第343話 人の誇り
視界の隅に、パトリックと元ティガーが落ちていく姿が目に入った。その速度はすさまじく、彼らの姿は見えなくなったのち、とてつもない音が響き渡る。地面へと落ちていったパトリックと元ティガーが地面に衝突した音だろう。この高度から落ちたとなると、ただでは済まないが――
『安心しろ。ちゃんと生きてる』
音が響き渡ってすぐ、パトリックの声が聞こえてきた。彼が無事生きていることがわかり、安堵する。
『乱暴なやり方になったが、俺がやるべきことはやったぞ。お前らも、死ぬなよ』
パトリックも戦線を離脱してしまったことは痛いものの、これ以上は望むべきでもないだろう。いま考えるべきは、あとのことではなく、目の前のことだ。
グスタフは異形と化したナルセスへと目を向ける。
そこにもはや人だった頃の名残はほとんど残っていなかった。なにを意味しているのか判別できない呻き声を断続的に発するばかりで、一切つかむことができなくなっている。このような姿となってもなお、戦わされる非道さに対し、怒りを禁じえなかった。
だとしても、自分たちの未来を考えるのであれば、戦わなければならない。それが、見知った相手だったとしてもだ。ここまで来てしまった以上、戦わずに終わらせることなどできるはずもなかった。
「……どうしたものかな」
異形と化したナルセスに目を向けたまま、グスタフは呟く。
自分は劇的な切り札など持ち合わせていない。できることは、愚直にこの二本の剣を振るうことだけだ。腕にはそれなりの自負はあるものの、このような状況で爆発力を見せられるものがないというのは厳しいところである。
なにより、異形と化したナルセスは腕力などをはじめとした生物的な機能や強度に関してはこちらよりも遥かに上だ。無論、いままで似たような敵と戦ったことはあるものの、今回のように仲間の助力を得られない状況で戦わざるを得ないというのはあまり経験してこなかった。
とはいっても、いままで経験をしてこなかったからといって、この状況がどうにかなるはずもない。戦いというものは時に、過去に前例がないことをやらなければならないこともあるのだ。
当然、そのようなことにならないように立ち回ることが大事ではあるが、どうしても避けられないことが訪れることもある。きっと、今回もそれに該当するものなのだろう。それは戦いに限ったことではないが、それなりに生きていればそういうものに遭遇することは何度か起こるのが人生というものだ。
それをどうにかできなければ、ここで終わるだけのことである。実に簡単なことだ。
自分が多くの未来を切り開ける存在であるとは思えない。それほど大それた人間でないことなど、自分が一番理解していることだ。そのような思い上がりを抱けるほどの若さなど、とっくの昔に置いてきた。
だとしても、この戦いには絶対に勝たなければならないと思っている。まだ死にたいと思える日じゃないというのもあるが、それ以上に――
自分たちの未来のためにその命を燃やし尽くしたアレクセイのことを思い出した。ここでなにもできず死んでしまったら、自分の命を燃やし尽くしてまで道を切り開いてくれた彼に申し訳が立たない。それは、奴の凄絶なる死を目の当たりにした自分たちの責任であると思えた。
「今日はまだ死ぬのにいい日じゃない。少なくとも、死ぬのは目の前の敵を倒してからでないとな」
グスタフは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
ロートレクもパトリックも、自分のやるべきことをこなしたのだ。それにもかかわらず自分が最低限こなすべきことすらもこなせなかったら恥であるとしか言いようがなかった。そのまま死のうものなら、アレクセイに笑われてしまうだろう。どうせ死ぬのなら、誇り高く死にたいものだ。
『――――』
うめき声とも叫び声ともつかない異音を異形と化したナルセスが発し、動き出した。腕と一体化した大弓引き絞り、矢を放ってくる。その矢をまともに受けようとすれば、二本の剣ごとその身体を破壊されるだろう。
グスタフは身体をずらして矢を回避しながら前へと出て、距離を詰め、異形と化したナルセスを剣の間合いで捉えた。黒い剣を振り下ろす。
異形と化したナルセスは完全に変質した腕を使ってそれを防御。異形と化したその腕の強度は極めて高く、そう簡単に砕けるものではないのは間違いなかった。
しかし、グスタフは止まらない。続いて赤い剣を振るい、炎を放つ。赤い剣から放たれた炎は異形と化したナルセスを呑み込み――
全身を炎にまかれながらも、異形と化したナルセスは反撃を仕掛けてくる。硬化した腕で突きを放ってきた。力任せの一撃であったが、そこには一切の無駄がない。目の前にいる敵を倒すことだけを考えたもの。
グスタフはそれを払い除けた。こちらを遥かに上回る腕力を持っていたとしても、動きが読めていればそれを捌くのは容易い。グスタフに攻撃を払い除けられた異形と化したナルセスは体勢を崩し――
グスタフはそのわずかな隙を狙い、異形と化したナルセスに黒い剣を突き立てた。黒い剣は異形と化したナルセスの胴体に深々と突き刺さる。
『――――』
異形と化したナルセスはうめき声とも叫び声ともつかない異音を再び発し、自身の身体に突き刺さった黒い剣をつかみ上げた。
大弓と一体化した逆の腕を突き出し、超至近距離で矢を放とうとする。
「ち……」
グスタフは異形と化したナルセスの身体に突き刺さった黒い剣を手放し、その柄を蹴り込んで背後へと突き飛ばし、その直後に放たれた矢の軌道を逸らして、すんでのところで難を逃れた。
身体のすぐそこを大弓の矢が通り抜けていった衝撃はすさまじい。身体が抉られたかのような感触であった。胴体をわずかにかすめただけでも、場所によっては致命傷となりかねない威力。
だが、それを凌いだことで、絶好の機会が訪れた。グスタフは持っていた赤い剣を手放して再び距離を詰める。
異形と化したナルセスに突き刺さったままの黒い剣をつかみ上げた。
この剣は竜の力を食らうものだ。その力を最大まで解放し――
その力を、異形と化したナルセスから吸い上げる。その力を一気に奪われた異形と化したナルセスは動きを止め――
グスタフは持った黒い剣を横に引き、異形と化したナルセスの胴体を寸断。胸のあたりから身体の半分以上を両断された異形と化したナルセスの身体はそのまま崩れ落ち――
ぐったりとした状態となって、地面へと落ちていく。
「……あんたを救えなかったことは申し訳ない」
そう呟いた瞬間、『構わないさ。お前はできることをやった。お前らにこのようなことをさせてしまった原因は俺にある。気にするな』と安らかな声が聞こえてきた。
それが極限状態にあったことを原因とする幻聴の類だったのか、死の間際に異形と化したナルセスが発した言葉だったのかはわからない。しかし、最後に聞こえてきたそれがわずかな救いになったことは間違いなかった。
「俺も、最低限やるべきことはやった。あとは頼む」
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