第139話 転進
一切衰えることなく踏み込んできた異形を竜夫は迎え撃つ。刃を両手で構えた。
至近距離へと踏み込んできた異形はその鋭い爪をコンパクトに振るい、竜夫の命を寸断せしめんとする。
竜夫は同じように刃を振るい、相手に攻撃に合わせて衝突させた。
こちらの力が弱っているせいか、先ほどと同じように後出しの状況であったのにも関わらず押し負けてしまう。
だが、それは織り込み済みだ。はじめから押し切られることがわかっていれば、それなりに対処は可能だ。姿勢を崩されながらも、そのまま後ろにずり下がって澱みのない足取りで距離を取り――
刃を消し、その代わりに別のものを創り出す。
創り出したのはスモークグレネード。両手に二つずつ創り出し、それを地面に転がした。
煙は一瞬で周囲を埋め尽くす。煙があたりを埋め尽くすと同時に、竜夫は飛び上がり、壁を二度ほど蹴って、建物の上へと離脱する。
「なんとか……なったか」
いまの弱体化している状況でこれができるか不安であったが、なんとかなったようだ。しかし、やはり弱体化しているせいか身体をうまく使うことができず、着地の際によろめいてしまう。先ほどは煙幕を張って逃げたので多少よろめいても問題はなかったが、この状況では戦いの中で離脱をするのは不可能だろう。
なにより、こちらが煙幕を張ることはできるというカードを相手に知られてしまった以上、次に同じことをやっても成功する確率は低い。となると――
「せっかく作り出せたこの状況をうまく使わないとな」
建物の上で一人呟いた。
いまの状況を確認しよう。このままここに留まっているわけにもいかないので、竜夫は重い身体を動かし始めた。建物の上を伝って移動する。
こちらはいま、先ほど戦ったあの青年によって、かなりの弱体化を受けている。竜の力、身体能力をはじめとした多くが思うように力を出せない状況だ。わずかな差が雌雄を決する実戦において、これはかなり致命的であると言えるだろう。いまのところなんとか誤魔化せているが、これ以上はどうなるかは不明だ。
そのうえ、この弱体化がいつまで続くかも不明である。現状、回復する兆しはまったくない。これが長く続けば続くほど不利になるのは火を見るよりも明らか。
さらに、あの青年が行った『なにか』によって、自分以外の人間がまったくいない状況だ。一般人がいるところに逃げ込むという手段はとれない。未だに無人の空間が続いていることを考えると、その範囲はそれなりに広いはずだ。戦いつつその範囲外へと逃げることは難しいと考えておくのが無難だろう。弱体化しているいまの状況ではなおさらである。
敵の状況。
当然のことながら、ダメージはまったくなし。ほぼ万全の状態。いまのところ特殊な力は見せていないが、弱体化したこちらを簡単に押し切る程度には身体能力が高い。それゆえ対処は難しい。なにか、相手の隙を衝ければいいのだが――
いまのところ、それは見えてこない。付け入る隙をどうにか見つけるために離脱したのだ。なんとかしてそれを見つけるしかない。直接やり合えない状況なのだから、それができなければ未来はないと言ってもいいだろう。つくづく、難しい状況である。
「他の視線は――まだ感じられない、か」
建物の上を軽やかに進みながら、竜夫はあたりを警戒する。
あの男は、なんらかの手段を以て他のものからこちらの居所に関する情報を得ていたはずだ。それもどうにかして断たなければ、煙でまこうがなにをしようがいずれ見つかる可能性が高いだろう。
「無線とかじゃ、ないよな」
無線でやり取りしているには、情報の精度が高すぎる。あの男が変身したように、そのやり取りも竜の力によるもののはずだ。
「どこに行っても竜ばっかりだ。この世界の竜はとっくの昔にいなくなったんじゃなかったのか?」
そんな文句が口から漏れ出た。だが、そんな文句を言ったところで現実は変わることはない。
嫌になる現実だが、ここで逃避したところで生き延びれるようになるわけではなかった。敵の力がどんなものであろうとも、こちらが持てる力と知力を尽くしてやってやる以外に生き残ることはできないのだ。これもまた、いつも通りである。
このまま、建物の上を伝ってアースラが指定してきた場所に行ってしまうべきだろうか? そう思ったものの、首を振って否定する。これはゲームのようにイベント場所が安置になどなっていない。こちらが大事な話をしていようがなにをしていようが、敵はその場所を襲えるのだ。それにこちらはこの世界においては社会的に存在しない人間である。そんな相手に、戦いにおける人道的なルールなどあるはずもない。だからあの鬼畜は異世界召喚してきた人たちを非道な人体実験の材料にしていたのだ。いま襲うあの男とその仲間が、あいつと同じでないという理由などどこにもない。
「そもそも、こっちを殺そうとしている奴らが人道的なはずもないんだけども」
ため息をつきたくなる状況だ。だからといって、ため息などついてもいられない。ため息をついたところで現実などなにも変わらないのだ。
竜夫はなおも建物の上を移動し続ける。
背後を確認する。あの男は、まだ追ってきてない。こちらを見つけていないのか、それとも――
と思ったところで――
こちらに視線が向けられたのが感じられた。
感じられた視線はいまのところ一つ。他はまだこちらを捕捉できていないのか、それとも捉えることができたのがいまの感じられるものだけだったのかは不明だ。
だが、逃げたこちらを捉えたことに変わりはない。時間の猶予はもうない。まだ、あの敵を打開する方法を見つけていないのに――
悔やんだところで、状況が変わるわけでもなかった。どうにかしてもう一度チャンスを作るか、戦いながら打開策を見つける以外ほかに手段は残されていなかった。
そして、一度こちらのカードを見せてしまった以上、不意を突く形での後退を易々と許してはくれないだろう。下手をすれば、そうしようとした隙を衝かれてやられる可能性さえもある。そう考えると、安易にもう一度退くのは危険だ。
だからといって、弱体化したこちらがあの男と真っ向から戦えるようになるわけでもない。軍の刺客であったあの彼はなんという置き土産をしてくれたのか。これさえなければ、なんとかなっていたはずなのにと思わざるを得なかった。
しかし、そんな風に思ったところで、いまの状況が変わることもないのも同じである。こちらはなんかよくわからない力で弱体化したままだし、相手は万全で、逃げることもままならない。
「本当に……嫌になるな」
そんな言葉が口から漏れたところで――
こちらに接近してくる気配が感じられた。逃げていた竜夫は足を止める。竜夫が振り向くと同時に現れたのは――
「なかなか厄介なことをする。あのお方の力については知っていたはずだったが――こう不意を突かれると対応が難しいものだ。よくやったと褒めてやる」
そこにいたのは、別の男だった。先ほど異形と化した男とは明らかに顔も年齢も、声色も服装もまったく違う。似ているところなど一つもないと言ってもいい。
しかし、声も見た目も違くとも、いま現れた男が先ほど戦っていた男と同一人物であることは間違いない。身に纏う空気、喋り方をはじめとした所作は明らかに同じだ。別人のはずなのに、どうしても別人とは思えなかった。
「どうした? 俺が現れたことはそんなに不満か?」
「そりゃあね。煙で撒かれて、さっさと諦めてほしかったよ」
竜夫はそう言って刃と銃を創り出す。
「諦めてやらんこともない。お前が奪ったあのお方の力を返すのならな」
「残念だけど、返し方なんて知ったことじゃないね」
竜夫は男の質問に対しそう吐き捨て――
銃を構え、男が動き出す前に引き金を引いた。
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