第326話 潜りしもの

『その処分に我々の手を煩わせただけのことはある。なかなかの力ではあるが――』


 その声が響くと同時に、そこにいたはずのヨハンの姿が消失。大成が放った力は空を穿つだけに留まった。ヨハンの姿が消失してからわずかな間を置いたところで――


『どれだけ強力であろうと、当たらなければどうとでもなる』


 消失したヨハンの姿が出現。刃のごとき鋭利な爪を振り下ろしてくる。


 大成は自身の血肉を操作し、腕を硬化させてヨハンが振り下ろした爪を防御。相当に硬化させていたにもかかわらず。突き刺さるような衝撃が腕全体を伝わった。


 ヨハンの一撃を防いだ大成は防御に使用した逆の腕を使い反撃。血肉を操作し、腕を変形させて放たれた一撃。その腕は当然のことながら、竜を仇なす呪いの力に満ちている。当たれば、竜となり、本来の力を発揮していたとしてもただでは済まないはずであるが――


『……っ』


 大成が振るった腕は空を切った。そこにいたはずのヨハンが先ほどと同じくいきなり姿が消えたのだ。気配すらも感じられない。間違いなく、奴はこの空間から消失していた。これは、一体――


 ヨハンの姿が消えたことで、あたりが静寂へと包まれた。だが、その静寂さとは裏腹に、とてつもなく不気味なものが感じられた。間違いなくそこにいたはずなのに触ることも、その姿を見えなくなるという不穏。嫌なものが身体を伝っていく。


 そこから姿が消えたからと言って、止まるのは愚策だ。これが戦いである以上、一切の必要性なくその動きを止めるのは致命的になり得る。攻撃を回避された大成はその場を離脱し――


『動きを止めなかったか。さすがに戦い慣れているだけのことはある』


 声が響き、先ほどまで消えていたはずのヨハンがどこからともなく現れた。ヨハンが現れた場所は、こちらのすぐ横。それはまるで、こちらが動こうとしていた場所に先回りしていたかのようであった。竜と化したこちらの身体すらも容易に寸断できる鋭さを持った爪が再び振るわれる。


 大成は両腕を変形させ、ヨハンの一撃を防御。硬い音が響き、鋭く重い衝撃が両腕に伝ってくる。


 ヨハンの攻撃を防いだ大成は身体を翻し、人の身体にはない尾で反撃を行う。竜と化した身体にある尾は鞭のようにしなやかでありながら、鉄柱のような強靭さを持つ。直撃すれば、ただでは済まないものであるが――


 しかし、またしてもヨハンの姿は突如として消え、尾は先ほどの攻撃と同じく空を切っただけであった。手ごたえはまったくない。奴に命中していないのは明らかであった。


 くそ。なにが、どうなっている? 瞬間移動の類で回避しているようには思えなかった。瞬間移動の類であるのなら、こうやって消え続けることはできないはず。


 それとも、こちらがなにか錯誤させられているのか? だが、ヨハンの能力は幻覚を操るような能力ではなかったはずである。まったく違う性質を持つ二つ以上の能力を持っているとは思えなかった。だからこの消失は、奴が持っている能力の範疇にあるはずのものであるが――


 それに、もう一つ気になることがある。それは攻撃の際に姿を現していることだ。姿を消した状態を維持できるのであれば、わざわざ攻撃の際に姿を現す必要性はないはずである。それをわざわざしているということは、そうしなければならない理由はあるはずだ。姿を消したまま攻撃できない理由。それは――


 再び大空は静まり返った。静まり返った状態だと、時間の流れが遅くなったように感じられる。気配すらも感じられないのに、どこから現れるのか予想がつかないというのは想像以上に消耗を強いられるものであった。いまはまだ突然姿を現してもとっさに反応できているが、長引けば長引くほど、それを続けるのは難しくなっていく。


 あたりを警戒する。どれだけ感覚を研ぎ澄ましても、ここにいるはずのヨハンを捉えることができなかった。それはまるで、別の空間に行ってしまったかのような――


 そこまで考えたところで、こちらの斜め上から気配が感じられ、ヨハンの姿が現れる。先ほどこちらがやったように、上から尾を叩きつけてきた。大成は後ろへと飛んでそれを回避。なんとか紙一重で避けられたものの、振り下ろされた尾から発せられた風圧と衝撃はこちらに死を予感させるに足る威力を誇っていた。


 距離が開く。近いように見えるが、自分の身体そのものが大きくなっていることに加え、空という隔たりが一切ない場所であるため、その距離は思っている以上に離れているだろう。そのまま、睨み合いが続く。


『ブラドー』


 睨み合いを続けながら、大成は問いかける。


『奴の姿が消えた時、そっちでは気配を追うことはできたか?』


『いや、お前がそう感じたのと同じく、俺からも奴の気配を感じることはできなかった。姿が消えた瞬間、奴は間違いなくこの場所からいなくなっていた』


 ブラドーもこちらに同意した。やはり――


 大成はヨハンへと目を向ける。


 よく見ると、ヨハンの体表面はなにかによって覆われていた。それは、ヨハンが持っている能力である。攻防一体のスーツのようなものを身に纏うことによって、色々な場所へと潜り込める力。いままでは地上での戦闘以外は知らなかったので錯覚していたが、ヨハンの能力によって潜り込めるのは壁や地面といったものだけではないのだ。奴はあれを身に纏うことによって異空間というべき場所にも入り込むことが可能なのだろう。別の空間へと入り込んでいたのであれば、この場から完全に姿を消していたことも、気配も感じられなかったことも、攻撃の際にわざわざ姿を現していたことも説明がつく。


 厄介な能力だ。別空間に入り込まれてしまうと、こちらからは干渉することは不可能になる。それを無効化するには、こちらも奴と同じように別空間に干渉できる手段が必要だろう。当然のことながら、そのような都合のいいものなど持ち合わせていない。別空間にいる間、向こうからもこちらに干渉できないとはせめてもの救いではあるが、それでもこちらの攻撃をおよそすべて無効化できる手段を持っていることが、戦いにおいて相当のアドバンテージなのは言うまでもない。


 なにより、別空間に潜り込まれると、視覚的にはもちろん感覚的にとらえることもできなくなるのも厳しいところであった。奴が別空間を介してどのように移動し、どこから攻撃を仕掛けてくるのか読めないというのは想像以上にやりにくい。この空という遮るものがなにもない開けた場所でありながら不意打ちを仕掛けられるのだ。それがどれほど有利であるか言うまでもないだろう。戦いにおいて一番恐ろしい攻撃は意識の外側からの攻撃だ。奴はそれを、どのような場所であっても行うことができる。


 どういうものかわかっても対処のしようがないものほど厄介なものはない。どのような場所であっても不意打ちを仕掛けられるその力は、まさしく暗殺者というべき力だ。


 そのうえ、ヨハンが異空間に潜り込むために身に纏っているもの自体の強度も高いのがその厄介さをさらに強めている。奴が纏っているあれは、生半可な手段では傷つけることすら難しい。こちらと同じく本来の姿に戻っている以上、その強度はさらに高まっているはずだ。


 このまま、姿が消えたあとどこから攻撃を仕掛けられるのかすらわからない状況では、いずれ致命的なミスをしてしまう可能性は非常に高い。別空間に移動して、奴がどのあたりにいるのかある程度見当がつけられるようになれば、まだなんとかなりそうではあるが――


 だが、別空間にいる存在を追うことができる手段などあるとは思えなかった。


『どうした? 来ないのか?』


 ヨハンの声が響く。その声は余裕に満ちていたものの、一切の油断は感じられなかった。


『一応、それなりに知った仲だ。お互い遠慮などする必要もあるまい』


『遠慮なんて、してないさ』


 どのような攻撃を仕掛けたところで、別空間に入り込まれてしまえば簡単に回避されてしまう。どうにかして、それを阻害する方法を見つけなければならないが――


 これも同じく、あるとは思えなかった。


 敵の力が対処のしようがないものであるからといって、退くことなどできるはずもない。明確に敵対している以上、こちらが生き残るには奴らに打ち勝つ以外ほかにないのだ。


 くそ。大成は心の中でそう吐き捨てた。対処のしようがない力というのはどこまでも厄介なことこのうえない。


 だが、前に進むためにはこれもどうにかする以外できることはなかった。


 どうにかして、突破口を切り開かなくては。


 大成はヨハンへと目を向け――


 ヨハンへと向かって再びその力を放った。

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