第286話 毒牙
「させるか!」
白衣の男から流れ出したなにかは、タイラーが創り出した岩塊によって阻まれた。毒々しい色をしたそれは通る場所すべてを呑み込むかのように侵食していく。タイラーが創り出した頑強な岩塊も例外ではなかった。
しかし、頑強なはずの岩塊は蒸気を発しながら急速に溶けていく。恐らくばら撒かれたのは強い酸性を持つ物質であろう。である以上、それに触れなくとも、その蒸気を吸い込むだけでも有害だ。できるだけ吸い込まないようにするべきであるが――
毒物に耐性のある自分は多少吸い込んだくらい程度であれば耐えられるが、他の仲間はそうではない。竜の力を得ていたとしても人間である以上、いつまでも呼吸を止めてはいられないからだ。
タイラーの岩塊でばら撒かれた物質には触れることなく耐えられたものの、ばら撒かれた際に発生した蒸気の影響はまだ残っているらしかった。身体の中を焼かれるような痛みが走る。この状況では、まともに戦ってなどいられなかった。
「レイモンさん! このままだと呼吸もままならないんで、この辺の空気を思い切り吹き飛ばしてください!」
リチャードの言葉を聞き、レイモンは返答よりも先に能力を使用。常人であれば空高く打ち上げられてしまいそうな突風を巻き起こし、あたりに漂っている蒸気を思い切り吹き飛ばした。
レイモンのおかげで、なんとか呼吸ができる程度には滞留していた強い酸性の蒸気を吹き飛ばすことができたものの、根本的な部分で状況が変わったわけではなかった。奴の能力を駆使すれば、先ほどと同じことをするのは容易い。奴の能力は、多数の敵を相手にするときほど効果的だ。長期戦になればなるほど、こちらだけがどんどんと不利になっていく。
タイラーが地面から鋭利な岩塊を発生させた。人の身体など容易に蹂躙する暴力が白衣の男に襲う。
だが、白衣の男は冷静であった。戦闘が不得手であるというのが信じられないほど軽やかな動きを見せ、タイラーが発生させている岩塊を回避していく。避けられるものは避け、時おり融解剤を使用して次々と襲いかかってくる岩塊を処理。その動きは見事としか言いようがないものであった。
岩塊を避けたところを狙って、パトリックが呼び出した幻影が襲いかかる。それは幻影とは思えないほどの実態感を持った影であった。幻影は手に持った剣を白衣の男に向かって振り下ろす。
それでも白衣の男を止めるには至らない。パトリックが呼び出した幻影を認識した瞬間、白衣の男の動きが明らかに変貌する。その動きはまるで、奴だけ時間の流れが速くなったかのようであった。それは間違いなく、奴自身が創り出した薬物による身体強化だ。こちらが見ていた限り、攻撃を回避していた奴がそれ以外の動きはしていなかったはずである。となると、奴は自分自身に創り出した薬物の影響を発生させる場合は、予備動作もなく、ほぼ瞬間的にそれを服用できるのだろう。なかなか厄介な能力であった。
そこにレイモンの風の刃が襲いかかる。いくつもの不可視の刃が岩塊と幻影とともに白衣の男へと迫った。それは一切の回避を許さない包囲網。通常であればこれを回避、あるいは受け切ることはできなかっただろう。
だが、白衣の男はそれを自身の身体で受け止める。先ほども見せた身体の硬化。再び自分自身の身体に創り出した薬物の影響を瞬間的に及ぼしたのだろう。岩塊を、幻影の持つ剣を、不可視の風の刃をその身で受けた。
「いまのはなかなかだ。身体を硬化できていなかったら、やられてしまっていただろう」
三つの攻撃をその身で受け止めた白衣の男は幻影を押し返し、岩塊を融解させたのちにレイモンに向かって小瓶を投げつけた。
レイモンは投げつけられた小瓶を、風を操って大きく上へと弾き飛ばしたのちにその場から離脱。少しの時間を置いて小瓶が落ちてくる。小瓶が割れると同時に、あたりには鼻を衝く刺激臭が広がった。
離脱したレイモンは小瓶が割れてあたりにまき散らされた蒸気を、風を操って上へと吹き飛ばし、霧散させる。その後に風の刃を白衣の男へと叩きつけた。
「……空気を操れるというのは、厄介な力だ」
白衣の男は、レイモンが叩きつけた風の刃をまるでそれが見えているかのように回避。その動きは近接戦闘を不得手としているとは思えないほど鋭い動きであった。
「まずは貴様から始末をするべきか。できれば生きた状態で確保したいところであるが、それをやった結果足もとを掬われてしまってはなにも意味がない」
風の刃を回避した白衣の男はレイモンに接近。至近距離へと入り込んで貫手を放った。
レイモンは能力を駆使して風を滑るようにして高速移動し、白衣の男の貫手を回避。白衣の男の上を取った。風の刃を放つ。
レイモンが上を取ると同時に、先ほど押し返されたパトリックの幻影が接近。白衣の男に向かって剣を振り下ろす。風の刃と幻影の剣が挟み込むようにして白衣の男を襲う。
「見事。だが――」
そう言った瞬間、白衣の男は急加速し、その場を離脱した。幻影が振り下ろした剣も、レイモンの風の刃も空を切った。
男が急加速して離脱したその場に、リチャードはいくつかの小瓶を投げつけた。それは、男の頭上で砕け――
砕けると同時にそれは発火。炎が男を包み込んだ。
リチャードが投げつけたのは常温でも自然発火する物質と、その発火を促進させる物質だ。一度火が点けば、その身体が焦げて炭になるまで燃え続ける危険な物質の組み合わせであった。同時に強い毒性も持っている。これをまともに食らえば、生きていられるようなものではないが――
レイモンの能力で発生する毒性の蒸気を押し返してそれから身を守りつつ、四人はそれぞれ白衣の男へと目を向けた。
発生した火は異臭を放ちながら燃えていたが――
「こちらの動きを読まれるとは。油断はしていないつもりだったが、そうではなかったらしい。少しばかり気をつけなければならんな」
その言葉とともに、白い煙が発生。その瞬間、奴を包んでいた火が消え、その姿が見えなくなる。
数秒経過したところで、白い煙が消えた。
白衣の男は火だるまになっていたのもかかわらず、なおも健在であった。さすがに無傷とはいかなかったが、それでも被害は小さかった。
あれだけ手を尽くしても、倒しきれないどころか、軽微な損害しか受けていないのは脅威だ。
「どうやら貴様は毒物の類が利かなくとも、発火などは防げないと思っていたようだな。それは正しい。毒には耐性があるからといって、火や酸に耐性があるわけではないからな。だが、それくらいこちらもわかっていることだ。燃やされて耐えられる手段くらいは持ち合わせている」
白衣の男の声から、はっきりと余裕が感じられた。奴にとって、この程度はまだ脅威とは言えないらしかった。
奴がどのようにして火だるまになってもなおほとんど傷を負わなかったのかは不明である。恐らく、なんらかの薬物の作用を自分の身体に影響させて耐えたのであろうが――なにをどうすればそんなことができるのか皆目見当もつかなかった。
「さて、仕切り直しだ。まだ続けるか? 諦めるというのであれば、その意思は尊重しよう。私はこれでも、他者の意思を尊重するほうなのでね」
白衣の男の言葉に、誰も返答をしなかった。その沈黙が意味するものは、言うまでもなかった。
「そうか。それならばそれで構わぬ。抵抗するのも権利の一つであるが――それを選択したことを後悔させるのも役目か」
燃やしても駄目だったことを考えると、酸などを使っても同じ結果になるだろう。どうにかして、奴を出し抜かなければ、倒すことはできないが――
奴に効きうる毒は一つだけ持ち合わせているものの、それはあまりにも危険な性質なので、仲間がいる状態で気軽に使うことは難しい。だが、それ以外奴を出し抜ける手があるとも思えなかった。
どうにかしなければならないが――
混沌の渦はまだ止まらない。
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