第310話 人の身で空へ

 光明は見えたものの、それでもまだ確実であるとは言い難い。しかし、確実じゃないからと言って見送ることができる状況でもなかった。ウィリアムたちの能力を信じよう。彼らなら、できるはずであると。


「一つ、訊きたいんだが」


 そこで言葉を挟んだのはロベルトだった。ロベルトはアースラへと目を向け――


「協力してくれるのはありがたいが、あんたはどうみても大丈夫とは到底思えないし、それどころかいまにも死にそうだ。この町を曲がりなりにも救えたのはあんたの手助けがあってのことだってわかってるが、そんな状態の奴を働かせるのはいいとは思えなくてな」


 ロベルトの言葉からは少しだけ気まずさが感じられた。


 そう思うのも当然だろう。なにしろいまのアースラは指で軽く突いただけでも死んでしまいそうな顔色をしているのだ。普通の感性であれば、このような状態の人間を働かせることが正しいとは思えないはずである。


「さっきの話を聞いた限り、あんたの協力がなければどうすることもできないってのはわかっているさ。他に同じようなことができる奴もいるとは思えねえし。それでもまあ、俺としてはあんたみたいないまにも死にそうな奴を働かせるのは心苦しくてな」


 ロベルトはそう言って他の面々を見渡す。誰も言葉を発することはなかったものの、誰もが程度の差こそあれ彼と同じようなことを感じているように思えた。


「あなたの言う通り、私はもう長くありません。遠からず死ぬことは間違いない。そのような人間を働かせることに対し、後ろめたさを感じることもわかります。恐らく私も、別の誰かがいまの私と同じような状態になっていたら、あなたと同じように考えていたでしょうから」


 強い苦しみが感じられる声でアースラはロベルトの考えに同意する。


「しかし、私は安静にしていたところで、残された時間が大きく変わるわけでもありません。なにをしようがしまいが、苦しんで死ぬことに変わりないのです。いまの私には安息などありません。少なくとも、生きている間には。であれば――」


 アースラはロベルトに目を向けたのち、他の面々を一瞥する。


「私は、未来あるあなた方の道を切り開くためにその命を使い果たすほうがいいと思っています。アレクセイ殿のような先のある方が亡くなるより、私のような死にぞこないが犠牲となるほうがのちの損害は小さく済むはずですから」


「…………」


 アースラの言葉を聞いて、ロベルトは押し黙る。なんと言ったらいいのか、わからないのかもしれなかった。


「私を使い潰すことに痛痒を感じる必要はありません。先ほども言いましたが、私はなにをしたとしても苦しんで死ぬことに変わりないのです。どうあがいても死ぬ人間なんて有効活用するべきだと思います。あなた方が未来を勝ち取れるのであれば、それほど嬉しいことはありませんから」


 アースラは苦しみの滲む声で、はっきりと言葉を紡ぐ。そこにはわずかな迷いすらも感じられなかった。


「本当に……それでいいのか?」


 アースラの言葉を聞き、ロベルトはあらためてアースラへと問いかけた。その問いかけに対し、アースラは「ええ」と短くはっきりと返答する。


「……そうか。納得したわけじゃあないが、俺じゃああんたの決意を覆すことはできそうにない。お前らはどう思う?」


 ロベルトは他の面々に問いかけた。


「……いまのやり取りを聞いた限り、俺もあんたのことを曲げることはできそうにないな。なにより、他に有効な手段があるわけでもない。個人的には俺も、死にかけの人間を働かせるのはあまり気が進まないが、あんたの意見を尊重しよう」


 ロベルトの言葉に反応したのはウィリアムだ。ウィリアムは改めて他の面々に対し「それでいいか?」と問いかける。わずかな間を置き、それぞれその問いに対して頷きを返した。


「その代わり、作戦決行まで死なないくれよ。あんたが死んじまったら、そもそも成立しなくなっちまうからな」


 いまのように、特定の誰かに依存しきった作戦というのは、本来であれば下策なのだろう。本来であれば、アースラがいなくても回せるようにしておくべきであるが――なにもかも限られた状況でそのようなことができるはずもなかった。


「当然ですとも。化けて出ても、あなた方の道を切り開くつもりです。それぐらいの執念は持ち合わせていますから」


 アースラの言葉に対し、ロベルトは「そりゃあ頼もしいな」と軽い調子で返答する。


「それじゃあ、なにか他にあるか? ないなら、さっさと始めよう。俺たちに残されている時間はあまり多くないからな」


「一つ、いいですか?」


 ウィリアムの問いかけに対し、リチャードが言葉を発する。


「あんたの身体の状態を診させてもらえないか? 確実とは言えないが、俺ならあんたの苦しみを緩和させるものを創れるかもしれないからな。嫌なら、強制はしないが」

 リチャードはティガーとなる以前は大学で薬学を学んでいたという話だ。ある程度医学に関する知識もあるだろう。そして、竜の力による毒物作成能力を駆使すれば、苦痛を緩和する薬品のようなものを創ることも不可能ではないはずだ。


「とは言っても俺は医学に関しては専門じゃねえから、診てもらうのはここに常駐している医者だけどな。それを元に、俺があんたの苦しみを緩和できるものを作成しよう。なにもしないよりはいいだろう」


 リチャードの言葉を聞き、しばしの沈黙を挟んだところで、アースラは「お願いします」と言葉を返す。


「このところ、厳しい状態になっていましたから、重要な場面で集中を切らしてしまうかもしれません。それを避けるために、できる手は尽くしておくべきでしょう」


「そうか。じゃあ早速こっちに来てくれ。こんなところに常駐してる変人だが、腕はいい」


 リチャードはアースラを引き連れてテントの外へと出ていく。二人の姿が見えなくなったところで――


「じゃあ、俺たちも準備を始めよう。あんな状態になってまで俺たちに協力してくれる奴がいるんだ。それを無下にするわけにもいかないからな」


 ウィリアムはそう言って手を叩いた。


「やれることをやろう。俺たち人間の力を竜どもに見せてやるために」

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