第82話 わずかなる光明

「竜石って……」


 竜夫はそう言葉を漏らし、部屋に灯してある明かりに視線を向ける。


「あれ、ですよね?」


「そう。明かりやら燃料やら色々なものに使われているあれだ。実は竜石には生命体を活性化させる力があってね。その施術を行えば、重度の風邪で倒れる彼女への対処療法としてはこれ以上にないと言えるだろう」


 その言葉を聞いた竜夫は、暗闇しかなかった道の中にわずかな光明が見えたように思えた。だが――


「でも、問題があるってさっき言ってましたよね。なにが問題なんですか?」


 竜夫は、ハル医師が先ほど言っていた言葉を思い出した。


 重度の風邪で倒れているみずきに対して、生命体を活性化させるというその施術はとてつもなく有効のはずだ。それにもかかわらず、ハル医師が『問題』と言うのにはそれなりの理由が存在するのだろう。


「手術が難しいんですか?」


 竜夫は重ねて問いかける。


「いや、手術が難しいわけじゃない。心臓をはじめとした内臓に埋め込むとなったら非常に難度の高いものになるし、高度な技術が必要になるけれど、若くて健康なあの娘の場合なら、手の甲を少し切開して、小指の爪の半分くらいの大きさの竜石を埋め込むので充分こと足りるだろう。だから、私でも問題なく行えるし、無菌室も必要ない。道具さえあれば、この部屋で行うこともできる」


 ハル医師は首を振って竜夫の言葉を否定する。


「じゃあ、一体なにが――」


「まず問題になってくるのは、身体への負担かな。竜石の力によって無理矢理生命力を活性化させるわけだからね。埋め込んだ竜石が身体になじむまで、体力が落ちやすくなる。だから、基礎疾患を持つ人や高齢の人には行えない。


 でも、きみが言う通りこの娘が基礎疾患などない健康体であるのなら、副作用である体力の低下はそれほど問題にはならないだろう。三年くらいすれば、竜石が身体になじんで低下した体力も戻ってくるからね」


「…………」


 手術も簡単。若くて健康なみずきであれば、手術による副作用もそれほど問題にはならない。あらゆる病気に対する万能な治療法のように思える。それなら、一体なにが問題なのだろう?


「一番の問題は、この施術には高純度の竜石が必要になるってことだ。竜石はそこらでも買えるくらいありふれたものだけれど、人体に埋め込んでも問題にならない純度のものになると話は別だ。工業をはじめとして多くの産業に非常に高い需要があるからね。だから、純度の高い竜石は非常に高価だ。そうやすやすと手に入るものじゃない」


「先生でも手に入れることは難しいんですか?」


「一応、私にも伝手くらいはあるけれど、そもそも出回っているのが少ないから、すぐに手に入れるとなると難しいね。それに私は闇医者だから、足がつかないように手に入れるとなると、色々とやるべきことがある。そうなってくるとどうしてもそれなりの時間がかかってしまうからね」


 ハル医師は淡々と、淀みなく言葉を繋いでいく。医師として、彼女の口から淡々と告げられる事実は、身体を切り刻むような鋭さが感じられた。


「逆に言えば、問題になってくるのはそれだけだ。非常に高価な純度の高い竜石さえ手に入れば、重度の風邪で苦しむ彼女を助けられる可能性は高まるだろう」


 助けられる方法はあるのに、その方法が取れないというのはとてつもなくもどかしかった。目の前に、絶対に取ることができない餌がつるされているようだ。


「先生がその伝手を使って、純度の高い竜石を仕入れるとなると、どれくらいの時間がかかるんですか?」


 竜夫は、自身を切り刻むような事実の痛みに耐えながら、ハル医師に問いかけた。


「そうだね。最低でもひと月はかかるかな。あくまでも最低だから、場合によっては、それ以上かかるものと思っていてくれ」


 最低でもひと月。場合によっては、それ以上の時間を必要とする。仮にひと月で手に入れることができたとしても、重度の風邪で苦しむみずきがひと月も持ちこたえられるのかどうか不明だ。なにとり、ひと月も苦しんでいる彼女のことを見たくない。竜夫は、なにもできない自分が悔しくて、もどかしくて、自分の指が掌を貫きそうなほど強く握りしめた。自分がいた世界で、重病を患い、臓器移植を待っている患者の親族も、いまの自分のような悔しさ、はがゆさを感じているのだろう。


「……悔しいよな。私も悔しいよ。助けられる手段があるのに、それを取ることができないってのはさ。医者としても、人としてもね。でも、そう簡単にうまく行ってくれないのが現実ってやつだ。医学というのは、万能ではないからね」


 ハル医師の言葉は相変わらず淡々としていたものの、その中には悔しさが滲んでいるようだった。


「他に方法は、ないんですよね」


 もしかしたらと思ってそう言ったが、ハル医師は無言のまま首を振って竜夫の言葉を否定する。


「ないね。風邪の万能薬がない限り、できることは対処療法だけだ。そもそも竜石を埋め込む手術も対処療法の一種だしね」


「そう……ですよね」


 わかっていても、その事実を告げられるのはとてつもなく苦しかった。


「氷室くん、きみは少し休め。彼女のことは私が見ておくから。少しでも気を落ち着かせたほうがいいよ」


 淡々と、だけど優しげな言葉を語りかけるハル医師。竜夫はその言葉を聞いて、「そうですね」と首肯する。それから「失礼しました」と言って竜夫は部屋を出た。居間へと戻り、椅子へと腰かける。


 居間は相変わらず竜石のランプで照らされていた。夜が深まったせいか、部屋の中は暗さが増していた。


「竜石、か」


 竜夫は部屋を照らす竜石のランプを見る。どうにかして、彼女を救えるかもしれない高純度の竜石を手に入れることはできないだろうか?


 そこで、あることに思い至る。


 先ほど、みずきがこの世界の言葉を理解できるようにするために行ったことをやれば、竜石を埋め込む手術と同様のことができるのではないかと思ったのだ。


「どうだろうな。言葉を理解できるようにしただけでも、彼女はかなりの苦痛を感じていたはずだ。重度の風邪に苦しんでいる状態でそれを行ったら、耐えられるかどうかもわからない。できることなら、彼女は人のままでいるべきだ。自分が背負うものを、彼女に背負わせるのは駄目だ。なにより、とりあえず試してみて、死んでしまったのでは話にならない」


 あらゆる道が封鎖されている、そう思えた。


「……くそ」


 竜夫は静かに言葉を漏らす。なにかできることはないかと思うものの、結局なにもできることはないという答えに行き着いてしまう。


「少し、気分転換しよう」


 竜夫はそう言って、立ち上がった。シャワーでも浴びて、気分を落ち着かせよう。考えるのは、それからでもいい。


 竜夫を襲う、悪夢の夜はまだ続く。

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