第166話 10年目の真実

「お前は……俺のなにを知っている?」


 暴力でかかられれば勝てないと言っているにもかかわらず、目の前に立つあの顔色の悪い男はこちらの感情を絶妙に刺激する不敵な笑みを浮かべていた。


 その気になればこちらが一切の躊躇なく彼を殺せるというのに、そこには恐怖や狼狽、焦りなどは一切見えない。なにかまだ隠しているのか、それとも別のなにかがあるのか、それは不明であるが――


 ……なんだこの男は? ケルビンの背中に嫌な汗が滲んでくる。これが十年以上にもわたって軍に損害を与えてきた反政府組織の首領なのか。なんとも異質だ。ヒムロタツオと戦ったときだって、このような得体の知れなさは感じられなかった。目の前にいるあの男は人間とは違う異質な存在ではないか? と思えてくるほどである。反政府組織を束ねるような人間には、この男のような異質さや得体の知れなさを抱えているものなのだろうか?


「ええ知っていますよ。私もあなたと同じく自身の内に竜の魂を転写された存在ですからね」


 顔色の悪い男は、その顔色の悪さからは想像もつかないような明るい声で言う。その声の明るさが、ケルビンの感情を絶妙に逆なでしてくる。実に不快だ。


「お前も……なのか?」


「なにを言ってるんです。そもそもいまの軍の構成員はすべて竜の魂を転写されているのですよ。いつどこでやっているのかは知りませんがね。あなたにも覚えがあるんじゃありませんか?」


「…………」


 ケルビンは押し黙り、遠い昔にあったような気がすることを思い出す。


 軍に入り、健康状態を調べたとき、それをやられたのだろうことを。あれが終わってすぐ、自分の中にブラドーという同居人ができたのだ。


「実を言いますと、竜の魂を転写された人間は、ほとんどの場合、転写された竜が持つ圧倒的な力によって塗り潰され、人間として精神は消滅してしまうのです」


「なんだと?」


 ケルビンは顔色の悪い男から言われた言葉に驚きを隠せなかった。


 人間に竜の魂を転写したらその人間の精神は消滅するだと? そんなこと、他の奴からは――


 言われたことなどなかった。何故それほど重要なことを自分に隠されていたのだろう?


 てっきり、他の人たちも自分と同じような状態になっているものと思っていた。いや、そもそも――


 竜の魂を転写された時点でその人間の精神が消滅させられてしまうのなら、軍に入ってから話してきた相手はすべて、人間ではなく人間の身体を乗っ取った竜であったことになってしまう。


「それだけではありません。竜たちはこの国の深くまで浸透しております。財界、政界なども一般市民の中にも多く潜んでいます。そんな彼ら彼女らを、あなたはどう思いますか?」


 顔色の悪い男は澱みなく、滔々と語る。その顔には、相変わらずこちらの神経を逆なでするような笑みを浮かべていた。


「…………」


 ケルビンはその質問には答えない。いや、答えることができなかった。


 そんなこと、追い詰められて吐いたデタラメだろう。そう思ったが、やけに自信満々に語る男を見ていると、それが嘘であるとはどうしても思えなかった。


「軍が竜に乗っ取られていようが、俺は軍人だ。命を受け、表沙汰にできない汚い仕事を行う身。竜に乗っ取られていたって、やることは変わらない」


 ケルビンは男の言葉を否定するかのように強く言う。


 だが、男の言葉を聞いていると、自分が確かだと思っているものがどんどんと破壊されていくように思えた。


 いつものように、奴をここで殺してしまえば、その言葉を聞く必要もなくなる。さっさとやってしまえ。そう思ったけれど、なにか不思議な力によって身体が動かせず、それを行動に移すことはできなかった。


「……どうしてお前はそんなことを知っている?」


「なにを言ってるんですか。知っているからこそ、私は軍と戦っているのです。我々人間の世界を、古き竜たちに奪われないためにね」


 その言葉には、いままでには感じられなかった凄味があった。


 ハンナはもともと軍人であったという。もし彼女がいまの自分と同じように、竜の魂を転写されても自我が消えなかったのなら、竜による静かな侵略を許すまじと考えてもおかしくはない。


 どうする? 揺らぎ続けるケルビンは自身に問いかけた。


 人間社会を竜が乗っ取ろうとしていることを許容し、このまま軍人として戦うのか? それとも――


「たいぶ話を聞いてくれる様子になってくれたようなので、本題に入りましょうか。あなた、本当の自分のことを知りたいと思いませんか?」


「もう一度同じ言葉を変えそう。どうしてお前が俺のことを知っている?」


「さあ、どうしてでしょうねえ。いまの私は覗き見や聞き耳が得意でございますから、それで知ったのかもしれませんよ」


 男は絶妙に癇に障る声で返してくる。


「まあ、私がどうしてあなたのことを知っているかはさておき、どうしますか? 自分のこと、知りたいと思いませんか?」


 男はケルビンに再度問いかけてくる。その声には確認に満ちており、はったりでこちらを騙そうというような意図はまったく見えなかった。


「それに、いまのあなたが知っている自分は、それは本当にあなたですか?」


「いまの俺が別人だと言いたいのか?」


「さあどうでしょう。そうとも言えますし、そうでないとも言えます。なにしろ『自分』というものはあやふやなものですからね。人間というのは自分が思っている以上に自分のことがわからないものなのですよ。そう思いませんか?」


 顔色の悪い男は滑らかに言葉を発する。その言葉は何故か、異様なほど耳に響いてくるものであった。


 なにがどうなっている。さっさと殺してしまえばそれで終わりだろう。どうしてそれができない? 何故ここまで、奴の言葉を訊きたいと思ってしまっている?


 奴と話すたびに、自分の足もとにあったものが音を立てて崩れていくようだ。このまますべて崩れてしまったらどうなる? なにを信じればいい?


「あなたの内側にいる彼も、それを知っているはずですが――どうやら言わなかったようですね。あなたを守るためか、それとも別の意図があったのか、私にはわかりませんが」


 そう言われ、ケルビンはブラドーに「そうなのか?」と問いかけたが、ブラドーは言葉を返してくれなかった。


「まあとにかく、いまのあなたは本当のあなたではないのです。私には本来のあなたを取り戻す手助けができると思いましてね。どうです? 我々を見逃す代わりに、本当の自分を知ってみたいと思いませんか?」


 その笑みは、地獄でたった一本だけ降りてきた糸のように魅力的なものに見えた。

 ケルビンは、歯をかみ締めながら考える。奴の口車に乗って、真実を知るのか、それとも、いまのままでいるのか。


 だが、自分の心は奴が知っているという真実に傾いている。


「できることなら、すぐに決めていただきたいところですね。なにしろ状況が状況なので。ああ、そうだ。こうしませんか? いまあなたが狙っているヒムロタツオはもう一つ別の勢力からも狙われていることは知っていますね? 彼を狙っている教会を邪魔していただきたい。あなたとしても始末するべき対象をかすめ取られてしまうのは避けたいでしょうし。それをやっていただけたら、あなたが彼と戦う時に私は邪魔をしませんし、私は本来のあなたを取り戻すお手伝いをしましょう。どうです? 悪くないと思いませんか?」


「お前……協力者を売るつもりか?」


「まさか。私は彼のことを信じていますよ。信じているからこそ、こういう話を持ち掛けているのです。まあ、勝手に賭けるのはいかがなものかと自分でも思いますが、別に私がこうしたところで彼を取り巻く状況は変わりませんからね。きっと彼も許してくれるでしょう。というか、そもそも言わなければわかりませんし」


 どうします? 顔色の悪い男は問いかけてくる。


「いいだろう。お前の言う通り、教会の連中にヒムロタツオを持っていかれるのは避けたいのは事実だからな。教会の連中の邪魔をしてやる。だが――」


 ケルビンはそこで一度言葉を切り、顔色の悪い男へと視線を向けた。


「それが終わったら、俺はヒムロタツオを始末しに行く。それでもいいんだな?」


「ええ構いません。もし仮に、あなたが彼を殺したとしても、私はしっかりと役目を遂行しましょう。私はこれでも約束を守る男ですから」


 やけに胡散臭い言葉であるが、嘘は言っていなさそうだ。


「で、教会の連中の邪魔ってのはなにをすればいい?」


「彼を狙っている教会の人間は、他人に印をつけ、そいつを操っています。あなたの目なら、それを見抜くことは可能なはずです。その操っている人間を動かないようにしてください。ああ、殺す必要はありませんよ。一時的に昏倒させるだけでも構いません。あくまでも彼と戦っている奴に重圧を与えるためですから」


「いいだろう」


 ケルビンは重い声で答えた。


「それでは話はここまでにしましょう。ご武運を」


 顔色の悪い男の言葉を聞いたケルビンは、この街にいる教会の人間に操られている者を見つけるために地面を蹴って建物の上へと飛び上がった。

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