第146話 敵の考察
竜夫は前にいる修道女に対して警戒を続けたまま、敵が持つ能力について考える。
敵の能力は、武器である大鎌を振るったところに刃を創り出すというもの。設置された刃は少なくともこちらからは見ることはできない。見えない刃は恐らく、それなりの時間その場に設置されたままになっているだろう。いくらなんでも永遠にそこに残っているということはないはずだ。仮に数分程度であったとしても、戦いにおける数分はとてつもなく長い。それだけの時間、見えない刃の脅威にさらされるのは、わずかな差が勝敗を決する命のやり取においてはかなり致命的と言えるだろう。
そして、戦いが長引けば長引くほど設置される不可視の刃の数は増えていく。そうなれば、設置された刃を視認できないこちらにとってはかなりの脅威だ。見えないだけでもかなりの脅威であるにもかかわらず、それが増えていくとなったらさらに危険度が増すのは明らかであった。
設置される見えない刃について、いくつか調べたいところではあるが――
自分から少し離れたところに立つ修道女がそれを許してくれるとは思えなかった。彼女には一切の隙が存在しない。こちらがなにか不審な動きを行ったら、即座に動き出してくるだろう。竜夫の刃が食い込んだ脇腹には血が滲んでいるものの、その痛みが一切感じていないかのようだ。自分の身体ではないから、痛みを感じていないのか?
いまここで自分の前に立ちはだかっている修道女の裏にいる『何者か』――そもそも、そいつは何者なのか? 奴の先ほどの言葉を考えると、少なくとも軍の人間ではないはずだが――
そこで竜夫は思い至る。
先ほど奴は、自分を聖職者だと言っていた。そして、いま敵として現れているのは修道女である。
となると、修道女の裏にいる『何者か』は宗教の関係者か? このローゲリウスで宗教関係といえば、この大陸で広く信仰されている竜教だろう。ローゲリウスには竜教の総本山が存在する。
であるならば、関係ない人を自分が所有するもののように扱い、使い捨てている『何者か』は竜教の人間である可能性が高い。
さらに、関係ない人々を操っているとなると、奴は恐らく教会内でかなりの地位あるはずだ。会社で言えば幹部や取締役、役員などの地位の高いポジション。もしかしたら、トップである可能性さえもある。そうでなければ、これほどの人数を操れるとは思えなかった。
もう一つ気になるところがある。複数の身体を同時に操れるのなら、どうして一人で襲ってきているのだろう? 最低でもあと一人いれば、弱体化したいまであれば簡単に蹂躙できたはずだ。なのにそれをしていないのは何故だろう?
そこから導き出される答えは言うまでもない。できないからだ。もしくはできたとしても、それを行うと著しく問題が生じてしまうかである。
考えられるのは、リソースの問題。複数同時に操ることができても、奴が持てるリソースには限界が存在するはずだ。戦闘になれば――しかもそれが竜の力を持った相手で貼れば――そのリソースは集中せざるを得なくなるはずである。奴のリソースは先ほど倒した男や、いまの修道女レベルで操るとなると一人だけになってしまうのだろう。そうじゃないのであれば、他にも人間を操って修道女レベルの敵を作り出して、同時に操ればよかったはずだ。もし、修道女レベルの敵を三人同時に相手にすることになったら、仮に弱体化していなかったとしてもなす術もなかっただろう。数の暴力はいつだって偉大である。
とにかく、奴は自分と戦えるレベルで操れるのは一人だけなのだ。弱体化して非常に困難な状況ではあるが、同じようなレベルの敵が二人以上出てこないことはありがたい。次々と現れたとしても、一人だけであったのならなんとかできる。少なくとも、いまの段階では。
「随分と苦しそうな顔をしているな低脳」
若い女の声が竜夫の耳に入り込んできた。
修道女の言葉の通り、竜夫の身体にはいまもなお強い倦怠感や身体のだるさは頑固な油汚れのごとく強く残っている。
「見たところ、あの軍の若造、なかなか面白いことをするではないか。奴らはいけ好かないが、こうやってあのお方を手に入れられる機会を得られたのだし、感謝だけはしておくべきか」
やはり、奴と軍は完全に味方とは言えない関係らしい。何故そのような関係になっているのかは不明であるが、それはこっちにとって都合がいいと言える。もしかしたら、軍と奴を争わせることも可能かもしれない。
そこまで考えて、竜夫は「いや」と心の中で呟いて否定する。
いまこの瞬間では、目的こそ違えど狙っている標的は同じなのだ。軍も奴も、狙っているのは自分である。その状況では、互いに反目させるのは難しい。反目するとしたら、どちらかが目的を達成したときだ。即ち、こちらが奴らのどちらかに殺されたあとである。それではまるで意味がない。
「ふん。そういえばそんなことができるやつがいたな。非常に忌々しい存在だが、こういうときには使えるな。よかったじゃないか。呪われた貴様にも価値があって。ちり芥程度に過ぎんが」
修道女はここにはいない誰かに語りかけるような調子で言葉を紡いだ。しかし、その言葉はあの青年に対するものとはどうしても思えなかった。
「ところで貴様、こんなところで俺と戯れていていいのか?」
「……なに?」
竜夫は眉を上げ、言葉を返す。
「なんだわからんのか。低脳らしいな。まあいい許してやる。わからんお前にはどうせ関係ないことだろう」
修道女が放った言葉の真意が読めず、竜夫は押し黙るしかなかった。
「さて、そろそろ死ぬ気になったか? どうせお前にはそれ以外に価値はないのだ。さっさと死ね低脳」
修道女は若い女性の声で、乱暴な言葉を竜夫に向かって吐き捨てる。
「嫌だね」
竜夫は即答する。どれだけ言われようと、状況が悪かろうと、それだけは変わることはない。竜夫は敵に関する思索を打ち切り、いつでも戦闘状態に移行できる体勢を整えた。
「まだ俺に逆らうつもりか。その度胸と、どこまでも醜悪な生き汚さだけは驚嘆に値するな。反吐が出る」
心から侮蔑するニュアンスを多分に含んだ言葉を吐き散らす修道女。若く美人な彼女の口からそのような言葉が放たれるのはなかなかの禍々しさがあった。
「まあいい。どちらにせよ貴様の未来は確定している。ここで死ね。そして、奪ったあのお方の力を返せ」
そんな言葉を吐き捨てたのち、修道女は大鎌を構える。竜夫も、地面を軽く一度踏み直して、いつでも動き出せる状態へと移行。竜夫と修道女の間に、音も光もなく火花が走った。二人の間にある空間がじりじりと焼けていく。
そのまま、睨み合い――
二人が動き出したのは同時だった。
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