第370話 地獄の中に勝算を
前に出たものの、はっきりとした勝算があったわけではなかった。ただ、あの狂人を相手に消極的になって勝てるはずもないと思ったから前に出た。ただそれだけである。
クラウンの身体はかなりのダメージを負っているように見えたが、それらはすべてこちらが与えたものではなかった。なにより、自身の行為でここまで傷ついているのにも関わらず、それを気に留める様子はまるでない。どこまでも異質で異常な存在であった。
前に進んでいたところで、突如としてクラウンの姿が消え、視界が横になる。クラウンによって強制移動をさせられたのだ。どうやら今回は壁と入れ替えたようであった。
飛ばされた大成はすぐさまクラウンの位置を確認しつつ、飛ばされた先にあった壁を蹴って再び接近を図る。
奴の強制移動はあくまでもこちらが立っていた場所が対象だ。奴の異常とも言える空間把握能力動体視力によって、こちらを対象にしていると見せかけているだけである。であれば、空中にいれば逃れることは可能であるはずだが――
こちらの予測通り、クラウンへ接近し、直剣の間合いで捉えてそれを振るう。
しかし、またしてもそれは空を切った。今度はこちらではなく、奴自身が移動をすることで直剣を回避したのだ。あくまでも場所が対象である以上、自分が立っている場所に対しても同じことができるのは必然であった。
再び距離が開く。その距離は十メートルほど。こちらにしてみれば、果てしない距離のように思えるものであった。
大成はクラウンへと目を向けたまま、改めて情報をまとめ直す。
奴の能力は空間というか、そこにある物体を自在に移動、組み替えるものだ。こちらへの直接的な干渉を行っていないことを考えると、生物を対象にすることはできない。
その組み換えや移動は、単純に二点の場所を入れ替えるだけのような簡単なものであれば瞬時に行える。こちらの足を以てしても、移動が発生する場所から逃れることはほぼ不可能。
組み替えられた場所は一定の力を加えると元に戻る。こちらにはどこをどのように組み換えているのかわからない以上、無闇に元に戻そうとするのは少し危険だ。下手をすれば、壁に埋まってしまう可能性もある。
攻撃的な能力ではないが、足止めに関しては極めて優れた能力と言えるだろう。一人で戦わなければならないこちらにとっては、ひたすらに足止めをされるというのは、ただそれだけで厄介なものである。
それに加え、奴自身の戦闘能力もかなり高い。移動しているこちらを的確に強制移動させることが可能な動体視力と空間把握能力を持ち、戦闘技術自体もかなりのものだ。さらにそこへ、自分の身体を改造までしている。改造された奴の身体は極めて強度が高く、生半可な力ではわずかな傷をつけることすら難しい。
奴も竜である以上、こちらの呪いが有効であることは間違いないが――その身体に刃を通せなければ効果は薄い。その性質上、強制移動を防ぐのが困難であるため、一番の問題となるのはここになるだろう。どうにかして、奴の改造された身体にダメージを負わせられる手段を見つけなければならないが――
もうすでにこちらには命のストックは残っていない。やられてしまえばそこで終わりだ。命を一つ消費して道を切り開くことも不可能である。いままでの戦いで多くのカードを切ってしまったため、残っているものはあまりない。
それでもなお、戦い抜かなければならなかった。この異世界のために戦わなければならない理由なんてどこにもないというのに、そう思えてならないのは何故だろう? 竜どもによって、人体実験の材料された恨みが突き動かしているのか。それとも――
いまここでそんなことを考えたところでどうにかなることでもなかった。なにがどうであれ、もう戦い抜かなければ生き残ることすらできなくなるという場所にまで踏み込んでしまっているのだから――
「本当に嫌ですねえ」
睨み合いを続けていたところで、クラウンが言葉を発した。
「どうしてあなたはそこまでして我々と戦っているのでしょうか? あなたにそのような理由があるとは思えないのですが。そういうことをやってしまうのは、やはり馬鹿だからですか? だとしたら仕方ありませんね。馬鹿は死んでも治らないなんて言いますし、死んだくらいで馬鹿が治るのなら、もっといい世の中になっているでしょう。死んでも治らないからこそ、あなた方の社会はどこまでもあのようなものなのですから。よかったですね。馬鹿の極みのような存在であるあなた方が、我々に利用してもらえるのですから。誇らしいでしょう?」
クラウンの様子は相変わらず同じだ。こちらの意を一切介することなく、一方的に見下し、侮辱する言葉を吐き続ける。奴が本当にそう思っているか、挑発をするために言っているのか、依然として判断はできなかった。
だとしても、奴の言葉に耳を傾ける理由はまったくない。なにしろ、奴の言葉は徹頭徹尾こちらに語りかけているものではないのだから――
クラウンの不愉快な言葉を聞き流したところで――
『ブラドー』
あることに思い至り、ブラドーへと呼びかけた。
『どうした?』
『これなら、改造された奴でも倒すことは可能か?』
大成はふと思い至ったそれをブラドーへと告げる。
『……悪くはないが、少々危険だな。とはいっても、手段を選んでいられる状況でもないのもまた事実だ。やってみるしかあるまい。ここで終わるわけにもいかんからな』
信頼できる相棒の声を聞き、大成は安堵する。
危険であっても倒しうるのであれば、やるべきであろう。もうこちらに余裕などまったくないのだ。そのうえでなお、戦いはまだ続く。いま取れる最善を尽くし続けなければ、この戦いを終わらせ、勝利することは不可能なのだから。
とはいっても、機会を見極めることが重要だ。一見ふざけているとしか思えない言動を取り続けているクラウンであるが、いままでの戦いの運びを考えれば、そこに油断というものはまったくない。的確にこちらが嫌がる手段を取り続けている。
そうである以上、不意打ちの類が成功するのは一度きりだろう。それも、しっかりと機会を見極めておく必要がある。まずは、その機会を作り出さなければ。不意打ちの効果が最大限かつ有効に発揮する機会を。
大成はクラウンを注視しつつ、ゆっくりと息を吐く。昂りかけた気が少しだけ下がったような気がした。
奴は、こちらが接近を図ろうとすれば、まずこちらを強制移動させて距離を空けようとしてくるはずだ。
恐らく、回避のためにとっさに行う組み換えは、スピードが重視されるため、精密な動作は不可能と思われる。いままでのことを考慮すれば、とっさに行い強制移動では、遠くに飛ばすことも困難であるはずだ。具体的な距離は不明だが、恐らく奴を中心にして十五メートルから二十メートルというところだろう。それならば――
大成は直剣をゆっくりと構え直して力を抜き――
息を吐き切ったところで、前へと飛び出した。クラウンへと接近したところで――
またしてもクラウンの姿が消える。強制移動をさせられたが――
だが、それは予測済みだ。こうやって何度も見せられれば、多少なりともどこにどの程度飛ばされるのか、うっすらと予測することくらいできるのだから――
強制移動をさせられた大成は、血で構成された直剣を極限まで細く伸ばし――
できる限り多くを巻き込めるよう、大きく振るった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます