第265話 町を守れ

「それは……本当か?」


 アレクセイの言葉を聞いた大成は立ち上がり、彼のもとへと近づいた。


「この状況でそんな馬鹿みたいな嘘を言ってどうする。なにかとんでもない事態が起こっちまった以上、どうにかしなきゃならん。お前らがいると思ってここに戻ったわけではないが――いたのなら協力しろ」


「俺たちとしても見過ごせない状況だ。で、そっちはどういう状況で起こった?」


「奴の仲間と交渉していたとき、店のすぐ近くの外でそれが起こった」


 アレクセイはウィリアムに一瞬だけ視線を向ける。


「あまりにもあり得ない光景だったから、はじめはなにかの冗談かと思ったが――奴の仲間も俺と同じものを見ていたようでな。それがお前らのところでも起こったってなると、性質の悪い幻覚の類ってわけなさそうだが――」


 そう言ったアレクセイの言葉からは、やはり困惑が見て取れた。なんの前触れもなく人間が一人溶けて消えるなど目の前で見たとしても信じられないのは同感である。こちらだってそれは同じだ。


 だが、目の前で起こったあれは、幻覚であったとは思えないほど強さがあった。紛れもなく現実であることを訴えかけてくる言葉にできない強さ。否定したくとも否定できないものであった。


「そっちの様子を見た限り、いま起こったこれはお前らにも予測し得なかった事態ってことなんだろう。くそ、なにが一体どうなってやがる」


 苛立ちが混じった言葉をアレクセイは吐き捨てた。なにか起こっているのは間違いないが、それがなにによるものか一切わからず、動くに動けない状況であった。状況としては、一番陥りたくない状況である。


 なにが起こっている? 人間が溶けて消えるなど、明らかに尋常ではない。この町では、間違いなくいまこの瞬間、なにかが起こっているはずである。しかし、それがなんなのか、まったく見えてこない。


「苛立つのわかるが、落ち着け。焦るのもわかる。苛立つのも同感だ。だが、ここで俺たちが焦り苛立ったところで、なにか状況が変わるわけじゃない。俺たちが冷静さを欠けば、より悪い状況へと転がるだろう」


 ウィリアムの言葉を聞いたアレクセイはわずかに歯を軋らせたのち「気に入らんが、てめえの言う通りだ」と低い声で返答する。


「この状況について、ウィリアムさんはなにかわかることはありますか?」


 氷室竜夫がウィリアムへと問いかける。


「正直なところ、わからん。起こったことがあまりにも唐突で、突拍子もなさすぎたからな。それでも、一つ確実なことがある」


 ウィリアムはそう言い、小さく息をつき――


「これが、この町で起こっているということだ。俺にはなにかが、この町を対象とした結果、そこにいた者が影響を受けているように思える。だとすると、やることは一つだ」


「住民を避難させる……ってことか?」


 ウィリアムの言葉に対し、大成がそう返すと、真剣な表情でウィリアムが頷く。


「だが、どこに避難なんて。町そのものを対象としているのなら、どこに隠れたって――」


 そう思ったところで、気づく。


 この町にある特異な存在に。


「あんたが思っている通り、竜の遺跡だ。あそこなら町の住民の相当を避難させられる広さがある。いま起こっているあれが、この町を対象としているのなら、異空間である竜の遺跡であればその影響を逃れられる可能性が高い。というか、いまからでもできそうな避難手段が、それくらいしかないんだが」


『どう思う?』


 ウィリアムの言葉を聞き、大成はブラドーへ意見を求めた。


『奴の言う通り、俺たちの目の前で起こった人間の消失が、この町に対して行われたなにかによって引き起こされたものであるのなら、被害を減らすのであればこの町から逃れるのが一番であろう。奴の言う通り、竜の遺跡は異空間だ。ここで起こっているなにかの対象がこの町であるのなら、異空間であるあそこであればその影響を逃れられる可能性が高い』


 ブラドーは淡々とした声を響かせる。


『それになにより、この町全域に影響を及ぼすような広範囲のものであったのなら、仕掛けられた時期によっては、俺たちが察知できなかったのも納得だ。であれば、俺たちがここに来る前にはすでにこの仕掛けの元は設置されていたのだろう。なにしろここは、竜の遺跡に近いせいで探知ができにくいからな』


 なかなかやってくれる、と忌々しげな声を響かせた。


『じゃあ、この現象がこの町を対象とした結果起こっているのなら――』


 そこで氷室竜夫の声が割って入ってくる。


『お前の言う通りだ。子供たちやあんたの連れもヤバい。あまり考えたくないが、もう起こっている可能性さえあるだろう』


 氷室竜夫の言葉に対して返答したブラドーの言葉は、冷静さは保っていたものの、深刻さがはっきりと感じられた。


「アレクセイさん、ウィリアムさん」


 氷室竜夫の声を聞き、二人は彼に顔を向ける。


「もしこれがウィリアムさんが言った通りなら、僕には守らないといけない人がいる。まずは、その人たちを避難させるてもいいですか?」


 氷室竜夫の言葉を聞き、アレクセイが鋭い目を向ける。


「いいだろう。守りたいのがいるのなら、そいつらを優先しろ。他の奴らのことはそっちが済んでからで構わん」


「いいん、ですか?」


 アレクセイの言葉が意外だったのだろう。アレクセイの言葉に返した氷室竜夫の声からは驚きが感じられた。


「構わん。二度も言わせるな。守りたいのがいるのに、他の奴らを優先させた結果、お前が守りたかったものを守れず、お前の士気が下がったらこっちとしても迷惑だ。わかったのならさっさと行け。ここで起こっているのがウィリアムが言った通りなら、なにが起こっても不思議じゃないからな」


「……ありがとう、ございます」


 氷室竜夫はそう言い、小さく頭を下げたのち店の外へと出た。


「で、お前はいいのか? お前も奴と一緒に来たんじゃないのか?」


「なんの罪もない女子供だから守れるのなら守ってやりたいが、状況が状況だ。二人そっちに行くのはあまり得策じゃないだろう。奴はああ見えて頼りになるからな」


「……ならいい。じゃあ、存分に動いてもらうぞ」


 アレクセイの言葉に大成は頷いた。


「ジョン。いまのを聞いていたな。お前も逃げろ。一人じゃいけねえってのならついていってやる」


「いや……大丈夫だ。あんたには世話になってるからな。この状況で迷惑はかけたくない。竜の遺跡に行けばいいんだな?」


 ジョンと呼ばれた男は、カウンターを飛び越えてこちらへと来た。


「……昨日今日あったばかりのあんたにこういうのはどうかと思うが、頼む。この町は俺にとっては故郷みたいなもんなんだ。できるだけ多くの人間を助けてくれ」


「最善を尽くそう」


 大成の言葉を聞き、ジョンは頷いた。彼はそのまま店を出る。


「よし、じゃあ俺たちも動こう。あんたらの仲間はどうしている?」


「俺と奴の仲間はもうすでに地上に出ている。すぐにでも動ける状況だ。他の奴らも動員させるつもりだが、なにぶん状況が状況だ。どれだけできるかは未知数だな」


「とにかく、動くしかないってことだな」


 大成がそう返すと、アレクセイは「ああ、そうだ」と力強い言葉を返した。


「じゃあ、行こう。悠長にしていられる時間はなさそうだしな」


 大成の言葉を聞いたアレクセイは頷き、店の扉を開けた。


「それじゃあ、また」


 その言葉の直後――


 店を出た三人はすぐさま動き出した。

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