第172話 祈り
自分たち以外誰もいない街の一角で待ち始めてどれくらいの時間が経ったのだろう? 恐らくまだ十数分程度しか経っていないはずだが、人の姿が見えないせいか、もっと長い時間が流れたようにも思える。
彼はまだ来ない。街は相変わらず死んだような状態のままだ。無事であってほしい。そう思うけれど、蠢くような不安は消えてくれなかった。
彼になにかあったのなら、恐らくアースラがなにか行動を移すだろう。いまのところ、それはない。ということは、まだ彼は無事であるはずだが――
彼のことを信用していないわけではない。彼が強いことは知っている。誰よりも知っているなんて言えるほどではないけれど、それは間違いないはずだ。
「不安ですか?」
隣にいるアースラが声をかけてくる。アースラは相変わらず重病人のような顔色だ。彼の顔色を見るたびに本当に外を出歩いて大丈夫なのかと思うけれど、口には出せなかった。アースラもこのような状態になってもなお動かなければならない理由があるのだろう。明確で強い目的をもって動いている人間にそんなことを言うのは野暮である。そのように思えたからだ。
「……はい。本当に、大丈夫――なんでしょうか?」
「ええ。大丈夫ですよ。どうやら先ほどの彼も動いてくれているようです。敵の戦力は確実に削がれている。多少ではありますが、持ち直したと言えるところですね」
そう聞いて、みずきは少し安心できたけれど、そこでアースラは「ですが」と言葉を挟む。
「劣勢であることには変わりありません。このままの状態が続くのなら、タツオ殿の勝ち目は薄いでしょう。彼に逆転の一手を打たせるために、私はここにいるのです」
アースラの言葉は、依然として苦しそうであったものの、しっかりと芯が通った強さが感じられた。そこには、先ほど自分たちに襲いかかろうとしたあの青年を言いくるめたときのうさん臭さはまったくない。
そのまま、無言の時間が続く。そこに無言の時間特有の気まずさというものはなかった。だからといって、心地いいというわけではないけれど。
「彼はいま、どうしているかわかりますか」
みずきはアースラにそう問いかけた。みずきの言葉を聞いたアースラは「少しお待ちください」と言って、目を瞑って集中する。二十秒ほどそれが続いたところで――
「タツオ殿はまだ戦闘をしているようです。先ほどの彼のおかげで、なんと立て直したようではありますが――戦いというものはなにが起こるかわからないものです。彼がしっかりとやってくれるよう、信じて待ちましょう。大丈夫ですか?」
「大丈夫、ですけど――」
彼と戦っている敵が転進してこちらに向かってきたりはしないのだろうか? そう思い、みずきはそれを口にする。
「大丈夫ですよ。私の擬装は完璧です、とは言い切れませんが、しばらくはまだ保つはずです。こちらに危険があるとすれば、タツオ殿といま戦っている敵がやられたあとでしょう。戦闘にかかり切りになっていた敵がこちらに向かってきて、力を注いで擬装を見破る可能性がありますからね。敵に看破される前に、彼が来てくれればいいのですが――」
確実にそうなってくれるとは言い切れませんねとアースラは付け足す。大きな力を以てしても、必ずしも自分の思い通りに進んでくれないのは異世界であっても同じらしい。仕方ないことであるのはわかっているけれど、やはり不安だ。
「彼の足が速いことを祈るよりほかありませんね。祈ってばかりのような気がしますけれど」
アースラは小さく自嘲するような笑い声をあげた。
もっと自分に力があったのなら、このような状況にあっても彼の無事を祈る以外のことができたのだろうか?
いやと否定し、小さく首を振る。
もっと力があったとしても、力を使えるようになったのは所詮数十分前のことなのだ。それでは付け焼刃にすらなっていない。その程度でしかない以上、彼の戦力になどなれはしなかっただろう。そんなのが現れたところで邪魔なだけだ。
それでも、なにかできたのではないかと思わざるを得なかった。自分がなにかできていれば、逃げる以外の選択をしていたのなら、この状況を少しでも変えられたのではないかと思えてならない。本当に、このようなことしかできなかったのか、と。
「駄目ですよ」
アースラがこちらの考えを看破したかのように声を上げた。
「自分になにかできることがあったのではないか。そう思うことは構いません。ですが、動くべき時を誤るのは致命的です。あのとき逃げなかったのなら、あなたもタツオ殿も、間違いなくもっと危険な状況へと陥っていたでしょう。あなたがあのとき逃げたのは、完璧ではなかったかもしれませんが妥当であったことは間違いありません。いまの我々がすべきなのは待つことです。それは悔しく、歯がゆいものであるのは間違いありませんが、動かず耐えるというのも大事なことです。タツオ殿の強さを、そして不屈の精神を信じましょう。それが、いま我々ができる最善の選択です」
「そう、ですね」
みずきは力なくアースラの言葉に返答したところで――
「どうやら、彼が戦闘に勝利したようです」
遠くを眺めたまま、アースラが言う。
「本当ですか?」
「ええ。どうやらこちらの目論見はうまくいったようです」
アースラは重病人のような顔色のまま、少しだけ嬉しそうな表情を見せた。
「敵は?」
「大丈夫です。このままなら、彼の方が速い」
その言葉を聞き、みずきは安心する。
本当に長い道のりだったけれど、ようやく着地点が見えてきたような気がする。これで――
みずきは相変わらず死んだように静まり返った街を見渡す。彼の姿は、まだ見えない。五秒、十秒、二十秒。まだ来ない。三十秒、五十秒、一分経過。まだ――
さらに三十秒ほど経過したところで――
上の方から気配が感じられた。そちらを見ると――
建物の上から、彼が降ってくるのが見えた。やっとその姿を見て――
安心すると同時に、見るからに痛ましいその姿に心が痛くなる。
「無事で、よかった」
目の前に現れた彼の姿を見て、救ってくれたのは彼のほうなのに――
自分が彼のことを救ったようにも思えた。
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