第292話 人らしくあるために

 奴を討ち倒すためには、なにかが必要だ。いまのまま戦いを続けたとしても、決定打に欠けている以上、不利なのはこちらである。ここを生き延びるのであれば、それをなんとしてもつかみ取らなければならないが――


 それはいまだに見えてこない。


 だが、歩みを止めるわけにはいかなかった。ここで退いてしまったら、自分の命だけではなく、多くのものも失うだろう。誰にだって、退いてはならない時が存在する。いまの状況は、間違いなくその一つであった。


「どうした異邦人。ついに諦める気にでもなかったか?」


 アンリだったものが言葉を投げかけてきた。その調子は奴が余裕であることをはっきりと証明している。


 それも当然だ。奴はまだ自身を揺るがすようなダメージを受けていないのだ。一度腕を斬り落としたものの、いまの様子を見る限り、そのダメージが後に引いていないのも明らかであった。奴の再生能力がどれほどのものかは不明だが、致命傷となるような傷を負わせても再生できるとなったら、さらに状況は厳しいものになってしまうが――


 それでも、諦めるわけにもいかなかった。この町を、大切な人たちを守るのであれば、立ちはだかる奴を倒さなければそれを成し遂げることだって不可能だ。


 竜夫は刃を構え、小さく息を吐いた。


「……まだ諦めるつもりはないということか。いいだろう。抵抗する自由くらいは認めてやる。だが――」


 そこで一度言葉を切り、アンリだったものは竜夫へと異形の双眸を向けた。


「抵抗したことを後悔させることもまた我々の務めでもあるだろう。私は貴様に恨みなどないが――貴様にはいくつも煮え湯を飲まされているからな。容赦なく潰させてもらおう。我らの未来のために」


 一瞬、無言があたりを貫き、すぐさま竜夫とアンリだったものは動き出した。互いが動き出した地点からちょうど中間地点あたりで激突。


 竜夫の刃とアンリだったものの硬化した腕がぶつかり合う。衝突と同時に、重く硬い感触が刃を持つ両手に響き渡る。こちらに傷つける手段があることをわかっていながら、一切の躊躇がない踏み込み。アンリの身体を奪った竜がどのような存在か不明だが、その躊躇のなさから察するに、やはりいままでの刺客たちと同じように戦うことを生業としていたのだと思われた。


 竜夫の刃とアンリだったものの腕が幾度もぶつかり合う。ぶつかるたびにこちらの刃が刃こぼれをしていくのに対し、アンリだったものの腕はわずかな傷すらつくことすら叶わない。まさしくそれは絶対的な防御。どこまでも硬く、重いものであった。


 さらに五度アンリだったものの腕を防いだところで、竜夫の刃に亀裂が生じる。竜夫はアンリだったものの拳を砕けそうになった刃で防ぎつつ後ろに飛び退いた。攻撃を防ぐと同時に竜夫の刃が砕かれる。砕けた刃を手放し、すぐさま次の刃を創り出した。


 奴を倒すのであれば、極薄の刃を使用する以外に選択肢はない。だが、極薄の刃は切れ味こそ他の追随を許さないものの、極めて強度が脆く、このような打ち合いの際に使用するのは不可能だ。下手に焦ってそれを使えば、刃ごとこちらの身体を破壊される恐れもある。どうにかして切れ味と強度を両立させたいところであるが、戦いながらそれを構築するのは難しい。


 一度でもミスをすれば命取りになりかねない状況でありながら、こちらからは打開しうる手段をなかなか使えないというのはとてつもなく苦しいものであった。いつまで耐えればいいのだろう? この状況をいつまでも続けられるとは思えなかった。


 さらに打ち合いは続く。住民を竜の遺跡へと非難させて、静かになった町に打ち合う音だけが響き続ける。響き渡るその音はどことなく嫌なものを想像させるものであった。


 打ち合い、アンリだったものの攻撃を凌ぎながら、竜夫は嫌な想像をするなと自分に言い聞かせた。


 こちらの弱気を相手に察知されれば、さらに押し込まれてしまうだろう。攻め手を欠いているこの状況でそれは命取りにもなりかねない。


 攻め手を欠いているのだとしても、止まるわけにはいかなかった。わずかでも止まってしまったら、その場に留まることすらできなくなる。竜夫は歯を食いしばりながら、アンリだったものとの打ち合いを続けていく。


 こうやって攻め込まれていると、極薄の刃を使うことも難しい。向こうも攻め込んでいる状況であれば自身を殺しうるものを使えないことをわかっているのだろう。であれば、この状況を打開するのなら、攻め込み続ける奴を止める手立てが必要である。


 しかし、こちらの攻撃手段の多くを無傷で受け止められるアンリだったものを相手にして、そんなものを生み出せるものがあるはずもない。その隙を作るのであれば、奴の強度を揺るがすような火力が必要だ。それを生み出すのには、相応の準備が必要になる。こうやって攻め込まれている状況で、それをさせてくれるとは思えなかった。


 くそ。どこまでいっても打開策となり得るものが見つからない。こんなところで、やられるわけにはいかないのに――


 アンリだったものの攻撃を受け、再び刃が破壊される。破壊されると同時に後ろに飛んで距離を取った。再度構え直したところで――


 アンリだったものの動きが止まった。一瞬、なにが起こったのかわからなかった。だがそれは、明らかに不自然な停止。


 竜夫はアンリだったものに目を向ける。奴は驚愕の表情を浮かべていた。


「おのれ人間! 私の邪魔をするつもりか!」


 アンリだったものが怒号を上げる。それは間違いなく想定外の出来事が発生した証明であった。その言葉と同時に、アンリだったものの身体を包んでいた黒い異形が消えていく。


「坊や!」


 声が聞こえる。天を衝くような鋭い声。その声は間違いなく、老婆であるアンリもの。


「こいつの動きを止めてやった。遠慮はいらない。さっさとあたしを殺しな! いつまでこうしていられるかわからないからね!」


 その声から感じられるのはとてつもなく強い意思。多くを悟り、覚悟を決めたものの声。その声を聞き、竜夫はアンリへと近づいていく。


「人間め! どこにそんな力を隠していた! 邪魔をするな!」


 アンリだったものの声が響き渡る。その声は、いままでの戦いでは一度も見せたことのないものであった。


 アンリの身体は硬直しつつも、わずかに痙攣していた。それは二つの意思が身体の所有権を争っているのだろう。


 竜夫はさらに近づいていく。


「あたしを放置したのが命取りだったね! あたしの身体をあんたの好きにさせるものか! あたしは往生際の悪いクソ婆だからね!」


 自分を殺せと言っておきながら、その声に悲壮感は一切感じられなかった。


「あたしは人間だ! 竜なんぞの指図は受けないよ!」


 竜夫はアンリへと接近し――


 動きを止めたアンリの頭部へと向かって――


 刃を振り下ろした。


 竜夫の刃はアンリの頭部を刺し貫く。


 その瞬間、アンリが見せたのは不敵な笑み。その笑みは、彼女がどのような人間であったのかを語るものであった。


 竜夫はアンリの頭部を貫いた刃を引き抜く。


 引き抜くと同時にアンリは血を流しながらゆっくりと崩れ落ちた。その身体が動き出すことは二度となかった。


 死の瞬間、アンリがどのようなことを考えていたのかはわからない。だが、覚悟を決め、最期まで人であろうとしたことは間違いなかった。そうでなければ、あんな笑みを見せることなんてできないだろう。


 あんたのところに多くの人間が集まっていた理由は少しだけわかった気がする。最期まで人であろうとしたあんたは、なによりも尊いものだったのだろう。


「……祈るのはあとだ。まだ――」


 終わってない、そう思った瞬間――


 あたりに激震が走った。

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