第129話 邂逅のあとに
歩きながら、自分とは別方向へと消えていくヒムロタツオを覗き見た。遠くから見える彼は、どこにでもいる普通の青年にしか見えなかった。本当に、あいつがあの三人を撃退したのだろうか? そんな風にはまったく見えなかったが――
『あの婆の力が確かに感じられる。奴は本物だ。間違いない』
自身の内にいるブラドーが確信を持った声を響かせた。ケルビンは、彼の感覚を信用している。ブラドーがそう言うのなら、他人の空似ということはないだろう。以前見た顔写真と照らし合わせてみれば、自分自身もそう思うのだが――
どうにも、確信が持てなかった。
相対した彼は血生臭さなど似合わない、自分と同年代のごく普通の青年としか思えなかったのだ。過呼吸で倒れた人を処置がわからないなりに介抱していたことから考えても、人を人と思わないような極悪人でもないのだろう。
そもそも、歴戦の暗殺者であるあの三人を殺せるほどの力を持っているようにも見えなかった。
だが、ブラドーが嘘を言っているとも思えない。なんだかんだ不満そうにしつつも、彼はこちらを陥れるようなことは一度もしていないのだ。わざわざこの場面でこちらを騙すようなことをするとは思えない。もっというのなら、彼に嘘をつく意味がない。彼が嘘を言うのなら、なにか意味があるときだろう。四六時中一緒にいる相手のことは、重々承知しているつもりだ。
考えれば考えるほどわからない。
あのちぐはぐさはなんだ? どうにも異質だ。自分には、あの三人を殺したという情報を知っているから、そう思えるのか――
「ブラドーはどう思う?」
ケルビンは、歩きながら小さな声で自身の内にいる存在へと喋りかけた。
『どう思うとは、ヒムロタツオのことか?』
「ああ。俺にはどうにも、あいつがあの三人を殺せるような男には見えなかった。ブラドーにはどう見えていたんだ?」
『……お前がそう思うのも無理はない。先ほど相対したヒムロタツオが纏っている空気はどこにでもいる若い男と変わらんかったからな。外界の情報の多くを視覚に頼っている人間にそう見えるだろう。
だが、さっきも言ったが、奴の中にある力は本物だ。この距離で見間違えるはずもない。なにしろあの婆の力だ。奴に力を与えたあの婆は、老いたとはいえ、強大な存在だ。俺はもちろん、俺以外でも騙すことはできん。奴は間違いなくあの婆の力を持っている。
それとも、敵の意外な姿を見て、くだらない情でも湧いたか?』
「……その気持ちがまったくないと言えば嘘になるな」
ケルビンは一度言葉を切り、息を吐く。
「まあとにかく、俺にはあのヒムロタツオというのがやけにちぐはぐに見えたんだ。いま見た彼が、こちらの情報が知っている彼と同一人物とはどう思えなくてさ。それも俺の気のせいなのか?」
気のせいであるのなら、さっさと解消しておくべきだろう。彼と自分は、間違いなく敵であるのだから。そこを間違えてしまえば、やられるのは自分だ。
『気のせいではないな。なにしろ奴は俺たちと同じく、かなり深い部分まであの婆と同一化している。だから、宿主となったヒムロタツオ自身に根本的な部分での変質が怒っている可能性は非常に高い。お前が感じたヒムロタツオのちぐはぐさは、竜の力を得たことで変質したことを原因とするものだろう。
もしくは、奴はなにかを機に、人格を切り替えているとも考えられる』
「人格を切り替えるって――二重人格? それとも俺たちみたいな感じか?」
『どちらも違う。ヒムロタツオが行っているのと考えられるのはもっと単純なものだ。例えばだ。なにかを行う時に別人のように性格が変わる奴というのがいるだろう? あれと似たようなものだな。なにかを契機にして、自身を保ったまま、別の自身へと作り変える。それを意識的にやっているのか無意識的にやっているのかは不明だが。いま俺たちが顔を合わせたヒムロタツオはその切り替えを行ってないのだ。だから、どこにでもいる普通の若者に見えた。これも確証はないがね』
なにかを契機に自身を作り変える。理屈としてはわかるが、そこまで劇的に変えられるものなのだろうか?
『とにかくだ。いま顔を合わせたヒムロタツオと、戦っているときのヒムロタツオは別人と言ってもいい。戦っているときもいまと同じだと思っていたら、間違いなくあの三人と同じ轍を踏むぞ』
ブラドーの言葉は脅しかけるような調子だったが、それは事実でもあった。偶然とはいえ彼と顔を合わせ、それが原因で手を鈍らせてしまえばやられるのはこちらだ。向こうも同じようになってくれるという保証はないのだ。なにも知らぬ異世界へと召喚された彼は生き延びるために必死なのは容易に想像がつく。そんな彼が、くだらない理由で手を鈍らせてくれるとは思えなかった。
『ところで、奴を追わないのか?』
自分とは逆方向に歩いていったヒムロタツオの姿がもうすでになくなっていた。ブラドーの探知能力があれば、いまからでも追うことは可能だが――
「できればそうしたいところだけど、彼も自分が狙われていることくらいは承知しているだろう。この状態で踵を返して尾行なんてすれば、感づかれる。竜の力があれば、尾行されていることくらい容易に察知できるだろうからね。それに――」
ケルビンは背ポケットに入れていた人払いを取り出した。
「偶然だったとはいえ、彼にこれを触らせることができたからね。いまここで焦って狙わなくてもいいさ。機会はしっかりと見極めたほうがいい」
功を焦った結果、敗北してしまってはなにも意味がない。あの三人を撃退している以上、下手をすればやられるのはこちらだ。
『それもそうだな。奴に触らせたその紙切れがあれば、ある程度は追跡できるだろう。だが――』
ブラドーの言葉は、歯の奥にものが詰まったような含みがあった。
『先ほど奴と相対してわかったのだが、ヒムロタツオはどうやら、俺たち以外にも狙っているやつがいるようだ』
「なに?」
予想外の言葉に、ケルビンは驚きの声を上げる。
「誰だ?」
自分たち以外の軍の誰かが、ヒムロタツオを狙っているわけではあるまい。あの施設で行われていた実験は、関係者と軍上層部以外には知られていないのだ。となると、特殊作戦室とは別の組織が、ヒムロタツオを狙っているとは考えられない。
『誰かはわからんが、ヒムロタツオに妙な視線を向けているのが複数感じられた。俺たちと敵対するかどうかは不明だが、警戒はしておくべきだろう。そいつらが俺たちの障害となり得ることは充分にある』
「……わかった。警戒しておく」
ヒムロタツオを狙っているのが誰であれば、自分がやるべきことをやるだけだ。邪魔されるわけにはいかない。
『で、これからどうする?』
「偶然だったとはいえ、ヒムロタツオにあそこまで接近できたんだ。これ以上の戦果はもう得られないだろう。今日のところは部屋に戻って、最終調整をしよう。それができ次第、奴をすぐに追うことってできるか?」
『問題ない。なにしろあそこまで接近できたからな。多少時間が経ってもすぐに奴の居所は特定できる』
ブラドーの声は自信に溢れていた。
「それじゃあ、帰って作戦会議だ」
ケルビンはそう言い、自身が滞在する宿へと足を向けた。
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