第241話 信仰の先に

「見よ! これこそが我らの神が復活した証明である!」


 突如として、帝都の方角の空に浮かび上がった巨大建造物を眺めながらマルティン・ソーンは力強く信者たちへと語りかけた。


 なんということだろう! まさか神の復活を目の当たりにできるとは。これは、我らの信仰が神に届いたことに他ならない証明だ。なんて素晴らしい日なのだろう? 今日の出来事は福音として永遠に語り継がれるに違いない。


 信者たちは、それぞれの言葉で神の復活を讃え、自身の信仰が正しかったことに感涙していた。神の復活を目の当たりにできる。信仰に生きる者として、これほど歓喜に振るえることはない。なんて素晴らしい。神が復活する以前から強い信仰を捧げていた我らはきっと、その恩寵を受けられることは確実だ。これで世界はいい方向に向いていく。我々を、そしてすべてを復活した神の加護が得られることだろう。


「おお、おおお、おお……おお!」


 信者の一人である老婆が上空に浮かんだ建造物に向かって涙を流しながら祈りを捧げている。信仰心深き彼女が涙を流して歓喜をするのも当然である。なにしろこれは我らが望みし神の復活なのだ。この出来事を喜ばない者は、信仰心なき冒涜者に他ならない。だが、世にはびこる俗物的な冒涜者どももじきに理解するはずだ。この世には神がいることを。その神が復活したことを。信仰心なき自身が間違っていたことを。


 これから、素晴らしい世の中へと変わっていくことだろう。現実に復活した神を前にして、悪しき行いをする度胸のあるものなどいはしないのだ。そういう奴らは、神がいないと思い込んでいるからこそそのような冒涜的な行いができてしまうのだから。


 しかし、そのような冒涜者どもですら救うのが神である。冒涜的な者たちであっても、改心し、信仰に生きることを決意すれば許してくださるものだ。無論、そのようなことすらもしない邪悪な者どももいることは事実であるが――こうやって神が現実として復活した以上、奴らを厳粛に裁いてくれることだろう。


 そうやって改心すらもできない邪悪な冒涜者どもが消えていけば、冒涜者どもにも信仰心が芽生えていく。それが続いていけばいくほど、この世は変革へと向かっていくだろう。それはなによりも素晴らしく、そして我ら人間にはなし得ない大いなる行いである。それを現実として目の当たりにできるというのは短い一生でしかない人間にとって最大級の栄誉である。その栄誉を、とてつもなく多くの人々が預かることができるのだ。それは、どこまでも素晴らしい。


 今日の出来事をどのように後世に伝えるべきだろうか? これだけの出来事を後の世に伝えないのは間違いなく損失である。素晴らしき出来事はしっかりと後世にも伝えていかなければならない。それは、我々のように信仰に生きる者たちの義務の一つだ。これだけの大きく素晴らしい出来事を伝えられるほどの力を持っているものがいるだろうか?


 そこまで考えて、マルティンは首を振って否定する。


 今日の出来事はこの私自身が後世に記録を残していくべきだろう。いや、私以外この出来事を後世に力強く伝えられる者はいないはずだ。作家などのような俗物的な存在にこのような素晴らしい出来事の記録を任せるのは神に対する冒涜である。強い信仰心を持つ我らであれば、そのようなことは難しくない。なにしろ我らの信仰が神に届き復活を果たしたのだから。


 写真も撮るべきだろうか? 現代の恩恵を受けている者として、文明の利器というものを否定するつもりはない。正確な記録を残すのであれば、文字や絵よりも写真のほうがいいはずだ。しかし、復活した神を撮影するというのは不敬に思えてならなかった。後世に正確な記録を残そうとして神の怒りを買ってしまっては元も子もない。これは、非常に難儀な問題だ。このような不敬を、神がお許しになられるだろうか?


「ああ、悩ましい。今日のことを正確に伝えるためには、神への不敬を働かねばならないとは。神は私の言葉に返答をくれるだろうか? 私の言葉を聴いておられますか?」


 帝都上空に浮かぶ巨大建造物に向かってそう語りかけたものの、偉大なる神からの返答はない。距離の問題ではないだろう。きっと我らの信仰心が足りていないのだ。もっと強く、もっと多くの信仰が必要だ。そうすればきっと神も我らの言葉に答えてくださるだろう。もっと信仰を。そうすれば、偉大なる神であっても、小さな我らの言葉を聴き入れてくれるに違いない――


「随分とやかましいが……お前らはなにをやっているのだ?」


 背後からそんな言葉が聞こえてきて、マルティンは振り向いた。そこにいたのは、まだ十代と思われる少女。少女にしか見えなかったが、どことなく強い力が感じられた。


「復活した我らの神に祈りを捧げているのです。あなたもどうですか? 神が復活した以上、信仰に生きる機会は誰にでも等しく与えられるべきものですから」


「残念だが、今日のところは遠慮させていただく。いまは急いでいてな」


「おや、それは残念です。ですが、神はいつも我らのことを見ておられます。いつでも来られるとよいでしょう。神というのは寛大でございます。いつだってあなたを迎え入れてくれるでしょう」


「……それはありがたいことだ。ところで、カルラというのはこちらの方向でいいのか? 久々に外に出たもので、道がよくわからなくてな」


 少女は先へと続く道へと顔を向けた。


「ええ。そちらでございますが――カルラというのは神を冒涜する不届き者たちが集まる町です。個人的な意見としては、あなたのようなお若い女性がそのようなところに足を運ぶのはいただけませんが、私が否定するべきではないでしょう。あなたにはあなたの道があるでしょうから。ところで、何用でそこへと向かうのですかな?」


「ちょっとした調査だ。その町にいる不届き者とやらに興味があってな。起きて早々面倒な仕事であるが、やらないわけにはいかないからな」


「おお。そうでございましたか。まだお若いのに勤勉であるのは非常に好ましいことです。あなたに幸運があらんことを。いつだって神は見ておられますから」


 神はすでにもうそこにいる。誰の目にも見えるところに。


「……どうだろうな。お前らのいう神とやらがなにかは知らんが――お前らにそれほど興味など持っていないと思うが」


「それは、どういう?」


 少女の予想外の言葉にマルティンは問い返した。


「まあいい。お前らが神の復活を喜んでいるのであれば、この私がお前らを神の一部としてやろう。信仰に生きる者であれば、これほど素晴らしいことはあるまい」


 少女はこちらの問いには答えることなく、淡々とした口調で語りかけてくる。


 そのときで、あった。


 マルティンの身体に感じられたのは、とてつもない衝撃。それは、身体の内側から細胞の一つ一つをすべて揺るがしたかのような強いもの。


『――――』


 その衝撃とともに、どこからともなく声が響いてくる。それはとてつもなく大きく、質量のある声であった。それが、すべてを圧し潰すかのようにマルティンの身体のすべてを支配していく。


「どうだ人間。これが、お前らが信仰している神とやらの重みだ。実に素晴らしいだろう。お前らはいち早く、その一部になる権利を得られたのだ。信仰心の賜物だな。光栄に思うといい」


 そう言い残し、少女はマルティンから離れ、歩き去っていく。


「おお、おお……」


 なにかによって自分のすべてが上書きされていく感覚。それはまさしく――


「これが、神か」


 その言葉を最後に、マルティン・ソーンという個人はどこか遠い世界へと旅立った。

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