第288話 もうひとつの天啓

 前へと踏み出し、かつての妹へ接近した大成は直剣を振るう。


 倒しうる手段は見つけたものの、それを行うには布石を必要とする。奇襲の類が上手くいくのは一度きりだ。しっかりと機会を見極めなければならない。


 大成の直剣は当然のことながら錆に阻まれた。柔らかい固形物を叩きつけたような感覚。力任せに殴りつけただけで破壊できるものではなかった。


 まずは、あの錆をどうにかしなければ。わずかな時間でも構わない。ほんのわずかでもあの錆を消し去ることができれば、光明は見えるのだが――


 かつての妹を守る錆はとてつもなく頑強だ。極めて強い剛性を持ちながら、流体に近いそれは、多くの物理的衝撃を無効化してしまう。力でどうにかできるものではない。


 とはいっても、あの錆も完全無欠ではないはずだ。どこかに必ず穴がある。それさえ見つけられれば――


 大成の直剣を捌いたかつての妹は後ろに飛んで距離を取ったのち、錆を矢の形に変えて放ってくる。その数は五。あの錆が体内に入ったらかなり厄介だ。こちらは死からも復活を可能とする再生力を持っているので錆が身体の中に入り込んでも、しばらくは耐えられるだろうが、自身の身体に有害であることは間違いない。戦いにおいて、わずかな差が勝敗を決することは珍しくないのだ。不安要素はできる限り排除しておくことが望ましい。


 一発目の矢を直剣で打ち落とす。直剣で打ち落とされた矢は地面に叩きつけられて潰れた。こちらを殺傷できる程度の強度はあるが、それほど硬いものではない。


 二発目と三発目が飛んでくる。大成は二発目をかわし、三発目の軌道を逸らして難を逃れた。回避された矢はそれぞれ軌道の先にあった建物に衝突し、潰れて地面に落ちる。潰れて地面の落ちたそれは、衝突した部分を侵食するかのようにじわじわと音を立てていた。


 四発目を直剣で叩き落とし、五発目を最小限の動作で回避したのちに大成は前へと出てかつての妹を追撃。


 かつての妹は濁流のごとき錆を放ってくる。少しでも巻き込まれれば、その物量によってそのまま身体を持っていかれてしまうだろう。そうなったとしたら、錆を全身で浴びることになる。確実に命を一つ失う羽目になるだろう。命の消費を必要以上に恐れるのは厳禁だが、同時に浪費するのも厳禁である。いままでの戦いで消費され、残りはあと一つだけなのだ。それを使うのであれば、できる限り意味のある形にしなければならない。


 大成は飛び上がって錆の濁流を回避。かつての妹の上を取った大成は直剣を伸ばして攻撃。鞭のようにしなやかな刃がかつての妹を襲う。


 しかし、次から次へと際限なく生み出される錆によってまたしても阻まれる。相当数の錆を生み出しては消費している以上、奴もそれなりに消耗しているはずであるが――それはまったく見えてこなかった。かつての妹は変わることなく余裕の表情を浮かべている。その表情は否応なしに脳内に強く刻まれた偽りの記憶を思い起こさせるものであった。忌々しいながらも、どこか懐かしい偽りの記憶。呼び起こされるたびに大成はそれを否定して振り払う。強く振り払っても、消えてくれることはなかった。


 攻撃を防がれた大成は伸ばした直剣を近場の建物へと突き刺し、それを収縮させてその場を離脱。地面へと降り立つ。その距離はおよそ十メートル。


『ブラドー』


 距離を取った大成は相棒へと話しかけた。


『奴はどれくらい消耗している? さっきから、相当量の錆を消費しているようだけど』


 いくらなんでも、無限ではないはずである。竜の力は強大だが、有限なる世界に存在している以上、無限であることはあり得ない。


『どうだろうな。俺は探知の類に優れているわけではない。正直なところ奴がどれくらい消耗しているかなどはっきりとはわからんな。いままで使ってきた量を考えれば、それなりに消耗しているはずであるが――』


 安易にそれをこちらに見せるようなヘマはしないだろうな、とブラドーは言葉を続けた。


『恐らく、相当に追い詰められていたとしても、奴は余裕そうにしてみるだろう。戦いにおいて余裕そうにしているのはそれだけで相手に対し圧力をかけられるからな。それらしいものを見せるとしたら、こちらが奴の想定を上回るか、奴がこちらを陥れようとするときだろう』


 かつての妹に化けている奴も、プロフェッショナルということなのだろう。一筋縄ではいかない相手。である以上、こちらも出し惜しみをしている場合ではないが――


 奴に有効なカードが見えてこない以上、むやみやたらに消費するわけにもいかない。こちらだって限界は存在するのだ。持てるカードを的確に使えなければ、物量に優れている奴が有利であることは疑う余地もない。


 どうする?


 かつての妹と睨み合いながら、大成はそれについて考えた。圧倒的な堅牢さを誇る錆による防御をわずかでも無効化する方法。それさえ見つかれば、勝機は見えてくるのだが――


 やはり、いくら考えても相当の消耗を覚悟しなければ、奴を倒すのは非常に困難だ。場合によっては、残り一つとなった命を消耗する必要も出てくるだろう。


 そこまで考えたところで――


『ブラドー、また一つ訊きたいことがあるんだが』


 大成はそう問うと、ブラドーはすぐさま『なんだ』と返してくる。


『こういうのはできるか?』


 先ほど思いついた意見をブラドーへと告げる。それを聞いたブラドーは――


『できる、が――いまの状態では量が足りないな。なにしろ奴の防御能力の高さは、膨大な量の錆を生み出せることが要因だ。わずかな時間でもそれを割るのであれば、こちらもそれなりの量が必要になってくる』


 量を増やすということは、即ち自分の血をさらに多く消費することでもある。大量に血を消費するのは、下手をすれば命を一つ消耗する可能性さえもあることだが――


 前に進むのであれば、その危険も踏み越えていかなければならないのだろう。


 もとよりここをどうにかできなければ、前には進めないのだ。命を一つ消費して前に進めるのであれば、それほど高いものじゃない。


 大成は小さく息を吐き――


 命を賭して再び前へと踏み出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る