第145話 不可視の恐怖

 前に踏み出した竜夫は一瞬で大鎌の間合いの内側へと入り込む。地面から力を吸い上げるように、全身の力をくまなく使用して刃を振るった。


 だが、それは届かない。修道女は竜夫が放った一撃を冷静に防御したのちに、竜夫のことを押し込んで半歩距離を作り、後ろへと一歩下がって自身の間合いへと入り込む。大鎌を振るう。そのひと振りは女性の力から放たれたものとは思えないほど力強い。すべてを薙ぎ払う暴風のような一閃。


 後ろに押し込まれた竜夫であったが、すぐに体勢を立て直して前にステップし、再び大鎌の間合いの内側へ。あらゆる無駄を削ぎ落した刺突を放つ。


 しかし、その一撃は届かなかった。間合いの内側に入り込まれた修道女は、身体を逸らすことによって竜夫が放った刺突を回避する。それから後ろにステップし、半歩ほどの距離を取り、大鎌を振るう。その動作は一切の迷いがなく、澱みなく流れる水のような流麗さが感じられた。


 竜夫は自身の右斜め上から振り下ろされた大鎌を潜り抜けるようにして回避し、修道女の横へと入り込み、刃を振るった。


 幾度となく間合いの内側へと入り込まれてもなお、修道女は冷静だった。修道女は竜夫の攻撃に合わせて前に一歩踏み込んだ。攻撃に合わせてさらに前へと踏み出したため、当然のことながら竜夫の刃は修道女に命中するが、距離を詰められ、こちらが持つ刃の間合いの内側へと入り込まれたため充分に振るうことができず、致命傷にはなり得ない。修道女の脇腹あたりのところで刃は止められる。それにより、竜夫の動きはせき止められた。


 傷を負いながらも作り出したわずかな隙を修道女は逃さない。竜夫の顔面に裏拳を叩きこむ。それは竜夫の鼻に命中。鼻を殴られたことで竜夫は怯んでしまう。


 怯んで動きが止まったところに、修道女は蹴りを放って竜夫のことを後ろへと弾き飛ばした。後ろへと弾き飛ばされた竜夫は、設置された見えない刃が掠め、二の腕のあたりを切り裂かれた。鋭い痛みが走る。


 修道女は流れるような動作で後ろへと飛んで距離を取った。距離は六メートルほど。それは、超常の力を持つものであれば一瞬で詰められる距離。


 裏拳を叩きこまれた竜夫は鼻を拭って血を払った。ダメージはそれほどではないが、鼻を殴られたときの衝撃は竜の力を得たいまであっても変わらない。先ほどのように隙を作られてしまうのは、わずかな差が勝敗を決する戦いにおいて決定打となり得る。


 竜夫は修道女へと目を向ける。


 修道女の脇腹のあたりに血が滲んでいたものの、その傷は浅く、致命傷にはほど遠い。痛がっている様子はまるでなかった。あの程度の傷では、問題なく動いてくるだろう。


 対してこちらは、弱体化に加えて連続して戦闘を行っているため、身体の傷こそ少ないがかなり体力を消耗している。長期戦になればなるほどこちらが不利になるのは目に見えていた。


 なにより、敵は攻撃と同時に見えない刃を空間に設置してくるのである。設置された刃がどれほど残っているのかは不明だが、戦闘が長引けば長引くほど設置された刃が増えていくのは明らかだ。見えない刃が増えていけば、必然的にこちらの動きは制限されていく。動きが制限されてしまえば、当然のことながら戦いは不利になる。できることなら、これ以上、見えない刃を設置はさせたくないところだが――


 敵が大鎌による攻撃と同時に見えない刃の設置を行っている以上、それを抑制するのは難しいのは明らかだった。いや、不可能と言ってもいい。仮に弱体化していなかったとしても、敵に一切攻撃をさせないようにして倒すのは不可能だろう。一方的に敵を蹂躙するなんてことができるのは、ゲームの中だけだ。


 見えない刃の設置。派手なものではないが、戦いが長引けば長引くほど相手を徐々に不利にさせていくその力はとてつもなく厄介で恐ろしい。


 もうすでに自分の背後にはいくつもの刃が設置されている。下手に退けば、見えない刃によって切り刻まれることになるだろう。


 この場から離れて、刃の設置が行われていない場所に移動して状況をリセットするのも手だが、そうやすやすとそれを許してはくれないだろう。


 どうする? 竜夫は心の中で自身へそう問いかけた。


 今日だけでこの問いを何度行っただろう? とてつもない回数を行ったような気がするが――


 答えは見えない。行く先は濃い霧に包まれたままだ。少しでも見通しがよくなってほしいところだが――


 命を賭けた戦いにおいて、そう簡単に見通しがよくなるはずもない。人間には未来を見通すことはできないのだ。もしかしたら未来を見通す竜の力があるかもしれないが、少なくとも自分にその力がないのは明らかであった。


 未来を見通すことができないのなら、いまこの瞬間に持てる力を最大限に尽くして、その道を切り開いていくしかない。それは、この異世界に来てから幾度となくやってきたこと。今回も同じだ。他に道などない。


 そうであるとわかっていても、先が見えないというのは不安である。ほんのわずかでもいいから、見通すことができるようになってほしいところではあるが、ないものをねだったところで、現実は変わってなどくれないのだ。持てる力を尽くして、自分にとって、みずきにとって少しでもいい未来を勝ち取るしかない。


 いま考えるべきは、敵をどのように撃破するかだ。こちらを徐々に追い詰めていく、見えない刃の設置する能力をどのように対処するか? 今回も難儀ではあるが、できなければ道が閉ざされるだけだ。やるしかない。


 竜夫は一瞬だけ敵に向けていた視界を切り、刃は設置されている背後を覗き見た。


 二本の刃は血が滴っていた。付着しているそれは、間違いなく自分のものだ。あのように血が付着しているとなると――


 やはり、設置された刃は見えないだけで、いまこの瞬間、物質としてその場に存在していることになる。


 物質としてその場に存在しているのなら、同じように血を付着させたりすれば、ある程度見えるようにできるはずだが――


 刃を見えるようにするために、自身の血を失わせるようなことをするのは危険だ。竜の力を得ていたとしても、大量の血を失ったら死んでしまう。敵の攻撃に対処するために、そのリスクを負うのは得策ではない。


 砂のようなものがあれば、見えやすくするようのも可能だが――石畳で舗装されているこの道では砂を巻き上げることも不可能だ。


 そうなると、別の手段で見えない刃の位置を把握しなければならない。なにか、それに使えそうなものはないだろうか?


 竜夫は前を警戒したまま、あたりに視線を巡らす。


 ざり、と自身の足もとから音が聞こえた。それは、石畳から削れた微細な石の粒。


 これを巻き上げて当てられれば、ある程度は見えない刃の位置は特定できるだろう。一歩前進。だが、まだ足りない。もっと情報が必要だ。


 敵の能力の突破にあたって、いくつか試したいことがある。だが、目の前に立ちはだかる敵はそれを許してはくれないだろう。戦いながら、それを確かめていくしかない。


 竜夫は敵へと視線を向けた。


 目の前には脇腹から血を滲ませた、自分と同じくらいの年齢と思われる、禍々しいことこのうえない大鎌を構えた修道女の姿があった。次々と別人の姿で現れる奴は何者なのだろう? それは未だに、まったく見えてこない。


 だとしても、やるしかない。自身の未来をつかむためには、目の前に立ちはだかる修道女を、そしてその後ろにいる『何者か』を倒すよりほかにない。


 人の絶えた街で繰り広げられる戦いは、まだ続く。

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