第128話 邂逅
買い出しをひと通り済ませた竜夫に襲いかかってきたのは、ローゲリウスに戻ってきてから感じられた視線だった。
「…………」
竜夫は歩む足を緩めて考える。
いま自分に向けられている視線は一体どこの誰のものだろう? 無論、自分が狙われる理由があることは重々承知している。遅かれ早かれ、軍が自分の居所をつかむのはわかっていたことだ。
平穏はいつまでも続かない。理由はどうであれ、脱走者である自分は、この世界にいる限り真の平穏は訪れないのだ。平穏が訪れるとすれば、もとの世界に戻ったときだろう。いつになるかわからないその日を、みずきと一緒に向かえるためには、生き続け、戦い続けなければならない。
竜夫はゆっくりと歩きながら、あたりを見回す。
昼下がりの旧市街には人の出入りが多い。子供から大人まで色々な人の姿がある。少なくとも、いまこの場所にいる人々の中で、自分に視線を向けている者はいない。竜の力を得た自分なら、人が多い街の中であっても、これだけ接近して視線を向けていたら、すぐに気づける。
「こっちの探知能力をわかっている、か」
竜夫は歩きながらぼそりと呟く。
いま自分に視線を向けている何者かは素人ではない。こちらの持つ探知能力をある程度把握している。さらにその範囲のギリギリから、こちらが視線を向けられていることに気づけるように仕向けているのだ。ただの素人にこんな真似はできない。
いま向けられている視線は三つ。斜め前に二つ、背後の七時あたりの位置から一つだ。その視線は、自身を追ってくることはない。その視線を撒くと、今度は別方向から視線が出現する。まるで、無数に仕掛けられた定点カメラでこちらを観測しているかのようだ。
「街中に監視カメラなんてあるのか?」
もとの世界では街中に接地されている監視カメラは割とありふれたものではあった。しかし、テレビもないこの異世界で街の広い範囲をカバーする監視カメラ網が作られているとは思えなかった。
「そうなると、やっぱりなんらかの竜に力によるものか?」
呟きながら、竜夫は自身に問いかける。
無数に仕掛けられた監視カメラのようなことができる力があってもおかしくはないが――
だが、それが具体的にどういうものなのかはわからない。竜が持つ力というのは非常に幅広いのだ。その中にはこちらの予想や常識を超えた力も多くあるだろう。
そもそも、この視線を向けている何者かは一体なにを目的にしているのか? それがよくわからない。刺客であれば、いつまでもこうして視線を向けているとは思えなかった。狙える瞬間などいくらでもあったはずだ。それこそ、あの視線をはじめて感じられた、この街に帰ってきたときなど絶好のチャンスだった。なのに、その瞬間を狙わなかったのは何故か? 考えられるのは――
「あのときは、視線を向けている何者かに、動き出せない理由はあったから――かな」
なにかしなかったときというのは、なにかしたときと同じくなんらかの事情があってそうしなかったのだ。
「それとも、いま僕に視線も向けている何者かは、軍が放った刺客ではないのか?」
それは完全に否定できるものではない。だが、軍以外のやつらに狙われる理由がないのもまた事実であった。
しばらく歩いたところで、向けられている視線の方向が変化する。やはり、その変化の仕方は定点カメラのようだ。
仮にこの視線が軍の刺客ではなかったとしても、リスクを考えるのであれば無視するのは得策ではない。できることなら即排除したいところである。しかし、このように刻々と向けられる視線が変化されてしまうと、その場所を特定する間もない。どこから、どのようにして向けられているのかがわからないと動きようもなかった。果たして、どうしたものか――
そこまで考えたところで――
自分の前を歩いていた男性がよろめいた。その次の瞬間、膝をつく。それを見た竜夫は、手に持っていた荷物を地面に置き、倒れようとしていた男性を受け止める。倒れた男性は呼吸が異常に早くなっていた。突然、近くにいた人間が倒れたことで、まわりがざわめき出す。
男性を抱えた竜夫はそうっと地面へと寝かせた。地面に寝かせても、男性の状態は変わることはない。異常に呼吸が早くなり、とても苦しそうだった。
「誰か!」
竜夫は叫ぶ。男性がどのような症状で倒れているのかがわからない以上、素人判断で下手に手を出すのは危険であるように思えた。この場に、医療知識がある人がいてくれないだろうか?
「どうかしましたか?」
人ごみをかき分けて近づいてきたのは若い男。自分と同じくらいの年齢と思われる、日本人に近い風貌をした男だった。彼はこちらを見て、一瞬だけ足を止めた。驚いているように思えた。だが、すぐ止めた足を動かして、こちらに近づいてくる。
「突然、この人が倒れて」
竜夫がそう言うと、彼もしゃがんで倒れている男性の身体をそっとおこした。
「恐らく、過呼吸ですね」
彼はそう言うと手早く処置を行う。その手腕は見事なもので、ものの数分とかからず、あれだけ苦しそうにしていた男性の顔色が改善された。
しばらくしたところで、倒れていた男性は立ち上がった。
「すみません。ありがとうございます。もう大丈夫です」
「いえ、気にしないでください。当然のことをしただけですから」
謙虚な調子で彼は言葉を返した。
「もし、なにかあったら病院に行ってください。俺はあくまでも応急措置をしただけですから」
彼の言葉に、男性は「わかりました。ありがとうございます」と返答する。それから、少しだけ重い足取りで歩き出す。男性の姿が見えなくなったところで――
「助かりました。ありがとうございます」
竜夫は、男性に処置をしてくれた彼に言う。
「……気にしないでください。さっきも言ったように当然のことをしただけですから」
竜夫の言葉に、少しだけ間を彼は返答した。
「それでは、失礼いたします」
彼は少しだけぶっきらぼうな口調でそう言ったのち立ち上がり、踵を返して歩き出そうとした。
そのとき、彼の背ポケットに入っていたメモ帳のようなものが落ちたのが目に入る。それに気づいた竜夫は、それを拾い――
「落としましたよ」
そう言って、彼のことを呼び止めた。竜夫の言葉に彼は振り向く。竜夫は拾ったそれを彼に差し出した。
「……ありがとうございます」
彼は差し出されたそれを手に取って、再び背ポケットへとしまった。
「……どうかしましたか?」
竜夫は、彼がなにか含みのある視線を向けていたことに気づいた。
「いえ、なんでもありません。気にしないでください」
変わらずぶっきらぼうな調子でそう言い、彼は「それでは」とだけ言って歩いてきた道を引き返していった。彼の姿が雑踏に紛れていったところで、竜夫も踵を返し、地面の置いていた袋を取り出して歩き出す。
相変わらず、こちらにはどこからか視線が向けられている。やはり、どこの誰から向けられているのか不明だ。
仕方ない。前と同じように遠回りしたり、刺客になりそうなところを移動して撒くしかないか。
そう結論づけた竜夫は自身の向けられている視線がどこなのかを窺いつつ、再び歩き出した。
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