後篇 再び先に進むために

第125話 どこかの誰かの記憶

「――――」


 誰かの話し声が聞こえる。複数人の男の声。なにを言っているのか、よくわからなかった。


 男たちがこちらを見る。白衣を着た、研究員らしき男たちだった。彼らの目は、なにか奇異なものを見ているように見えた。


 身体は微動だにしない。どうやら、身体に強力な拘束具をつけられているうえに、なにか薬も盛られているようだった。それがどんなものかはわからない。だが、確実に身体にいいものではないだろう。頭と身体が重い。ぐらぐらと世界が歪んで見える。


「――――」


 話し声が聞こえてくる。やはり、白衣を着た彼らはなにを言っているのかよくわからない。まったく聞いたことのない言語のように思えた。


 そういえば、自分はどうしてこんなところにいるのだろう? ここはどこだ? そんなことを回らない頭でぼんやりと考えながら視線を動かしてみる。


 ぼんやりと見えてくる風景は、なにかの実験を行う場所のように見えた。まったく知らない場所だ。それは、どこか禍々しさを感じさせる。自分のものではない、誰かの血の匂いが充満しているような気がした。


「――――」


 またしても話し声が耳に入ってくる。相変わらずなんと言っているのか見当もつかない。だが、彼らの言葉尻から、それが自分に対して好意的なものではないのは明らかだった。そもそも、このように拘束されているのだから当然ではあるのだが。


 再び身体を動かそうとしてみる。しかし、拘束具は微動だにしない。まるで鋼鉄に塗り固められているようだ。身体はなにかによって固定され、倒れることすら許されない。何故、こんな目に遭っているのだろう? こんな風に人間に捕らえられるようなことをした覚えはないはずだが――


 そこまで考えたところで、なにかが記憶に甦る。


 見知らぬ風景。まったく聞いたことのない言葉。白衣を着た複数人の男たちと、武装をした男たち。窓のない場所――


 それらを、知っているような気がしたが、よくわからなかった。記憶が混濁している。あれは、なんだったのだろう? なにか、重要なことだった、ような――


 思い出そうとしても、いまの自分には思い出すことができるほどの力がまったくなかった。頭が全然回らない。思考力を奪われているかのようだ。できるのは、芋虫のようにみじめに蠢くことだけ。


「――――」


 話し声が聞こえてくる。話す彼らのニュアンスから、どうやらなにかを相談しているらしいことがわかった。そのうちの一人にぼんやりと視線を向けてみる。その表情を見るに、どうやら彼らは困っているらしい。恐らく、その原因は自分のことなのだろう。そんな風に思った。


 そのとき、奥にある扉が開かれた。扉を開けて入ってきたのは、若い女性。自分よりも若い年齢に見えた。


 彼女は白衣の男たちを遮ってこちらに向かってくる。その足取りは、この場の誰よりも立場が上であると感じさせる堂々としたものだった。彼女は迷うことなくこちらに近づいてくる。こちらに目を向けたのち、近くにいた白衣に対して――


「――――」


 こちらを指さして、なにかを言う。やはり、なにを言っているのかよくわからなかった。それでも、彼女もこちらに対し好意的なものではないのは明らかだった。彼女は、何人かの白衣と何回か言葉を交わしたところで――


「おい」


 と、こちらに語りかけてきた。


「いま私はお前にもわかる言葉で話している。ろくに頭は回っていないだろうが、聞こえているな?」


 その言葉に対してなにか返そうと思ったが、口になにかを詰められているらしく、返すことはまったくできなかった。


「返す必要はない。お前の返答などまったく求めてないからな。そもそも、反応できる状態でもあるまい」


 彼女は冷徹に、吐き捨てるように言う。


「どうやら、ここの連中はお前の処分に困っているようでな。聞いたところによると随分と面白い体質をしているそうじゃないか。そこでお前に朗報だ。ことは我々が有効活用してやることにした」


 彼女は澱みなく、言葉を連ねる。彼女のその言葉は、ろくに志向もできない胡乱な頭にもよく聞き取れた。


「喜べ異世界人。お前は我々の大いなる一歩の礎となるのだ。そのために、精々馬車馬のように働くといい。働きようによっては、お前がもう一度生きる機会となるだろう。話は以上だ。おい」


 ひと通り話し終えた彼女は近くにいた白衣を呼び止めた。白衣は無言のまま、近づいてきて、こちらの首筋になにかを打った。その瞬間、歪んでいた世界がさらに歪んだ。


「精々、面白く足掻くといい。足掻けるかどうかは知らんがね」


 胡乱な意識が断絶する間際、彼女の顔を見る――


 その顔は――何故か知っているような気がした。



「…………」


 そこでケルビンは目を覚ます。見知らぬ風景に一瞬どきりとし、すぐにローゲリウスまで足を運んでいたことを思い出した。


 ケルビンは身体を起こし、ベッドから降りる。ここは、ローゲリウス新市街にある宿。値段的には、それなりに裕福な市民層が泊まる場所だ。


 窓から朝陽が差し込んでいた。室内に備えつけられた時計を見る。時刻は朝の五時半。目を覚ますには少し早いが、これから仕事を行うので、二度寝するわけにもいかない。ベッドから降りたケルビンは洗面所に向かい、しっかりと覚醒させるために顔を洗う。


 顔を洗いながら、考える。


 先ほど夢のこと。あれは一体、なんだったのだろう? 夢だったのにもかかわらず、やけにはっきりと記憶に残っている。なにか知っているような気がするが、それが何故なのかわからない。なにか、あったような――


 水を出しっぱなしにしたまま、しばらく考えたものの結局答えは出なかった。水を止め、顔を拭いて洗面所を出る。


「ブラドー」


 ケルビンは、自身の内にいる同居者に話しかけた。


『なんだ?』


 ブラドーはいつも通り不機嫌そうな声を響かせて反応する。


「こういう状態だと、ブラドーの記憶が夢に出たりするのか?」


『さあな。だが、あってもおかしくないだろう。俺とお前はかなり深いところまで同一化しているのだからな。またおかしなものでも見たのか?』


「まあね、そんなとこ」


 ケルビンは誤魔化すように返答したが、ブラドーが追及していることはなかった。部屋へと戻り、ベッドへと腰かける。


「まあ、俺のことはいいさ。ところで、ヒムロタツオの行方はわかってるのか?」


『まだはっきりとした場所はわからん。だが、恐らく新市街のほうにはいないな。こちらは奴の気配が薄い』


 ブラドーは淡々と事実を述べる。


「じゃあ、いるのは旧市街のほうか?」


『恐らくな』


 ローゲリウスの旧市街は、新市街よりも広いうえに、区画整理が進んでいないため、かなり細々としている。ブラドーがいればある程度は追えるものの、そう簡単にはいかないだろう。


 ケルビンはそんなことを考えながら、この部屋に持ち込んできた鞄を開いた。中に入っているのは着替えと衛生用品と紙の束。ケルビンは紙の束を取り出す。


 これは、暗殺などの汚い仕事を生業とする、特殊作戦室御用達の道具、通称人払いだ。


 その名の如く人払いは、ある特定の対象以外の存在をその場から追い払う道具である。人の多い都市部で作戦を行うのには必須の道具だ。


 関係ない存在を追い払うといっても、この道具は万能ではない。発動させるには、対象の身体の一部が必要なるし、発動させるのにもある程度の時間要し、広い範囲に効果を及ぼすには、そのぶん数が必要になってくる。


 これを発動させるには、まずはヒムロタツオの身体に一部を手に入れなければならない。それまでは、派手な行動は厳禁だ。狙う機会があったとしても、ひっそりと行う必要があるだろう。


 ケルビンは人払いに問題ないことを確認したのち、鞄へと戻した。


「ところでブラドー」


『なんだ?』


「俺はヒムロタツオをやれると思うか?」


『さあな。奴とまだ接触していない以上、判断はできん』


「……それはそうか」


『どうした、ここまで来ていまさら弱気になったか?』


「そうかもしれない。なにしろ、あの三人を返り討ちにしたんだ。弱気に襲われるくらいあるさ」


『ふん。人間というのは忙しいな。まあでも一応言っておこう。俺の力は竜どもに対してだけは絶大な力を持っている。殺せないという理由はないのは確実だ』


「失敗するとすれば、俺のほうに問題があるってことか?」


『そうだ。俺の力を使うのはお前なんだ。お前次第でどういう方向にも転がる』


 自分次第――か。それはなかなかに難儀だ。こちらとしても常にある一定の力を出せるように心がけている。だが、それでもうまくいくときもあればいかないときもある。その、うまくいかないときがヒムロタツオと相対したときに来なければいいのだが――


「やってみるしかない、か」


『その通りだ。だが、お前の場合は多少失敗をしたところでそれほど問題にはならんだろう。なにしろ、俺たちは生き汚いことにかけてはなによりも長けているんだからな』


「確かにそうだ」


 こちらは多少の失敗をしたところでやり直せる。自分が持つ力はそういうものなのだ。その生き汚さと諦めの悪さを武器にするしかない。


「あとブラドー、もう一つ訊きたいんだけど」


『なんだ?』


「地下室のような所で拘束されていたことってあったりする?」


『……さあな。あったかもしれんしなかったかもしれん。だが――』


 ブラドーはそこで一度言葉を切り――


『それはいまのお前にとっては関係ないことだ。余計なことは考えないほうがいい。手が鈍るぞ』


「……そうか。ならいいや」


 そんなことよりも大事なのは仕事だ。この国を脅かすヒムロタツオの始末。いま自分が第一に考えるべきはこれだ。そう決断したケルビンは先ほど鞄に戻した人払いを手に取って立ち上がった。


「旧市街を探してみよう。まずはヒムロタツオに接触する。人払いを使えるようにしないと」


 立ち上がったケルビンはポケットに人払いの束を入れた。


「それじゃあ、行こう。いつも通り、探索を頼むよブラドー」


 自身の内にいる存在に話しかけたのち、ケルビンは部屋を出た。

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