第144話 見えない刃

 接近してきた修道女は大鎌を創り出した。こちらが持つ間合いの外側から大鎌を振るう。大きく振るわれたその攻撃は、竜夫が持つ刃の間合いの外側から迫ってくる。


 竜夫はその一撃を後ろにステップして回避すると同時に銃を放つ。


 だが、修道女は軸をずらすように前に踏み込んで弾丸を回避し、再び距離を詰めてくる。竜夫の右斜め前から大鎌が振るわれた。


 長物を持つ相手の方がリーチに優れている以上、後ろに回避しているだけではジリ貧だ。そう判断した竜夫は修道女の攻撃に合わせて前に飛び込んだ。相手が持つ大鎌の間合いの内側へと入り込み、銃を消して刃を両手に持ち替えて振るった。


 しかし、間合いの内側へと入り込まれても、修道女は冷静だった。こちらの踏み込みに合わせて前蹴りを放ってくる。前へと踏み出していた竜夫にその蹴りは命中し、わずかに動きが止められる。そのわずかな隙をついて修道女は後ろに一歩後退し、自身が有利となる間合いへと入り込んだ。大鎌が振るわれる。竜夫はすぐさま後ろに飛んでそれをなんとか回避。大鎌の間合いの外側へ。その距離が五メートルほど。そのまま睨み合う。


「…………」


 竜夫は黙したまま、相手を観察する。


 奴が持つ大鎌の射程はこちらの倍近い。距離を取られたままでは一方的にやられてしまうだろう。できることなら、相手の間合いの内側に入りたいところだが――


 自身の間合いの内側へと入り込まれたときの危険性は、向こうも承知しているはずだ。そうでなければ、先ほどのようにとっさに蹴りを放つことはできないだろう。恐らく、むやみやたらに間合いに入り込んでも、先ほどのように体術で処理されてしまう可能性が高い。


 それに、目の前にいるこの修道女は、名も知らぬ敵にただ操られているだけだ。ここで彼女を倒したところで、奴は別の身体を使って目の前に現れるだろう。


 そうなると、倒すべきは目の前にいる修道女ではなく、どこかから彼女を操っている『何者か』であるが――


 その『何者か』に関する手がかりはいまのところまったくない。どうすればいいかわかっていながら、その道筋が見えていない状況だ。早く、なんとかしたいところだが――


 いままでの戦闘を考えると、奴から逃げるのは難しい。仮にこの場から離脱し、そのまま撒くことができても、別の人間を操ってすぐこちらを補足してくるだろう。


 なにより、こちらはいま弱体化している状況だ。戦闘というのはただでさえ自分の思い通りに進まないのが常なのに、そのうえで弱体化をしているとなれば、普段以上に思う通りにいかないのは明らかである。


 先ほどは不意を突いて撒くことができたが、二度同じことを許してくれるほどこの敵は甘くない。もう一度撒くのであれば、また違った手段で不意を突かなければ成功は難しいだろう。そして現在、その手立てはまったくない状況だ。そんな状況で、なりふり構わず逃走を企てたところで成功するはずもない。


 どうするべきか? 竜夫は修道女に視線を向けたまま、それを考える。


 恐らく、この敵も過去二回の敵と同等レベルの戦闘能力があるはずだ。そうなると、弱体化しているいまの状況ではただ倒すのも難儀なのは明らかである。


 さらに、過去二人の敵とは違った能力も持っているはずだ。それにも警戒をしておかなければならない。


 睨み合いは続く。お互い黙したまま続く睨み合いは、まるでその場の空気を強く振動させているかのようだった。


 できることなら、前に出たいところである。だが、いま自分は弱体化をしている状況だ。思うように力が発揮できない以上、先んじて動いても有利を取ることは難しい。


 とはいっても、相手の行動を見てから動くにしても、弱体化したいまの状況では先んじた相手に押し切られてしまう。なんとかして、この弱体化を解除できればいいのだが――


 この弱体化を行ってきたあの青年はもう死んでいる。死んだ人間が口を利けるはずもなく、そもそも彼は敵である。そうである以上、仮に死者とのコミュニケーションができたところで、それを軽々しく教えてはくれないだろう。


 本当に難しい状況だ。次から次へと、飽きることなく困難が襲ってくる。もう少しサボってもいいんじゃないかと思う。どうして困難というものはここまで勤勉なのか? 本当に、心から嫌になる。


 だが、嫌になったところで、いま自分を襲う困難が消えるはずもない。嫌になっている暇があるのなら、この状況をなんとかすべく、動いて考えるしか道はないのだ。いままでそうしてきたように、今回もそうするしかない。


「どうした低脳。諦める気になったか?」


 沈黙を先に破ったのは修道女。その見た目に似合わない乱暴な口調であった。


「そっちこそ諦めたらどうだ? そっちが諦めたってたいして変わりはしないだろう」


「ほう、俺に諦めろというのか。なかなか面白いことを言うなお前。俺にそんなことを言う、その身のほど知らずさは多少なりと褒めてやろう。喜べよ人間」


 修道女は乱暴な口調でこちらの挑発に対し、挑発をし返してくる。口調こそ乱暴だが、奴は極めて冷静だ。挑発をしたところで、怒って我を忘れるなんてことは万に一つもないだろう。


「まあいい。褒めようが貶そうがお前の運命は同じだ。さっさと死ね。俺の手をこれ以上煩わせるな」


 修道女はそう言って大鎌を構え直し、距離を詰めてくる。一瞬で、大鎌の間合いへと入り込んできた。右斜め上から、大鎌を振り下ろしてくる。


 竜夫はその一撃を後ろに一歩ステップして回避――


 したと思ったところで、背中に感じられたのは鋭い痛み。意識外からの攻撃により、思わず怯んでしまう。


 その隙を修道女が逃すはずもない。もう一歩前に踏み込んで、左斜め上から大鎌を振り下ろしてくる。


 竜夫はとっさに左横に飛び込んで大鎌を潜り抜けるようにしてそれをなんとか回避。再び距離が開く。


 一体、なにが起こった?


 竜夫はいましがた自分を襲った不可解な状況に目を向けた。


 どうやら、背中を斬られたらしい。それほど深くはないが、自身の意識外からの攻撃を受けた衝撃はとてつもなく大きかった。


 奴は、確かに前にいたはずだ。あのとき目の前にいたはずの奴が実は偽者で、本物が背後へと回っていたとも思えなかった。それなのに何故、後ろから攻撃されたのだろう? そう思ったところで――


 竜夫は先ほどまで自分がいた位置に目を向ける。


 そこには、なにもないはずなのにもかかわらず、血が付着していた。


 あそこに刃が仕掛けられている? 竜夫はそう直感した。


 どういうことだ? 竜夫は自身を襲った不可解な現象に首を傾げるしかなかった。あんなものを仕掛けている素振りはまったくなかったはずだが――


 ということは恐らく、奴が鎌を振るったときにその刃が仕掛けられたのだ。攻撃を行った際に見えない刃を設置する能力。それがあの修道女が持っている力だ。


「ほう、気づいたか」


 修道女は鼻で笑いながらそう言った。


「だが、気づいたところでどうにかできるわけでもない。このまま見えない刃を切り刻まれて死ぬがいい。お前に許されている行いは、ただそれだけだ」


 修道女は大鎌を構え――


 それを見た竜夫は体勢を整えながら、敵が動き出す前に地面を蹴り、前へと踏み出した。

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