第327話 第二の戦い

 獣じみた動きで迫ってきた元ティガーをパトリックは待ち受けた。そこに洗練された動きは一切ない。速度自体はかなりのものであったが、直線的で読みやすいものであった。幻影を呼び出して、迫ってくる元ティガー迎撃。


 幻影と元ティガーがぶつかり合う。異形と化したその身体から発揮される膂力はすさまじい。呼び出した幻影は強いものを呼び出せば呼び出すほど、それとの繋がりが強くなる。こちらの身体を奥底から揺らすかのような衝撃が身体に伝わってきた。


 他の仲間たちも、それぞれ現れた元ティガーたちと交戦を始めている。仲間であったナルセスと戦闘をしているのはグスタフであった。ナルセス以外の元ティガーたちが誰なのか判別はできなかった。直接見知っている相手ではないはずであるが、それでも彼らを殺さなければならないのは心苦しい。できることなら、助けたいと思うものの――


 人型をしているだけの異形と化した彼らを自分たちにどうにかできるとは思えなかった。なにより、あのような姿となった彼が元ティガーである以上、相当の戦闘能力を有している。それを相手にして、殺さないようにとか甘いことを言っていられるはずもない。打ち合った感覚からすると、恐らく身体的な能力に関しては人であったときより大幅に上がっているように感じられた。無論、それによって一概に強くなったと言えるわけではないが、元になったのが戦闘の専門家であるティガーである以上、簡単に処理できる相手ではないことは確実だ。


 先ほどとは違っていまのところ、元ティガーたちの数は少ないが、あのような姿にされたティガーたちがいま出ているだけではないはずである。結構な人数のティガーたちがさらわれていたのだ。全員があのような姿になったのかどうかは不明だが、これで終わりではないのは明らかである。


 こちらの目的は『棺』を目指すタツオたちの道を切り開くことだ。彼らさえ辿り着ければ、必ずしもこちらは敵を殲滅する必要はない。だが、戦闘から安全に離脱することを考えれば、いま戦っている敵だけは処理しておく必要がある。そうしておかなければ、拠点たる竜の遺跡にまで危機が及ぶ可能性があるからだ。地上には今回の件で動員した他のティガーたちがいるものの、できることであればここで処分しておくのが望ましい。


 元ティガーと幻影が打ち合いを続ける。元ティガーは異常な変形をした両腕を荒らしく振り回していた。いま戦っている元ティガーがもともとどのような力を持っていたのかは不明だが、その力はかなり強力だ。少しでも気を抜けば、その力によって容易に押し込まれてしまうだろう。


 幻影は複数体呼び出すことは可能であるが、当然のことながら呼び出す数が多くなればそれだけこちらにも負担がかかる。そのうえ、幻影が被弾した際にこちらに返ってくる反動も増大してしまうという危険も伴う。である以上、別の個体を呼び出すのであれば、機会を見極めたほうがいい。


「ぐ……」


 荒々しく暴れるようにして幻影に攻撃を仕掛けてくる元ティガーの勢いはなおも増していく。洗練された動きはまったくないものの、こちらと比べれば圧倒的とも言える膂力を、一切の躊躇なくそれを行使してくるのは恐ろしい。戦闘という場面において、躊躇がない敵というのはなによりも恐ろしい存在だ。躊躇がないというだけで、戦闘では相当の優位を得られるのだから。


 さらに恐ろしいのは、元ティガーたちは自分が傷つくことを一切恐れていないことだ。生存本能のある生物である以上、自分が傷つくかもしれないことを恐れることは必然である。その恐れは、自分の行動を時に制限するものだ。その行動が合理的に考えて最善であったとしても、傷つくことを恐れてそれを取ることができなくなるというのは珍しいことではない。自身が傷つくことを恐れていない元ティガーたちは、恐怖によって生まれ出る行動制限が一切ないことを意味する。それが、戦いにおいて大きな有利となることは言うまでもない。無論、それはいい面ばかりではないが、少なくともいまの場面においては、恐怖がないことによって発生する利点が欠点を上回ることはないだろう。


『――――』


 元ティガーは脳を直接揺さぶるかのような爆音を響かせた。それは、このような姿となってしまった嘆きにも、怒りにも聞こえる音。どこか痛々しく、それでいて耳を塞ぎたくなるような嫌なものを生じさせるもの。それを聞いているだけで、彼らをさらった竜たちがなにをしたのかが窺えた。


 元ティガーの腕がさらに肥大化する。それはまるで、自然にある法則を無視しているとしか思えないものであった。肥大化した腕は、わずかな時間で自分の身体の数倍以上の大きさの刃となって――


 それを力任せに振り回してくる。とてつもなく大振りで、回避すること自体それほど難しくはないが、こちらを圧倒的に上回る腕力によって振るわれるそれを防御するのはかなり危険だ。それだけでこちらを威圧するものとなる。


 そのうえ、元々の腕力を活かして連続して振り回して攻撃を途切れさえないことで、こちらに反撃の隙を与えてこないことも厄介だ。一切の躊躇のなさと、強い力を存分に活かした攻撃。


 パトリックは元ティガーが自身の強みを存分に活かして振るってくる攻撃を回避しながら、隙を窺う。絶え間なく振るってくる連続攻撃を次々と回避していき――


 元ティガーが巨大化した腕を大きく薙ぎ払ったところで――


 幻影の刃を創り出し、それを射出。それは巨大な腕を振るったことで露わとなった元ティガーたちの胴体へと向かっていき――


 しかしそれは、元ティガーの身体を貫くことはなかった。


 幻影の刃が突き刺さるその瞬間に、元ティガーの身体が隆起してそれを弾き飛ばしたのだ。そのまま、隆起した胴体は不愉快な音を立てながら元ティガーの身体を呑み込んで変形していく。


 たった数秒で、まだ人だった頃の名残は消え失せた。これだけを見た誰かが、元々これが人間だったことがわからない程度に。


「もう……やりたい放題だな」


 異形と化したものがさらなる異形へと変貌していく瞬間を目撃し、そんな言葉が口から漏れ出た。一体、なにをどうすればこのようなことを可能とするのかまったく見当もつかないが、こうなった原因を創り出した行為がとてつもなく非道であったことは言うまでもない。


 大きな力を持ち、人という存在を遥かに上回る存在であったとしても、このような行いが許されるはずもなかった。竜どもは、自分たちが人という存在になにをしても構わないと思っているのだろう。であれば、自分たちの身を守るのであれば、徹底的に抗戦する以外、他に選択肢はなかった。


『――――』


 完全に人としての原型がなくなった元ティガーは、変わることなく耳を塞ぎたくなるような異音を発し続けている。その意図はまったくわかららない。もしかしたらこちらに助けを求めているのかもしれないが、それを確認する術はなかった。なにをどのようにしてあの音を発しているのか皆目見当もつかないが、そんなことわかりたくもなかった。


 だが、一つだけ確実なことは、ここで彼らを殺してやらなければ、竜どもによってあのような姿とされた彼らは延々と苦しむことになる。このような姿となってしまったことを知ってしまった以上、それは自分たちがやらなければならないことだ。


 パトリックは、元ティガーへと目を向ける。


 そこにいるのは、四肢の生えた岩の塊のようなもの。変形した瞬間を目撃したいまですら、それがもともとは人間だったとは思えないものであった。


 先ほど放った刃があの隆起した岩のような部分に弾かれたことを考えると、生半可な攻撃は通用しないのは確実だ。一瞥した限りでは、弱点と思える場所は見当たらない。


 しかし、自分たちを守り、ああなってしまった彼らにせめてもの救いを与えるのであれば、どうにかしなければならないことである。


 パトリックは歯をぎりとかみ締めた。このような外道な行いをするような奴らをなんとかするためにも、タツオたちには『棺』へと向かってもらわなければ。


『――――』


 変形した元ティガーが再び異音を発し――


 その重そうな身体とは裏腹に、とてつもなく俊敏な動作でこちらへと踏み出してきた。

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