第173話 敵の正体は

 みずきが無事であることを確認できた竜夫は心から安堵した。


 彼女と別れてから一時間程度しか経過していないのに、何年も顔を合わせていなかったようにも思える。そのように感じるということは、ここまでの道が険しかったからなのだろう。


 みずきが奴に狙われていることを知ったときは気が気でなかったが、無事でいてくれて本当によかった。アースラがいなかったら、いまのように彼女の無事を確認することはできなかっただろう。苦しいながらも出向いてくれた彼にも感謝をしなければならない。


 安堵したせいか、竜夫の膝は折れそうになる。それを見たみずきが「大丈夫ですかと」と慌てて近寄ってきた。


「……大丈夫。僕のことはいい。とにかく――」


 竜夫はもう一度みずきのことを見る。


 彼女は疲れているようには見えたが、怪我はしていないようだった。疲れているように見えるのは、誰とも知れない何者かに狙われて、極限状態になっていたせいだろう。そんな状態で逃亡すれば、誰だって消耗するのは当然だ。なにしろ、彼女は普通の人間である。そうならないほうが異常であると言えるだろう。


 みずきの無事は確認できた。次に取るべき行動は――


「お久しぶりです。こうやって直接顔を会わせるのはいつぶりでしょうか?」


 不治の病に蝕まれているかのような顔色をしているアースラが近寄ってくる。


「さあな。そんなことはどうでもいいだろう。だけど、あんたが動いてくれて助かった。そうじゃなかったら――」


 みずきがどうなっていたのかは不明だ。そんなこと、考えたくもない。奴が狙っているのが自分である以上、彼女がすぐに殺されることにはなっていなかったとは思うが――


 人をコマとしか思っていない奴が、人質である彼女をいいように扱ってくれるとは思えない。こちらに対する見せしめとして痛めつけられていてもおかしくはなかった。そうならなかったのは、間違いなくアースラのおかげである。


「いえ。彼女が無事だったのは私のおかげであるとは言い切れません。彼女が勇気を振り絞って動いてくれたからこそ、私は間に合ったのです。もし、彼女が動いてくれなかったら、こうはならなかったでしょう」


「そうなのか?」


 アースラの言葉を聞いて、竜夫はみずきのほうを見る。竜夫の問いかけを聞いた彼女は少し困ったような顔を見せる。こちらの問いかけに困っている彼女の様子を見て、竜夫は「無事だったのならいいさ」と返して話を打ち切った。


 自分がいない間にみずきがどうしていたのかはあとで聞けばいいだろう、それよりもいまはやるべきことがある。


「ところで、あなたに向かっていまの私が聞くのもあれだと思いますが――身体のほうは大丈夫ですか?」


 アースラがこちらに問いかけてくる。


「まだ大丈夫ではあるけど、かなり消耗しているのは間違いない。それに、肋骨を何本かやられた。万全だとは言い難いな」


 恐らくまだ、動いて戦闘をすることは可能だろう。だが、余力が充分かと言われれば否定せざるを得ないところである。いまの状況を打破できなければ、敵よりもこちらが消耗しきることは間違いない。


「そうですか。正直に言ってくれるのはこちらとしても助かります。私としても、あなたに動いてくれなければこの状況を打破することはできませんからね」


 苦しげな表情をして、苦しげな声で答えるアースラ。


「本来、あなたと話したかったのは別件なのですが――状況が状況ですし、そちらは後回しにしましょう。まずあなたの状況を確認します。いまあなたは二つの勢力に狙われている。それは間違いないですね?」


「ああ。軍の人間と――教会だ。軍はともかく、教会に狙われる理由はよくわかっていないけど、どうやらそういうことらしい」


 喋るとずきずきと脇腹のあたりが痛んだ。その痛みに堪えながら、竜夫は返答する。


「あなたを狙う軍の刺客と教会。現状、より大きな脅威であるのは教会であるという認識で大丈夫ですか?」


「ああ。なにしろ奴はどことも知れない場所から無数の人間を操っているようだからな。それも把握しているのか?」


 確かに彼は強敵ではあるが、より大きな脅威なのは教会のほうであることは間違いない。


「ええ。それも把握しております。結論からも申し上げましょう。軍の刺客は、あなたが教会の脅威を排除するまで手を出してきません。少なくとも、いまのところは」


「どういうことだ?」


 アースラの言葉に竜夫は問い返した。


「私は、あなたを狙う軍の刺客と交渉をし、あなたが教会の脅威を排除するまでこちらには手を出さないことで合意をいたしました」


「……なんだって?」


 予想外の言葉を聞いて、竜夫は眉を上げる。


「交渉をしたって、彼はあんたのところに来たのか?」


 アースラは反政府組織の残党である。軍の刺客がそんな奴と交渉をするとはどうしても思えないが――


「ええ。その通りです。彼との交渉は私としても想定していたわけではありませんが――それがうまくいったのは、私がこうして生きていることがその証明になりましょう。違いますか?」


「……確かに、そうだな」


 アースラの言う通りであった。反政府組織の残党であるアースラが軍の刺客である彼と接触して生きているということは、彼との交渉がうまくいったことに他ならない。そうでなければ、間違いなく生きていないだろう。そんな人間とどうして交渉ができたのかは不明だが、いまはそれを聞いている時間はない。とにかくいまは、やるべきことが他にある。


「そうしていただけると助かります。いま我々がやるべきことはあなたを狙う教会の脅威の排除ですから。すぐにでも奴をなんとかしなければ、我々はどうすることもできません。私は覗き見と化かして騙すことは得意ですが、物理的な脅威の排除はできませんからね」


「そう言うってことは、あんたは僕を狙っている教会の連中のことを知っているのか?」


「ええ。その通りです。そうでなければ、私があなたと接触する意味はないでしょうしね」


 アースラの声は苦しげでありながら、自身に満ちていた。


「単刀直入に言おう。僕を狙っているのは、どこの誰なんだ?」


 竜夫の言葉を聞き、アースラは少し間を置いてから――


「あなたを狙っているのは、教会の頂点、法王ローレンスです」


 そう答えた。

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