髪の男へと向かっていく。通常であれば絶対に回避し得ないタイミングであったそれは、狙い通り命中し――
だが、白髪の男は命中直前で身体をずらすことによって致命傷だけは回避した。投擲された刃が貫いたのは左鎖骨のあるあたり。決して浅い傷ではなかったが、奴がこの程度で止まるはずもなかった。
「……見事だな」
左鎖骨を刃によって貫かれた白髪の男は、一切の苦痛を感じさせずに言葉を発し、突き刺さった刃を引き抜いて投げ捨てた。引き抜くと同時にかなりの出血をしたものの、気に留める様子はまったくない。
「いままでの記録から、貴様の刃は刺したままにしておくのは危険であることはわかっている。出血はするが、耐えられないほどでもない。出血していようと、しばらくは持つ。なにより、必要以上に器を失うことを恐れる必要もないからな。必要な損失を恐れた結果、やられてしまってはなにも意味がない。この点に関してだけは、いまの我らは便利であるが」
腕を破壊され、左鎖骨のあたりを刃で貫かれてもなお、弱っている様子はまったく見えなかった。やはり、恐れを持たない敵というのは脅威だ。完全に仕留められなければ、最後の一歩というところで状況をひっくり返される可能性も充分にあるだろう。油断はまだできるはずもなかった。
投げ捨てられた刃は砕けて消滅。出血を抑えるために刺したままになっていれば、仕留めうるチャンスになったかもしれなかったが、奴に見抜かれていた以上、悔やんだところでどうしようもない。
しかし、いまのでわかったことがある。
言葉の現実化さえできなければ、奴に傷を負わせることは可能であることだ。であれば、それさえ防げれば倒しうるはずである。
しかし、どうにも気になる。何故、口にした言葉を現実化できるという反則じみた力があるのに、使わないタイミングがあるのだろう? もっと多用していれば、こちらを倒せていたかもしれないのに――
竜の力において、できないことというのは大抵の場合、合理的な理由がある。自分の身体を傷つき、失うことすらも厭わない存在が、わざわざできることをやらないというのはどう考えてもおかしかった。
であればやはり、できないことになんらかの理由があるのだ。
そこまで考えたところで、ふと気づく。
こちらの認識が間違っているという可能性に。
もしかしたら、奴の能力は口にした言葉を現実化する、というものではないのかもしれない。こちらがそう判断したのは、戦闘を行うにあたって観測された数々の状況に基づいて導き出した推論でしかないのだ。はっきりとした確証があったわけではない。
だとすると、前提自体が間違っている可能性は大いにあり得るが――
間違っているのであれば、本質がどのようなものなのかが問題なってくる。それは一体、なんなのか?
竜夫は睨み合いを続けながら、それについて思索する。
こちらに負わせたはずの傷が消えた理由、現実化させた事象が長続きしない理由、攻撃手段としてそれを用いない理由――
なにかあるような気がしてならないが、それはなかなかつかめなかった。もう少し、ヒントがあれば。そう思うが――
都合よくいきなり出てきてくれるものではなかった。ヒントを得ようとするのであれば、自分の手で導き出さなければならないだろう。それをやるには、なにが必要か?
静かな空間で続く睨み合いは稲妻のような緊張感に満ちていた。向こうも恐らく、狙うべき機会を探っているのだろう。
そこまで考えたところで、気づく。
奴の能力を無効化しうる方法を。まだ奴の能力についてしっかりとわかったわけではないが、通じる可能性は充分にあった。
……試してみる価値はある。真正面から戦ったところで、奴の能力を無効化するのは難しいのだ。であれば、いまできる最善を尽くしていくしかない。
なによりこれは、一か八かの賭けではないから、仮に失敗したところで、こちらが被るリスクはそれほど大きくないところが利点である。なにより、これで奴の能力が実際にどのようなものなのか理解するヒントにもなりうる。
であれば、やってみるべきだろう。後がない以上、消極的になったところで、先細りしていくだけなのだから――
とはいっても、一番効果的になり得る場面で使ったほうがいいのは間違いない。どんな手段であれ、それを使うべき状況というのはとても大事だ。状況を見極めることなく使えばいいものなど、あまり多くないのだから。
では、どこで使うべきだろう? 恐らく、一番効果的なのは――
殴り合いとなった時の合間であろう。そこに差し込まれれば、向こうもとっさの対応は難しいはずである。
であれば、やるしかない。長引けば長引くほど、不利なるのはこちらだ。前に進み、目的を達成するのであれば、いますぐにでも奴を倒したほうがいい。
竜夫は刃と銃を握り直し――
それらを消して、別のものを創り出した。
作成したのは、先ほども利用した小型の機関砲。これを使えば――
「まだそれで俺をやれると思っているのか、愚か者め!」
こちらが機関砲を構えると同時に、白髪の男は動き出した。重傷を負ってもなお、その動きには一切の翳りは微塵もなかった。鋭く、素早く、そして力強い。
狙い通りだった。これを見せれば、奴は間違いなく近接戦闘を仕掛けてくる。そう予測していた竜夫は奴が動き出すと同時に――
機関砲を消し、別のものを作成してそれを地面へと落とした。
「……なに?」
近接した直後、自分の足もとに転がったそれを認識した白髪の男は一瞬だけ驚きの声を上げたのち――
無理な挙動によって、自身の身体が破壊されることを一切厭うことなく、その場から離脱。
それと同時に、すべての音が消えた。
違う。想像を絶するような爆音によってすべてをかき消されたのだ。
竜夫が機関砲を創り出して近接をさせ、地面へと落としたのは、とてつもない爆音を発生させる音響弾。
当然、こちらも耳を塞いでなかったので、その音によって耳を潰される。すべてが無音となった。
だが、それこそが狙いである。
奴の能力は、対象となる相手にその言葉を聞かせなければ発動しないのではないかと踏んだのだ。本当にそうなのであれば、奴の反則的な能力も無効化できるはずだが――
奴もばら撒かれたのがただ音を鳴らすだけのものとは思わなかったらしい。わずかに動きが止まる。
そこを逃すような甘さなどまったくなかった。
竜夫は耳を潰された状態のまま、白髪の男へと接近しつつ、刃を創り出し――
その間合いで、白髪の男を捉えたのだった。
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