第164話 鎖の集合体

 立ち上がった竜夫はこちらの行く手を塞ぐように立ちはだかる男へと目を向ける。どこをどう見ても、奴をすり抜けていくのは不可能だ。いまの奴自体は巨漢ではなかったが、厚い壁のごとき巨大な威圧感が感じられた。いままでと同じように、奴を倒さなければ前に進むことは叶わないだろう。


 男に目を向けたまま、竜夫は自身の身体の状態を確認した。


 奴に殴られた部分は間違いなく骨を砕かれている。少なくとも二本か三本はいっているだろう。これだけの重傷となると、戦いの中で回復する見込みはまったくない。なにより、もう一人の敵である彼の能力によって弱体化しているいま、回復力も落ちているのは確実だ。二つの敵に襲われているいま、この負傷は極めて痛いと言える。ほとんど致命的といってもいいくらいだ。


 生憎、砕かれた骨が内臓に突き刺さっているわけではなさそうである。まだなんとか動けそうだ。弱体化して重傷を負っているので、それは申し訳程度のことではあるが、幸いであることに変わりはない。


 なんとも厳しい状況である。だが、諦めるわけにはいかない。ここで諦めるということは間違いなく死を意味する。無様であろうがなんだろうが、死ぬのだけはいただけない。なにがなんでも生き残らなければ。


 ここで死んだら、みずきはどうなる? 自分だけが彼女を守れるなんて傲慢を言うつもりはない。なにしろ、自分は彼女を助けたのだ。助けた以上、その責任は負わなければならない。それが、助けた者が負わなければならない義務でもあるはずだ。人はゲームにいる存在ではない。助ければそれで終わりというわけではないのだから。


 アースラの介入は期待できない。奴がみずきと接触した以上、自分とみずきを守りつつこちらを援護するというのは難しいと考えておくべきだろう。なにしろ、奴は自身を内から食らいつくさんとする竜を無理矢理抑えている状態である。いまこのタイミングで、容態が著しく悪化する可能性は充分あるはずだ。であるならば、こちらを助けている余裕はないと考えるのが妥当である。仮に、手を出せたとしても多少の時間を稼ぐのが精一杯だろう。戦況を覆すことは難しい。


 とにかく、いまは目の前に立ちはだかるこの男をどうにかしなければ。巨大な鉄塊のごとき重く硬いあの男を。できなければ、ここで終わってしまうだけだ。


 竜夫は、もう一度目の前に立ちはだかる男に目を向ける。


 奴の身体から無数の鎖が生み出されていた。奴の異様なほどの重さと硬さは、自分の身体から生み出されている鎖によるものなのだろうか?


 そこまで考えて、違うと否定する。


 奴の身体から鎖が生み出されているわけではない。奴の身体そのものが鎖なのだ。自身を襲った無数の鎖の中から、奴の腕が現れたことを考えればそれは確実と言えるだろう。


 そして、奴の身体を構成している鎖は、当然のことながら鉄などの一般的な材質ではないのは明白だ。竜の力によって生み出された、とてつもなく重く硬い未知の物質で構成されているはずである。もし、ただの鉄などの一般的な物質でであったなら、こちらが振るった刃を、一切の防御態勢を取ることなくその身体で受け止めることなんてできなかったはずだ。ぶつかり合ったその感触から察するに、恐らくその強度は、竜の遺跡にあった高純度の竜石の結晶と同程度はあると見積もっておいたほうがいい。シンプルな能力であるが、それゆえに脅威である。


 どうにかして、奴の身体を構成する鎖を断ち切れる手段はないだろうか? 竜夫は敵へと向けた視線を切らないまま、自身にできそうな手段を模索する。


 竜の遺跡にあった、巨大な高純度の竜石の結晶と同程度の強度があるとなると、生半可な手段では傷をつけることすら叶わない。あの脅威としかいいようのない強度は結局力づくで破ることは不可能であった。となると――


 奴が誇るその圧倒的な強度を無視できるような手段を考えなければならない。


 どうする? 竜夫は自身に問いかける。


 あのときと同じ手段をやってみるか? あれならば恐らく、奴の身体を構成する鎖の強度を無視することはできるだろう。


 だが、こちらが考えたように、いまの奴が鎖の集合体であるのなら、直接触れて、奴の身体の中に刃を創り出して突き刺すだけでは駄目だ。強度を無視して刺せたとしても、ダメージを負わせられなければなにも意味がない。竜の遺跡のときは、竜石の中にいるものが外から見えていたからこそうまくいったわけで、今回は違う。いまの奴には、あのときのように弱点らしい部分は一切見ていないのだ。


 だからといって、破れかぶれに突き刺しまくるわけにもいかない。奴の戦闘能力を考えれば、何度も同じ手段を食らってくれるとは思えなかった。一度はできるかもしれないが、二度目、三度目はないかもしれない。なにより、あれだけの重さを誇る相手に直接手を触れなければならないというのは危険すぎるだろう。


 となると、別の手段が必要だ。なにか、他にないのか? 奴の身体を構成する鎖を断ち切る手段。自分にできる手段の中に、それはあるのか?


「随分と顔色が悪いようだが――もう一度訊いてやろう。諦める気になったか?」


 じゃらり、と鉄同士が擦れるような音を響かせる。


「あんたのほうこそ諦める気にはならないのか? 負けを認めるのならいまのうちだぜ」


 腹部から走る痛みに堪えながら竜夫は軽口を返した。


「ほう、まだそんな口を叩くか。であれば徹底的に叩き潰すしかないようだな。本当にどこまで俺を不快にさせれば気が済むんだ。たかが俺たちの力を手に入れただけの人間に過ぎないお前が」


 男は心底不快であるという感情を一切隠すことなく、吐き捨てるような調子で言う。


「そういうあんたも、そのたかが人間に二度やられているわけだがな」


「まったくその通りだ。俺自身もまさかここまで手を煩わさせられるとは思わなかった。簒奪しただけのお前が、そこまでできるとは俺も予想外であった。ふん、いつになっても見通しというのはアテにならん。虫も本気になれば竜を刺せるというわけか」


 奴は相変わらず苛立っている様子だが、苛立っているからといって冷静さを失っているわけではなさそうだ。


「で、貴様はどこまで保つ? 一度か二度か? それとも百度か? まあ別に何度でもいい。何度でも叩き潰せばいいだけだ。潰され続ければ貴様もそのうち死ぬだろう。こちらには手駒なんぞいくらでもある」


「…………」


 手駒はいくらでもある。実に嫌な言葉だ。その言葉は、どの人間を操ってもいままでと同程度の力を発揮できることを意味する。


 そうなってくるとやはり、操られている人間との戦闘は無意味だ。こちらがただ浪費していくだけである。どこかにいる本体を見つけなければ、この劣勢を覆すことは不可能に等しい。そして、奴の本体を見つける手段は、現状こちらにはない。


「無駄話は終わりだ。俺の関心はお前が簒奪した力だけだ。さっさと死ね。これ以上俺を不快にさせるんじゃない」


 男はそう言い――


 竜夫に向かって無数の鎖を放ってきた。

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