第163話 存在意義

「ブラドー」


 ケルビンは足を止めて、己の相棒に話しかけた。


『どうした? 身体の調子でも悪くなったか?』


「いや、そういうわけじゃない。さっき俺を邪魔したのは教会の連中じゃないって言ってただろ? あれが誰なのか気になってさ。知ってるんだろ?」


『……ほう』


 ケルビンの声にブラドーは感心するような声を響かせた。


『まあいい。答えてやろう。お前の邪魔をしたのは、あのハンナとかいう、軍人崩れの反政府組織のリーダーだ』


 その言葉を聞き、ケルビンは納得する。


 だが――


「破竜戦線はあの施設に乗り込んできたときに、ヨハンさんによって壊滅させられたはずじゃ」


『確かに壊滅はさせたが、トップであったハンナとあの施設へ侵入しなかった幾人かの行方は知れていない。恐らく、どこかに隠れていたのだ。ヒムロタツオの協力するために、この街まで出向いてきたのだろう。もう一度、軍と戦うために』


「……どうして奴らはそこまで軍と戦おうとしている」


 壊滅させられてもなお戦い続けるなど、よほどのことがなければできないことだ。


『さあな。奴らにもそれだけの覚悟をするだけの理由があるのだろう』


 そこまでして戦う理由。戦う動機が不明な敵というのは非常に気味が悪い。


「それなら、なおのこと奴から始末したほうがいいんじゃないか?」


 破竜戦線は十年以上にわたって軍から逃れ続けてきた反政府組織だったのだ。壊滅状態にあるといっても、それは決して無視できない脅威である。なにより、リーダーであったハンナが生きているのだから、それはなおさらだろう。


 そのうえ、先ほどのように邪魔をされてはこちらの命も消耗してしまう。ヒムロタツオほどの強者を相手にして、無闇な浪費はできることなら避けておくべきだ。


 ケルビンの言葉を聞き、ブラドーはしばらく沈黙したのち、「確かにそうだな」と少し引っかかるような調子で答えた。


「……なにか問題でもあるのか?」


 ブラドーの珍しい反応を見て、ケルビンは重ねて問う。


『確かに邪魔をしているあいつから始末するというのは戦いにおける定石ではある。だが、いまのお前にとってそれは危険だと言わざるを得ない』


「危険? どうして?」


 あのとき邪魔をしてきた奴はそんなに危険な存在なのだろうか? 圧倒的な強者であるヒムロタツオのときですらそんなこと言わなかったのに、何故そんなことを。ブラドーはなにか知っているのだろうか?


「俺のちょっかいを出してきたハンナは、ヒムロタツオ以上に強いのか?」


『いや、そういうわけじゃない。奴は、単純な戦闘能力だけを考えれば、ヒムロタツオには遠く及ばない。もっといえば、戦闘能力はほとんど皆無だと言ってもいい。奴はそれくらい、戦闘には向いていない存在だ』


 ブラドーは淀みなく明朗な声を響かせる。


「なら、何故?」


 再びブラドーに問いかけるケルビン。そういうと、ブラドーはため息をついたような声を響かせ。それから言葉を発した。


『……それはお前の存在意義に関わるからだ。奴の能力に干渉されると、いまのお前はそれを失いかねん。そうなったとき、貴様はどうする?』


 ブラドーの声は、いつもの自分以外のものすべてを忌々しく思っているような感情は感じられなかった。その声にあったのは、こちらを案ずるような感情。彼との付き合いも長いが、そんな声を響かせたことは一度もない。


「存在意義に、関わる?」


 随分と大きな話である。どうして奴と関わると存在意義に関わるのだろう? その繋がりが、まったくわからない。


 そもそも、ブラドーはこちらの質問に対してなにかはぐらかしているように感じられた。ブラドーは信頼できる相棒であるが、なんの必要もなく奥歯に詰まったようなはぐらかしをするような奴じゃない。彼にそうさせているのは一体なんなのだろう? 少しだけ考えてみたけれど、よくわからなかった。


「ブラドーは俺とハンナに接触してほしくないわけか?」


 ケルビンは口を尖らせ、不満そうな声を上げる。


 自分の存在意義に関わるからといって、軍に仇なす存在を無視していいはずがない。軍の敵を秘密裏に始末する。それがケルビンの、特殊作戦室の仕事なのだから。


『そうであるともいえる。俺には、お前の存在意義を失ってしまったとき、どうなるかはわからないからな』


 ブラドーの響く声は相変わらず、どこかに物が詰まったような感じで歯切れが悪い。一体、彼はなにを隠しているのだろうか? 隠すようなことなんてなにもない、と思うのだが――


「でも、ブラドーがそう言っても、俺の仕事は軍に仇なす存在を人知れず始末することだ。十年以上も過激な反政府活動を行ってきた危険分子を無視するわけにはいかないだろう」


『わかっているさ。それを承知で俺はそう言っている。だが、俺にはお前を強制することはできん。お前の身体を間借りしている身だからな。身体がない以上、お前を止めることなんてできやしないよ。だが、俺はそれを承知でそう言っている』


「…………」


 ブラドーの予想外の言葉にケルビンは押し黙った。何故ここまでブラドーは杞憂しているのだろう? そんなにハンナの能力は危険なのか?


「そもそも、ハンナはどんな能力を持っているんだ? それくらいは聞かせてくれるだろ?」


 ケルビンはブラドーに問いかける。


『ハンナの能力は、夢と幻を操る力だ。夢を操り、遠くにいる他人と接触し、先ほどされたように幻影を見せ、煙に巻くのを得意とした能力だ』


「…………」


 ブラドーの言葉を聞き、ケルビンはそれがどうして自分にとって危険なのだろう? と首を傾げた。確かに戦いの最中に幻影を見せられて、先ほどのような状態になったら危険であるが、一対一の戦いになったのなら、その脅威は大きく減る。一人であれば、大きな脅威にはなり得ないというそんな能力でしかないように思えるが――


「やっぱり、ハンナは始末しておくべきだ。ヒムロタツオとまた戦いになったとき、茶々を入れられちゃ敵わん。ヒムロタツオを確実に仕留めるのであれば、ハンナの脅威を排除しておくのが定石だろう」


 ケルビンは、力強く言う。


『……そうか。お前がそうするというのなら、俺は止めない。どうせ身体のない俺に止めることなんてできやしないからな』


 どこか達観したような調子の声をブラドーは響かせた。


『一つだけ言っておこう。もしお前の存在意義に関わるようなことが起こったとしても、お前は進むべきところに進むがいい。どのような選択を取っても、俺はお前のことを笑ったりしないし、ついていくつもりだ。心を強く持て。俺には、この程度のことしか言えんがね』


 そんな声を響かせたのち、ブラドーは呆れたようにため息のような音を響かせる。ブラドーがそんな調子で言ってきたのは、長い付き合いの中でもはじめてのことだった。


「それじゃあ、行こう」


 目標変更。


 狙うは、破竜戦線のハンナ。ヒムロタツオを確実に仕留めるために、まずはこちらから始末する。


「そういえば、ハンナたちはどこにいるんだ? この街に来てるんだろ?」


『こことは反対側の地区だ。距離は――お前の足なら五分とかからんだろう。だが、奴は幻惑が得意であることを忘れるな。近づけば、こちらを惑わせる策の一つや二つを使ってくるだろう。それには注意をしておけ。接近して一対一に持ち込めれば、お前が勝てる確率は非常に高くなる』


「ありがとう」


 ブラドーに礼を言い、力強く決意をしたケルビンは、新たな敵を排除するために動き出した。

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