第81話 どこかの呪われた街

 目の前に広がるのは異質な光景。石造りとは違ったなにかでできた、摩天楼のごとき建物が建ち並ぶ巨大な街。そこは地獄のように鮮やかで、ある意味では天国のような楽園でもある。自分は何故か、まったく知らないその街の中で、一人佇んでいる。


 地面も石とは異なる素材で舗装されていて、その道は非常に歩きやすい。歩くたびに足裏に跳ね返ってくる感覚はなんとも言えない心地よさがある。それは、どこか懐かしさが感じられるものだった。


 懐かしい? そう思った瞬間、ケルビンは自身に問いかける。


 どうして自分はこのまったく知らない街を懐かしいなどと思うのだろう。この街で暮らしていたことなんてないはずだ。それなのに、何故――


「――――」


 得体の知れない謎に困惑していると、ケルビンの前に魔物が現れる。犬のように見える個体。この街においては、ありふれた存在だ。そいつらは、この街を、いやこの世界を侵食しつつある。人にある種のギフトと呪いを与え、この世界を根底から作り変えてしまった異形なる存在。魔物は、いつでも飛びかかれるぞと言わんばかりに様子を窺っている。


 そして、再び疑問に思う。


 どうして、いま自分はあれを魔物であると理解できたのだろう? あんな異形の怪物など、一度も見たことなんてないはずなのに? 得体の知れない疑問が再び侵食してくる。なんだ、これは? どうしてこんなものを見ているのだろう。


「――――」


 様子を窺っていた魔物はずっと聞いていると発狂しそうな禍々しい唸り声を上げてケルビンに飛びかかってくる。ケルビンは飛びかかってくる魔物にすぐさま反応し、冷静に横にステップし、飛びかかってくる魔物の牙を回避。回避すると同時に懐にしまいこんでいた短剣を取り出し、流れるような動作で距離を詰めた。そのまま短剣を魔物の頭部に振り下ろす。一切の無駄もなく脳天を貫かれた魔物は犬のような鳴き声を上げ、血飛沫をまき散らして永遠に沈黙した。


 ケルビンは、魔物が動き出さないことを確認したのち、再び異形の街を歩き出す。


「なあ兄さん、あんた××××の人間だろ? 頼むよ。俺になにか恵んでくれないか?」


 歩いているケルビンに浮浪者と思われる男が話しかけてきた。ケルビンは少し考えてから、財布から紙幣を取り出して浮浪者に手渡した。金を受け取った浮浪者は「へ、へへへ、ありがとうよ」卑屈な声でケルビンに礼を言う。物乞いをする浮浪者に、特に不快感はなかった。だが、気になったのは――


 いましがたあの浮浪者に渡した紙幣が、まったく見知らぬものだったことだ。そもそも、どうして見知らぬ紙幣など持っているのだろう?


「ねえ、お願いよ。あなた××××の人間でしょう? この街をさっさとなんとかしてよ。あんたらは魔物と戦えるんだろ?」


 歩き出したケルビンに今度は血に汚れた衣服を身につけた中年の女性が切羽詰まった様子で話しかけてくる。


「…………」


 ××××とは一体なんだ? 誰かに言われても、自分が考えようとしてもその部分だけは何故かノイズのようなものが走って理解ができない。


 そもそも、××××とは一体なんのことだ? そんな職業などまったく聞いたことがない。


「ふん。だんまりかい。××××に入るようなエリート様はあたしみたいなのは助ける必要なんてないってわけか。魔物の血を飲み込んだバケモノどもに癖に。あーやだやだ。どうしてこんなことになったのかねえ。昔はここも平和だったのに。魔物どもなんて、一匹残らず死ねばいいのに」


 中年の女性は竜夫に向かっては呪詛に満ちた言葉を吐き捨て、歩き去った。


「……バケモノというのは、否定できないな」


 そんな言葉が自然と漏れ出た。確かに、あんな名状しがたい魔物どもと戦えるのは、同じようにバケモノ化した存在だけだろう。


 それから、ケルビンは様々な人に話しかけられた。その誰もが、自分に対して××××と言ってくる。話しかけてくる誰も彼も、異様なほど病的だった。


 この××××というのは一体なんなのだろう? まったく知らないはずなのに、その言葉がやけに引っかかる。


「この街は、呪われている」


 そんな言葉が、何故が口から漏れだした。


 自分はその呪いをなんとかするために、××××に――



『いつまで寝ている』


 不意にそんな声が聞こえて、ケルビンは目を覚ました。見慣れた光景の、鉄道の中。帝都を離れる下りのためか、乗っている人の数は少ない。


『次がアーレムだ。さっさと起きろ』


 相変わらずぶっきらぼうで不機嫌そうなブラドーの声が響く。


「……ああ。起こしてくれてありがとう」


 ケルビンは自身のパートナーに礼を言う。


 それにしても、夢の中で見たあの光景は、あの街は一体なんだったのだろう? まったく知らないはずなのに、あの街のおぞましさには異様なほどの覚えがあった。なにが、どうなっている? 自分の足もとが徐々に壊されていくような感覚がケルビンを襲う。


『……どうした?』


 こちらの異変を嗅ぎ取ったのか、ブラドーがそう問いかけてくる。


「妙な夢を見た」


『……ほう。どういう夢だ?』


「まったく知らない街で、自分がまったく知らない立場の人間として呼ばれている夢だ。そんなこと一切知らないはずなのに、何故か知っているような気がしてさ」


『…………』


 ブラドーは沈黙する。


「どうかしたか?」


『いや、気にするな。お前が見たそれは、いまのお前にとっては一切関係がないことだからな。さっさと忘れろ。雑念を持ち込んでいると、痛い目を見るぞ』


「……そうだな」


 ケルビンはブラドーの言葉に同意した。いまの自分にはやるべきことがある。やるべきことをやるためには雑念は不要だ。相手は強敵だ。不要な雑念によって、死ぬ可能性だって充分にあるだろう。


 鉄道は今日も変わらずがたごとと揺れながら線路を進み、数少ない乗客を運んでいく。


「……バケモノ、か」


 夢の中で言われた言葉がケルビンの脳内に過ぎった。


「なあブラドー、俺はバケモノだと思うか?」


『随分と唐突だな。どうかしたか?』


「いや、ただ気になっただけだ。たいした理由は特にない」


『……まあいい。気になるのなら答えてやろう。俺からしてみれば、お前も他の人間とさして変わらん。所詮は人間だろう』

 ブラドーは率直な答えを述べる。


 所詮は人間。他の人間とさして変わらない。その返答は、超常の存在たる竜である彼らしい答えのように思えた。


 がたごとと揺れる電車の速度が落ちてくる。そろそろ、アーレムにつくらしい。座席に座っていたケルビンは立ち上がった。


 自分がバケモノであろうと、そうでなかろうと関係ない。バケモノであることを否定しようと、人間であると肯定しても、自身の身に宿す力が消えてくれるわけではないのだ。


『まあ、一つ言うのであれば、自身をバケモノであると認識していると、いずれ本当にバケモノと化すだろう。人間というのはそういうものだ。その線を踏み越えたくないのなら、自分をバケモノだと思わないがいいだろう』


「そう、かな」


 ケルビンには、ブラドーの言葉が正しいのかどうかよくわからなかった。


 そんなことをしているうちに電車が止まり、扉が開く。ケルビンは歩き出して、鉄道をあとにする。


「ここで、なにか足取りを探れればいいんだけど」


 駅に降り立ったケルビンはぼやいた。


 さっさと雑念は捨てよう。その雑念が命取りになるかもしれないのだから。


 ケルビンは、敵であるヒムロタツオの足取りを追うために、ゆっくりと歩き出した。

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