第161話 重く、硬く、そして軽やかな

 前に踏み出した竜夫は、四度自身の前に現れた男へと接近。自身が持つ刃の間合いで男を捉えた。刃を振るう。狙うは首。竜夫の刃は風を切り裂きながら男の首を両断せんと吸い込まれるように向かっていく。敵はまだ動かない。竜夫の刃は男の首もとに触れ――


 しかし、その一撃は硬い感触と音ともに阻まれた。じん、と手に痺れるような衝撃が走る。それはまるで、鉄の塊を殴りつけたかのようであった。


 最初の一撃を阻まれた竜夫は、左手の銃を撃つとともに後ろへとステップして離脱。一切の防御態勢をとることなく竜夫の刃を阻んだ男の身体は、当然ことながら銃弾も貫くことはなかった。甲高い金属音とともに銃弾は見当違いな方向へと逸れていく。


「……ふむ」


 男は何事もなかったかのように離脱した竜夫のほうへと目を向ける。


「こいつの能力はどれほどのものかと確かめるべく貴様の攻撃を受けてみたが――一切傷つかなかったことを考えると、なかなか頑強なようだ。面白味には欠けるが、実用的だな。まあもとより、戦いにおいて面白味など不要ではあるが」


 がちゃり、という金属音とともに奴は前へと踏み出してくる。


「さて、お前の攻撃は通用しないことがわかったわけだが、さっさと諦めてその簒奪した力を俺に返す気になったか?」


「…………」


 竜夫はその問いには答えず、手に持っていた刃を投擲する。投擲された刃は、当然のことながら男を傷つけることはなかった。先ほどと同じく、一切の防御態勢を取ることなく刃を弾く。男の身体に弾かれた刃はガラスが砕けるような音を立てて消滅する。


「そんなものを投げてきたということは、俺の慈悲には応じないというわけか。実に愚かだな人間。まあ、人間などそんなものでしかないのだが」


 男はそう言い、腕を構え――


 その姿は一瞬消え、すぐに竜夫のそばに現れた。それはまるで、空間を超越したかのような高速移動。だが、それでも竜夫は揺らがない。銃を消し、再び刃を創り出して、両手に持って男を迎撃する。


 高速移動をしてこちらに接近してきた男は小さな動作で腕を振り、竜夫の身体へと拳を叩き込もうとする。竜夫はその拳を、刃で防御し――


「ぐ……」


 巨大な岩石を力任せに叩きつけられたかのような重い衝撃が加わり、大きく後ろへと弾き飛ばされた。


 男は水流のごとき足運びで、自身の一撃で弾き飛ばした竜夫へと追撃を行う。金属が擦れるような音が響き渡る。再度接近した男は翻るようにして蹴りを放った。その勢いはまるで暴風のよう。


 先ほどのことを考えると、ただ防御しただけではこちらが押し負けるだけだ。そう判断した竜夫は、体勢を整えながら半歩後ろに後ずさるとともに、男の足へと向けて刃を振るい、攻撃の相殺を図る。後出して行われたそれは、間違いなく有利である――


 はずだった。


 蹴りを放ってきた男の足は、人間大の質量であるとは思えないほど重く、有利なはずの後出しで行ったにもかかわらず、その重さによって押し切られてしまったのだ。竜夫の体勢は崩され――


 そこに、男の拳が竜夫の腹部を貫かんと迫ってくる。空気をすり潰すような重さがはっきりと感じられる一撃。


 間に合わない。そう判断した竜夫は男の拳が迫る腹部から刃を隆起させ、防御を行う。男の拳と隆起した竜夫の刃が衝突。鈍い音が響き渡った。


「……っ!」


 だが、激痛に耐え自身の身体から刃を隆起させても完全に相殺することは叶わなかった。男の拳と接触した刃から全身を震わすような衝撃が伝わってきたのだ。骨が、肉が、内臓が、脳が一度にすべて激しく揺さぶられる。身体かから隆起させた刃が身体と接触している以上、伝わってくる衝撃まで防ぐことはできない。当然の摂理であった。


 身体から突き出された刃を思い切り殴ったにもかかわらず、男の拳は一滴の血すら流れていなかった。それどころか、わずかな傷すらついていない。その頑強さは、どう考えても尋常のものではなかった。


 竜夫は全身を激しく揺さぶられた衝撃に堪えながら、後ろへと飛び、男から離れて建物の上から離脱。地面へと着地。すぐさまそこから動き出した。


 なんだあの硬さと重さは。あり得ない、と言いたいほどのものであったが、それは事実として目の前に立ち塞がっている。目の前にいる以上、否定したところで奴が持つ硬さと重さがどうにかなるわけではない。


 いまの奴は、人間大のサイズとは思えないほど重く、そして硬い。奴を打ち破り、アースラのもとに行くのであれば、そのあり得ないほどの重さと硬さをどうにか突破しなければ道は開けないのは自明だ。


 全身を揺さぶられた不快な感覚に堪えながら、竜夫は考える。


 まずは、奴の力がどんなものか判明させなければ。あの重さと硬さは、正体が知れればすぐに対処できるようなものではないが、なにもないよりはマシだろう。


 真正面から殴り合ってもまず勝機はない。殴り合うのなら、それなりの策が必要だ。それは恐らく、いまもなお自身を襲っている弱体化がなかったとしても変わらないだろう。それぐらい、いま目の前にいる奴は重く、硬い。


「逃げるなよ、人間」


 そんな声とともに、背後から轟音が聞こえ、地面が激しく揺さぶられた。建物の上から、男が着地したらしい。伝わってきたその振動だけでも、いまの奴がどれほど重いのかが体感できた。


 だが、足を止めるわけにはいかない。真正面から殴り合っても勝てない以上、なんらかの勝算が見えるまで凌がなくては、そう思ったが――


 背後からなにかが迫ってくるのが感じられた。走りながら竜夫は背後を見る。


 そこには、男の身体から無数に伸びている鎖があった。こちらの進路を塞ぎつつ、身体を射抜かんと迫ってくる。


「く……」


 竜夫は横に飛び、背後から迫ってくる鎖を回避。壁を蹴って進路を塞ぎつつあった鎖を潜り抜ける。


 しかし、男から伸びる鎖は止まらない。上から、下から、左右からあらゆる方向からそれは変幻自在に軌道を変えながら迫ってくる。それはまるで意思を持ち、生きているのかのよう。


 止まればあの鎖によって蹂躙される。そう判断した竜夫は次々と留まることなく自身に襲い来る鎖の波を回避し続けるしかなかった。


 放たれる鎖はなおも増え続ける。それはまるで、嵐のごときうねりであった。


 それでも、竜夫は回避をしながら動き続ける。鎖が身体を掠め、着々とその傷を増やしていく。


「これでも捉えきれんか。実に不愉快であるが、その生き汚さだけは認めてやろう」


 そんな声が、自身のすぐ横から聞こえてきた。鎖の渦から、手が伸びる。竜夫はそれにすぐさま反応したが――


「か……」


 それを防ぐことは叶わない。鎖の渦から現れたその手は竜夫の脇腹を貫いた。その重さと力強さによって、竜夫の身体は横から大きく弾き飛ばされる。転がるように吹き飛ばされ、建物に衝突したところでやっと止まった。


 ……いまので何本か骨がやられた。重い痛みが竜夫を襲う。


 鎖の渦は収束していき、そこに男が現れた。男は、殴られて吹き飛ばされ、建物に激突した竜夫へがちがちという音を立てながら近づいてくる。


「さすがにこの程度では死なんか。さっさと死ねばいいものを。本当にその生き汚さだけはどこまでも見事だな。吐気がする」


「それは、どうも。褒められて光栄だよ」


 痛みに堪えながらそんな言葉を返し、立ち上がった。


「ほうまだそんな減らず口を叩けるとはな。まあいい。許してやる。そんな口が利けなくなるまで押し潰してやればいいだけの話だ。さて、どこまで持つかな?」


 男は、がちがちと音を立てながらこちらに近づいてくる。その堂々とした動きは、いつまでもかかってこいと挑発をしているかのようであった。


 奴に殴られて押し込まれた先は袋小路。逃げる先は、こちらへと近づいてくる男の方向だけ。


 どうする? 痛みに堪えながら竜夫は自身に問いかける。


 混迷なる戦いは、なおも加速する。

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