第242話 新たなる予兆
「どうして俺が……」
そうぼやきながら、アンドレイ・サルコフは辺鄙なところにある街道を進んでいた。アンドレイはいま、仲間内でのちょっとした賭け事に大負けし、遺跡の探索に必要となる備品の買い出しへと向かっていた。普段であれば拠点としているカルラの町で済ませているのだが、今回必要になったものは大きな街に行かないと補給できないものであった。せっかく探索がひと区切りついて地上に戻ってきたというのに、買い出しなんぞに時間を使われるとは。自分自身、この道具が必要であることは承知しているのだが、だからとって面倒なものは面倒である。
「しかも、どうなってるんだ? 馬車が全然通ってねえし」
竜の遺跡への入口があるカルラは都市部から離れたところにあるが、竜の遺跡で一攫千金を夢見る者や、学術的な調査で竜の遺跡に足を運ぶ学者やらが頻繁に訪れるところである。小さい町でありながら、人の出入りはそれなりに多い。普段であれば、少し街道を進んでいけば、カルラとローゲリウスの間で定期的に走っている馬車がすぐに見つかるのだが――
どういうわけか、今日はそれがまったく見当たらない。そのうち見つかるだろうと思って歩いていたら、一向に馬車と遭遇することなく、かなりの距離を進んでしまっていた。なにか問題があるのなら――
アンドレイは足を止めて空を見る。
そこに浮かんでいるのは、なにやら仰々しい城のような巨大建造物。方角からして、あれが浮かんでいるのは帝都のほうだ。自分たちが遺跡に潜っている間に、地上ではなにがあったのか? かなりの距離があるのも関わらず、ここからでもはっきりと見えることを考えると、とてつもなく大きなものなのだろう。どこから現れたのかは不明だが、あんなものが突如として現れたら混乱が起こって当然だ。普段なら定期的に通っているはずの馬車の姿がまったく見えないのは、あれが原因なのだろうか?
「まったくついてないな」
馬車が通っていないとなると、かなりの時間がかかることになる。アレクセイに連絡をしたいところではあるが、こんなところに電話などあるはずもない。アレクセイに連絡をするなら、一度戻ったほうが早いだろう。まだ実際のところは不明だが、あれだけ頻繁に行き来していた馬車がまったく通っていないのは少し異常である。これもしっかりと仲間たちにも共有しておくべきだろう。今回の買い出しが終われば、また遺跡に潜るのだ。遺跡の危険な地区に入るときには、事前の準備が非常に大切である。事前の準備を怠った結果、危険な地区から帰ってこなかったティガーも数多くいるのだから。
一度、カルラに戻り、わかる範囲で仲間たちに状況を伝えておこう。死と隣り合わせのこの仕事において慢心は禁物である。気になることはしっかりと伝えておくべきだ。
踵を返してきた道を戻ろうとしたそのときであった。
向かい側から、男が一人歩いてくるのが目に入った。若いようにも見えたが、年齢はよくわからない。見た覚えのない顔だったが、少し気になるところがあった。それは、一切手荷物をなにも持っていなかったこと。カルラに来る人間は大抵それなりの荷物を抱えてやってくる。手ぶらで観光しに来るところでもないが――
妙ではあったが、警察でもなんでもない自分が気にすることでもないだろう。おかしな奴などどこにでもいるものだ。そんなものをいちいち気にしていたら、ティガーなどやっていられない。
「お前は……」
通り過ぎようとしていた男がアンドレイの前で足を止め、こちらに目を向けてきた。
相対したその男から感じられたのは、異様な圧迫感。遺跡の危険な地区を徘徊している強力な警備兵器たちとは比べものにならないほど強いもの。
「……なんだお前は。なにか用か?」
男から放たれる異様な圧迫感にたじろぎつつも、アンドレイは警戒をしながら言葉を返す。
「…………」
しかし、男はアンドレイの質問には答えない。異様な圧迫感を放ちつつ、こちらのことを舐め回すかのように視線を向けていた。数秒ほどこちらに視線を向けたところで――
「話で聞いた通り、確かに我らの力が感じられるな。だが、それは我らと違って限られたもののようだ。戦力としてはそれほどではないが――検体としては有益だろう。価値としては充分か」
「あ? てめえはなにを言ってやがる」
アンドレイは一歩前に踏み出して突如としてこちらに対しわけのわからないことを言ってきた男に接近。首をつかもうとしたが――
男はアンドレイの手を振り払った。
「……意外と好戦的だな。多少とはいえ力を持ったことが原因か? それともたまたま貴様がそういう性質をしているだけか。どちらなのかはわからんが、どちらでも構わんな。お前がどのような性質であったところで、私がやることは同じだ」
アンドレイの手を振り払った男は淡々と言葉を告げる。その言葉は冷たく空虚なものだった。それはまるで、こちらのことなどまったく見ていないかのよう。
「貴様にはなにも思うところはないが、とりあえず捕獲しておこう。都合よく、ここならば誰かに見られる様子もないしな。抵抗できぬよう、死なない程度に痛めつめるとしよう」
男がそう言った直後、空中に黒い渦のようなものが出現し、そこに腕を突っ込んで――
そこから男の腕が振るわれる。
それを見たアンドレイは反射的に後ろへと飛んで男から距離を取り、振るわれた男の腕を回避し、すぐさま自身の獲物である十字槍を取り出した。
「なかなかいい反応だ。その動きを見たところ、それなりの経験と実力があるようだな。悪くない。他の個体も、貴様と同程度ならばかなり有益な存在であるが」
黒い渦から手を引き抜いた男が持っていたのは、なんの変哲もない棒きれ。だが、その棒切れからはただならる気配が感じられた。なんだこいつは。一体なにが起こっている? 予想だにしなかった事態にアンドレイは困惑する。
「てめえは……なにもんだ?」
「何者かと問われると答えるのは難しいな。だが、私が何者であったとして、それは貴様には関係ないことだ。私に答える義務はなく、貴様に知る権利もない」
異様な気配がある棒切れを携えたまま、男は一歩踏み出してくる。奴からは人とは思えないほどの迫力が放たれていた。それは紛れもなく圧倒的な強者が持つ迫力。十年以上遺跡の危険地区に潜ってきたが、これほどの迫力を持った存在を目の当たりにしたのははじめての経験だった。
なんだこいつは。ただ前に立っているだけなのに、汗が止まらない。十年以上遺跡の危険な地区に潜り、鍛えられてきた本能がはっきりと告げていた。いま目の前に立っているこの男に勝ち目はないと。
「適当に圧迫してやればすぐに折れるかと思ったが、まだ耐えているようだな。当たりか、それともティガーとやらはみなこの程度の実力を持っているのかはわからんが――なかなかに悪くない。これならば、意外にも退屈な仕事にはならなそうだ」
男がもう一歩近づくと、そこから放たれる迫力はさらに強力なものになる。
アンドレイの本能が、早く逃げろと、最大級の警鐘を鳴らしていた。しかし、これほどの強者を前にして背など向けられるはずもなかった。それどころか、一瞬でも目を背けたら、その時点でやられてしまうだろう。
「…………」
アンドレイの槍を握る力が強まる。歯を食いしばり、大地を踏みしめる足に力を込め、男から放たれる迫力に耐えるが――
アンドレイは、いま出せる力を振り絞り、槍を構えて男へと接近。突きを放つ。
「その状態から動くとは見事。人間にしてはなかなかできるようだが――」
男は、接近したアンドレイの突きを、身体を逸らしつつ、十字槍を地面に叩きつけるようにしてそれを回避。アンドレイの姿勢は一瞬にして崩され――
そこに、男が携えてきた棒切れが振るわれる。男によって振るわれた棒切れはアンドレイの顎を的確に打ち上げ――
一瞬にしてその意識を刈り取った。
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