第342話 狙うべき時
異空間からヨハンが現れたのと同時に大成は動き出した。直前まで察知できないヨハンの攻撃を寸前で回避。そのまま距離が開かれた。
こちらが奴の能力を把握しているのと同じく、向こうもこちらの能力を把握している。である以上、普通の相手であれば致命傷となる一撃をこちらに与えたとしても、奴は油断などしないはずだ。場合によっては、こちらを確実に殺すために、そこを狙ってくるというケースも大いにあり得る。いま残っているたった一つのストックを消費して奴を打ち倒すのであれば、しっかりとその機会を見極める必要があるのは間違いなかった。狙うべき時を見誤れば、最後に残った一つしかない命をただ浪費するだけになる。
『ブラドー』
ヨハンとのにらみ合いを続けながら、大成は相棒へと問いかける。
『……なんだ?』
ブラドーはすぐさま返答の声を響かせる。
『さっきお前が言った通り、奴は俺が殺しても死なないことはわかっているだろう。それなら、これを成功させるのであれば、なにをすべきだと思う?』
こちらの言葉に対し、ブラドーは唸るような声を響かせ、思案する。十数秒ほどの沈黙が続いたところで――
『こちらの手が割れている相手への対処か。なかなか難しい。下手なことをすれば、こちらの命が浪費するだけだしな。いまのお前に残っているのはあと一つなんだろう? であれば、絶対に失敗はできないな』
ブラドーの声は冷静であったものの、そこにはやはり多少の焦りが感じ取れた。それも当然だ。なにしろ敵はこちらからの攻撃をほぼ完全に回避する手段を持っているのだ。そんな敵と戦わなければならないとなれば、誰であっても焦りは生まれてしまうのは当然である。
しばらく沈黙の時間が続いたところで――
『奴に対し、予想だにしなかった出来事を起こさせるというのが無難だろう。奴の思惑を、こちらが上回るのだ。それさえできれば、殺し切ることも可能だろう』
『上回る……ね』
確かにその通りであるが、それを実行するのは難しい。
なにしろ熟練の暗殺者である奴は、病的なまでに油断というものを排している。そのような相手に対して、奇襲の類は通用しない。特に、すぐ思いつくような安直な手段は。それを行ってしまえば、やられるのはこちらになるだろう。
ヨハンの持つ完全回避能力であるが、わずかではあるが穴は見つかった。まだ確証は取れていないものの、それがこちらの予想通りのものであったのなら、恐らく成功するはずである。
いま必要なのは、敵が行使する極めて強力な力を使用不可能にしたその時にどうするかだ。奴も恐らく、自分の能力の穴を把握しているはずである。慎重なあの男が、一番危険な部分に対策を用意していないとは思えなかった。
たぶん、そのあたりのことに関して無策で行ったとしたら、結果的にやられるのはこちらであろう。
さて、どうする?
起死回生の手段を成功させるためには、なにが必要か? このまま実行したところで、こちらが勝利できる確率は極めて低い。奴を倒し、『棺』へと向かうのであれば、ここでやられるわけにはいかなかった。
沈黙があたりを貫いたまま、ヨハンの姿が音もなく消失。異空間へと潜り込み、こちらの世界からは完全に消え去った。遠くには行っていないはずなのに、まったく気配が感じられない。
「…………」
どこから狙ってくるのかわからない状況ってのは実に厄介だ。以前、姿が見えない敵と戦ったことはあったが、あれは姿が見えないだけで、奴のように完全に姿を消していたわけではなかったが、それでも厄介な相手であった。
嫌な汗が滲み、身体が熱を帯びていく。この世界から消え、異空間へと潜り込んだヨハンの気配はまだ感じられない。
極限まであたりを警戒するものの、本当にこの世界から消失している状態にヨハンを追うことはまったくできない。
奴が行う異空間潜りは、こちらの予想通りであれば攻撃の最中はできないはずである。残ったあと一つの命を消費し、そこを突くのがいま残された勝利に道筋であるのだが――
普通であれば、敵の攻撃をわざと受けつつ反撃を行えばいいのだが、奴はこちらが殺しても死なないことをわかっている。罠に嵌めようとしたこちらに対し、罠を仕掛けてくることは間違いなかった。なにしろ奴は手練れの暗殺者だ。その程度のことはやってのけるだろう。
くそ、なにかないのか?
せっかく奴の能力の穴を見つけられたというのに。こちらが仕掛けるであろう罠が無効に割れている状況をどのように打破すべきか。これができなければ、奴に打ち勝ち、『棺』に到達することは叶わない。
なまじ光明が見えてしまっているのが非常にやりにくかった。手の内をある程度知られてしまっている相手というのはなんと戦いにくいのだろう。いまこちらができる手段で、奴も把握していないような力などあっただろうか?
あたりを警戒しながら、脳をフル回転させる。
奴も予想だにしていない手段。本当になにもないのか? なかったら、この戦いを生き延びることができないということになってしまうが――
わずかに生まれ出た弱音が毒のように身体を侵食していく。振り切ろうとしても、一度生じたそれは頑固なカビ汚れのように身体のどこかにしみついてなかなかはがれてくれなかった。
そこまで考えたところで、気づく。
奴も予想を超えうる手段の存在に。
『ブラドー』
大成はもう一度ブラドーへと語りかけた。
『これは、うまくいくと思うか?』
大成は思いついた手段をブラドーへと伝える。それを聞いたブラドーは――
『確証はないが、話を聞いた限りでは、それができない理由はないように思える。そして、奴の能力の法則がお前が思っている通りなのであれば、その手段で異空間へと潜ることも阻止できるはずだ。問題があるとすれば――』
ブラドーはそこで一度言葉を切り――
『それを的確に操れるかどうか、ってことだな。まあそれは、お前が頑張るしかないな。そこさえできれば、奴を打ち倒しうる』
そう言ったブラドーの声は力強く、はっきりとした口調であった。
それを聞いた大成は安堵する。少しばかり不安であるが、やってやるしかなない。できなければこの状況を打開できなくなるだけだ。
あたりを警戒しながら、大成は自分の身体の状態を探る。
ストックしている命こそあと一個となっているが、身体の状態自体は、いままでの戦闘で多少消耗していたものの、悪くない。
改めて、本当にあんなことができるのだろうか、と思う。似たようなことは過去にやったことがあるものの、これからやろうとしていることは過去に前例がない。できなければここで終わりだけだとしても、前例にないことをやるというのはいつになっても恐ろしいものだ。
そのとき、気配が感じられた。こちらの真上。異空間から現れたヨハンが頭上から強襲を仕掛けてくる。
大成はその場から動かず、ヨハンを待ち受けた。
ヨハンの腕が振り下ろされる。それは、頭上から大成の身体へと迫っていき――
「……なに?」
ヨハンから驚愕の声が漏れる。それも当然だ。なにしろ、そこにいたはずの存在が消えてしまったのだから。
いや、正確に言うのであれば、消えたわけではなかった。ヨハンが攻撃を行うと同時に、彼のまわりを埋め尽くしたのは真っ赤な霧。
大成はヨハンの攻撃を受ける瞬間、自分の身体そのものを霧状に変質させたのだ。
ブラドーの力は血を操る力である。それが隅々まで行き届き、しみ込んだこの身体を自由自在に操ることが可能なのだ。自在に操れるのであれば、その身体を霧状にすることだって可能なはずである。
霧状となった大成に取り込まれるような形となったヨハンは異空間へと潜り込んでいなかった。正確に言えば、潜り込むことができないのだ。
奴の能力は、自分以外のものに触れている間は異空間へと入り込むことができないのである。この赤い霧は自分そのものだ。どのような形であれ、奴に取って自分以外の存在であることは間違いない。
そして、この霧状となったこの身体には当然、ブラドーが持つ呪いの力は含まれている。霧状となったために、非常に浸透しやすく、そのうえ吸い込みやすい。短い時間でも、かなりの影響を及ぼすであろう。強力な防護壁を纏っていたのだとしても、完全に密閉することはできないのだから。
『……ちっ』
赤い霧の中にぶち込まれたヨハンは焦りの声を発する。ブラドーが持つ呪いの力がどれほどのものなのか知っていれば、そんな声が出るのも当然だ。ヨハンは、この赤い霧の中から離脱しようとするが――
『逃がさん!』
大成はそう声を響かせ、赤い霧の一部を硬化させ、逃げようとするヨハンに対し、渾身の突きを放った。
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