第124話 帰り道

 公共交通機関を乗り継いでローゲリウスまで戻ったとき、もうすでに夜は更けていた。帝都に比べると街灯が少ないせいか、街はすっかり寝静まっているように思えた。竜夫は、どこか恐ろしさのある夜の街を歩いていく。目指すのはもちろん、旧市街にあるセーフハウス。


「空を見るのは、久々な気がする」


 夜空を見上げる。東京よりも遥かに明かりが少ないので、見える星の数は多かった。暗い中、遠い空のどこかで小さく輝くそれを見ていると、少しだけ心が落ち着いてくる。


 そういえば、こちらではどれくらいの時間が経過しているのだろう? 時間の流れが通常とは異なる竜の遺跡にいたせいで、時間の感覚がおかしくなっているようだ。時差ぼけのようなものかもしれない。しかし、数日こちらで過ごしていれば、それも治るだろう。


「とにかく、いまは早く戻らないと」


 竜夫はウィリアムから受け取った小袋を開いた。


 その中にあるのは、目が眩むような輝きを持つ、手のひら大の結晶。それからは、巨大な宝石よりも遥かに強い魔力のようなものが感じられた。恐らくそれは、気のせいではない。この結晶に確かな力がある。それは、自分自身が一番理解していることだ。


 竜夫は立ち止まってまわりを確認する。人の姿はどこにもなかったことを確認して、袋の中に入っている結晶を取り出した。


「……すごいな」


 直接手に触れてみると、この結晶が持つ力がより強く感じられた。その力は、確かな熱と脈動があるように思えてくる。野球ボールほどの大きさしかないのにもかかわらず、とてつもない重さを持っているように錯覚してしまうほどだ。それは、遠く離れていても目を引きつけて離さない圧倒的な存在感がある。


「……しまっておいたほうがいいな」


 これを目につくような状態で持っているのはとてつもなく危険だ。この結晶には、それだけの力と魅力がある。下手に誰かの目つけば、その気がまったくなかったはずの人ですら魔が差してしまうかもしれない。いまの自分であれば強盗が来たところで特に問題はないが、追われている身である以上、騒ぎを起こすのは得策ではないのは明らかだ。帝都から離れているからといって、安心していいわけではない。竜たちはすでに、この国の深くまで入り込んでいる。多少離れた程度では、その影響力から逃れることはできないだろう。


 竜夫は取り出した結晶を袋にしまい、再び歩き出した。


 小切手の換金は、明日でも問題ないだろう。いまはとにかく、早く戻るほうが先だ。病に倒れるみずきはいまも予断を許さない状況だろう。治ってくれていたらいいとは思うが、物事はそう簡単にいってくれるものではない。なにしろ、あれだけの高熱に侵されていたのだ。そんな簡単に治るのだったら、ハル医師だってあそこまで深刻にはならなかっただろう。


 年季を感じさせる硬い石畳の上を進んでいく。角を折れ、坂道を下って旧市街へ。自身の足音だけが響いていた。街が寝静まっているせいか、その音は大きく聞こえた。


 そんなとき――


「…………」


 竜夫は、どこかから自身に視線を向けられていることに気づき、立ち止まった。感覚を研ぎ澄まし、周囲を探る。


 だが、周囲には誰の姿もない。どこかからべっとりとした視線を向けられているという嫌な感触だけがある。これを気のせいだと思えるほど、楽観的に考えることはできなかった。


 ローゲリウスに来てから、それなりの時間が経過している。いつか見つかるだろうとは思っていたが、こちらの想定よりも遥かに早かった。どうせなら、みずきの状態がよくなってからがよかったが、敵がそんな風にこちらに気を遣ってくれるはずもない。


 立ち止まっていた竜夫は、再び歩き出す。これからどうするべきか? それを考えながら、旧市街の道を進んでいく。


 べっとりとした視線は的確にこちらを追ってくる。いま自分に視線を向けている誰かが近くにいないのは確かだ。恐らく、遠くから監視しているのだろう。それにもかかわらず、視線はやけに正確だ。まさか、以前自分を襲った刺客のように、透視能力を持っているのだろうか? あり得ない、とは言い切れないが――


「いや、違うな。これは――」


 歩きながら、竜夫は気づく。いま自分に向けられている視線が一つではないことを。複数の方向から、視線を向けられている。それはまるで、大きな店舗の中にある監視カメラのようであった。


 どうする? 歩きながら、それを考える。


 このまま素直にセーフハウスに帰るのは危険だ。自分一人ならそれでもいいが、いまはみずきがいる。彼女の安全を第一に考えるのであれば、いま自分に向けられている視線をまかなければだめだ。病に倒れている彼女に危険が及ぶかもしれない。彼女に危険が及ぶことだけは、なんとしても避けなければ。


 竜夫は角を折れ、細い路地へと入り込んだ。


「……消えたな」


 路地に入り込むと、自分に向けられている視線が途切れたことに気づく。どうやら、いまこちらに視線を向けている何者かは、透視はできないらしい。


「死角になりそうな道を通って戻るしかないか」


 手間ではあるが、みずきに危険が及ばないようにするためには背に腹は代えられない。手間と言っても、たいしたものではない。多少、セーフハウスまでの道のりが遠くなるだけだ。


 竜夫は、できるだけ死角になりそうな道を選んで進んでいく。


 しばらく回り道をしたところで、セーフハウスへと辿り着いた。視線は感じられない。自身を追っている視線に見つかる前に、扉を開け――


「ただいま」



(2部前篇 新たな敵と新たな困難 完)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る