第315話 己を欺け

「私があなた方にやらせていただくことは、簡潔に言えば、あなた方を騙すことであります」


 アースラはその声に強い苦しみを滲ませながら言葉を紡ぐ。ここにいる全員の視線が彼へと向けられる。


「私の能力というのは夢や幻を操ることを主眼としております。それは、脳が持つ認識能力に作用して引き起こすものでありますが――厳密に言うとその作用は、脳よりもさらに深いところに作用する力でもある。言うなればそれは、魂などと言われる部分に作用する力なのです」


 全員はアースラの言葉に耳を傾けていた。そこで一度、咳きこんで苦しそうな呻きを上げたのち――


「ですから、私の力によって生み出された幻影は非常に強力です。初見であれば、強力な力を持つ竜であっても確実に騙すことが可能なくらいには。その力を応用し、あなた方の脳よりも深い部分に作用させ、あなた方自身にその在り方の一部を誤認させる。わかりやすく言えば、自身の存在を揺るがしかねないとてつもなく強力な自己暗示を行うのです」


 アースラの言葉を聞き、ティガーたちがざわめいた。


 そう思うのも無理もない。脳よりも深い部分での錯誤など普通に考えれば不可能だからだ。


「当然のことながら、これには相応の危険性があります。なにしろ一部とはいえ、その在り方そのものを否定する以上、下手すればそのまま自己否定に繋がってしまうのですから」


「……もし、それが失敗したらどうなる?」


 グスタフがアースラの言葉に問いかけた。


「一部とはいえ自己の否定ですから、矛盾によって存在できなくなる。わかりやすく言えば、死と同じです。普通に死ぬのとどちらが苦しいかわかりませんが、たぶん楽なものではないでしょう」


 アースラの返答を聞き、グスタフをはじめティガーたちは黙り込んだ。そのまま沈黙が十数秒ほど続き――


「死ぬのと変わらんのなら、俺はそれを実行することは厭わない。俺はあんたが言ったそれに賭けてみようと思う。このままじゃあ俺たちはいずれ、竜たちによって殺されるか自分の身体を奪われるかのどっちかだからな。それなら、失敗したとしても足掻いたほうがいいように思えるが――」


 お前らはどうだ? とグスタフは他の面々に問いかけた。グスタフの言葉には一切の迷いも恐れもないように思えた。


「グスタフの言う通りだ。俺たちにはもう後がない。どちらにしろ死ぬのであれば、徹底的に抵抗したほうが性に合ってるな」


 グスタフの問いかけに真っ先に答えたのはタイラーの仲間であるレイモン。


「確かにそうだ。なにをどうするにしても、俺たちが生き残るには奴らに打ち勝たなきゃならないんだ。俺もあんたのそれに賭けてみようと思う」


 レイモンにパトリックが続いたことで、黙ったまま思案していた他の面々も頷いていった。それを見たアースラは――


「あなた方もなかなかに酔狂な人たちだ。自己の否定を顧みず、私の案に乗るなんて」


「そりゃそうだ。俺たちは危険を顧みずに竜の遺跡の危険地帯に何度も潜っては帰ってきた極めつけのアホどもだぜ。たかが死ぬ程度で躊躇するくらいなら、こんなことを仕事になんてしてねえさ」


 アースラの言葉に返したのは、アレクセイの仲間であったロートレク。


「なにしろ、俺たちが生き残ったのはアレクセイのおかげだ。ここで諦めちまったら、ここにいる奴らを守るためにすべてを投げ出したあいつに向ける顔がねえよ」


 やってやろうぜ、とロートレクがみなを鼓舞した。それを聞いたティガーたちは心の決めたようだった。


「決まりだ。あんたが言ったそれに賭けてみよう。もう一度、俺たちの底力を見せてやろうぜ」


 ウィリアムが総括する。どことなく暗い雰囲気に支配されつつあったこの空間に明るさが戻ったような気がした。


「で、他にはなにか注意事項はあるか?」


「ええ。なにしろこれは通常の認識能力よりもさらに深い場所に作用させるうえに、自己の一部を否定するものですから、成功率を上げるのなら事前の練習はできません。私の能力がもっとも強く発揮されるのは、初見のときですから」


「ぶっつけ本番でやるしかないってわけか。なかなか面白いじゃねえか」


 エリックがアースラの言葉に反応する。


「もう一つは、いつまでもその状態を維持することはできません。長くても二時間程度というところでしょう。無論、私のほうでもできる限り維持できるよう努めますが」


「……思ったほど長いな。二時間あれば、あんたらのほうも大丈夫か?」


 パトリックがこちらへと目を向けて言う。


「やってやるさ。そもそも、やるしかないんだしな。あんたらが戦闘に参加できる二時間以内に、『棺』まで到達してやろう」


 パトリックの問いに大成が返答する。


「あくまでも俺たちの仕事はあんたらが先に行くための道を切り開くことだ。それに成功したら、さっさと後退することにしよう。遺跡の中にいれば、ある程度は安全を保てるしな」


 それでいいか、とウィリアムが皆に問いかけ、同意する。


「決まりだ。それじゃあ早速、準備に当たるとしよう」



 こちらに現れたのは、グスタフ、パトリックとレイモンにロートレクの四名。彼らは、人の身のまま宙に浮かんでいる。その姿を見て、竜夫はアースラの目論見が無事成功したことに安堵した。


『それにしてもすごい量だ。さすが敵の本拠地だけのことはある』


 赤と黒の剣を携えたグスタフの声が響いた。


『格好よくここは俺たちに任せろ――と言いたいところだが、これだけの量だとあんたにも協力してもらわないと難しそうだ』


 レイモンの軽い調子の言葉が聞こえてくる。


『なに。ここにいるのは見たところ数ばっかりの雑魚だけだろう? そのくらいは、なんとかしてやるさ』


 高揚感に満ちたロートレクの言葉が響く。


『というわけだタツオ。俺たちじゃあ戦力としては心許ないかもしれないが、お前が行く道を切り開こうじゃないか』


 パトリックの心強い言葉が響いた。


『いえ……そんなことはありません。あなた方が協力してくれるのなら、これほど頼りになることはありませんから』


 パトリックの言葉に対し、竜夫は率直に本心を告げる。


『どちらにせよ、ここまで来た以上やるしかない。なにがなんでも、あんたを先に行かせやろう。俺たちにできるのはこれぐらいだからな』


 再びグスタフが声を響かせ――


 四人のティガーたちは、こちらを阻む壁のような大量の自律型迎撃兵器へと向かって躍り出た。

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