第64話 影の突破
敵の能力は知れた。であるならば、次に考えるべきはそれをどのように突破するかである。
影。それは、明かりが少ないこの場を支配しているもの。本来であれば、そこにあるように見えながらも絶対に触ることができない存在。ヨーゼフはそれを物質化させて操っている。
奴の能力が影であったのなら、いままで不可解だった点も説明がつく。攻撃を仕掛けた自分の前から消えていたのは、その能力を駆使し、影の中に潜っていたのだ。恐らく、影に潜った奴は高速で移動できるのだろう。現に、影の中に潜った奴はまるで瞬間移動したとしか思えない移動を行っていたのだから。
能力が無尽蔵としか思えなかったことも説明がつく。この明かりの乏しい暗い地下は、暗闇――要は影によって支配されている。そして、その影は強い明かりが発生しない限り、消えることはない。その消えないものを、利用していたのだ。だから、奴の能力は無尽蔵に供給されているように見えたのだ。いや、発生源を潰さない限り無限に等しく生み出されるのだから、それは無尽蔵であると言っても差し支えないだろう。
さらに、奴の能力の強さは、そこに存在する影の総量にも比例すると思われる。そうでなければ、奴の操る影があれほどまでの重量感とパワーを持っていることに説明がつかない。
明かりのある壁を背にした竜夫は、人型の黒い影と睨み合いながら考える。人型の黒い影も、まだ動かない。
まさに、奴の能力は圧倒的な地の利を得ていると言えるだろう。この中にいる限り、奴は無尽蔵に等しい力の供給と、圧倒的なパワーを行使できるのだから。
なんとかして、その力の供給を断たねばならないが、それは難しい。なにしろ、ここは外の明かりが入ってこない地下である。そのうえ夜だ。仮に外におびき出せたとしても、外も同じく奴の力の供給源となる影に支配されている時間帯だ。そもそも、この閉ざされた地下から、狡猾な奴が逃がしてくれるとは思えなかった。無尽蔵に等しい力を行使できるのであれば、ここから逃がさないようにするなど容易なはずだ。それになにより、奴の無敵の精神性には、挑発なんてものは通用しないだろう。
くそ、と竜夫は心の中で悪態をついた。現在は、どこまでも奴に有利な状況だ。はっきりいって、奴の能力を、この状況を打開するものはなにもない。この廊下にあるのは、ぼんやりとした頼りない明かりだけだ。
ここにある明かりを使って、なにかできないだろうかと考える。だが、その考えはすぐに否定した。先ほど、人型の黒い影が壁を背にした自分に攻撃を仕掛けてきたとき、奴のその力が、こちらがなんとか押し返せる程度に、わずかに弱まっただけだった。
それが意味するのは、ここにある明かりでは、奴を破壊、もしくは急激に弱体化させることは不可能ということだ。
この場が異様に暗く感じられるのは恐らく、ヨーゼフの能力によるものだろう。奴の能力によって、この場にある明かりの強さを意図的に弱められている。それも、自身の能力に支障がでないレベルまで。そうでなかったのなら、もっと明らかな形で力が弱まる状況が発生していたはずだ。
やはり、この状況を打開できるものはない。はっきりいって、詰んでいるといってもいい状況だろう。なにしろこちらは、相手が無尽蔵に力を行使できる場に踏み込んでしまったのだから。
圧倒的な劣勢。いま自分が使えるものは、自分の力だけだ。それ以外、なにも持ち合わせていない。
それでも、と思う。
圧倒的な劣勢であろうと、相手が無尽蔵に等しい力を行使できるのだとしても、自分は前に進まなければならない。
ここで諦めてしまえば、それでなにもかも終わりだ。自分はもとの世界に戻ることはない。
そしてなにより、ここで無意味に召喚され、奴の残虐な人体実験の餌食となった人々の報いを受けさせることができなくなる。それだけは許せなかった。あの影の奥にいるあの狂人だけは、なんとしても殺さなければならない。差し違えることになったとしても、だ。
「…………」
先に動いたのは人型の黒い影だった。焦りも躊躇も一切見せることなく、淡々と為すべきこと果たすために、達人然とした踏み込みで一気に距離を詰めてくる。自身を生み出した主とは違って、一切言葉を語ることはない。
竜夫も踏み込みつつ、迎撃する。明かりの近くにいれば力が弱まるといっても、それは本当にわずかなものだ。決め手にはなり得ない。そのわずかなもののために、壁を背にするリスクを負うのは悪手だろう。それなら、前に踏み込んでしまったほうがいい。
距離を詰めてきた人型の黒い影は腕を硬化させて振り下ろす。竜夫は振り下ろされたその腕を両手に持った刃で受ける。その一撃は石の塊を叩きつけられたかのような重さだった。竜夫は、その重さに膝が折れそうになる。
だが、耐える。自分を圧倒的に上回る腕力で放たれる一撃に耐え――
そこから、一瞬だけ、わずかに身体を引いて人型の黒い影を受け流し――
身体を翻して、人型の黒い影の背後を取る。そのまま、手に持った刃で人型の黒い影の胸を貫こうとした。
しかし、竜夫の刃は硬い音を響かせて阻まれた。人型の黒い影の背中から、無数の棘が突き出していたのだ。攻撃を阻まれた竜夫はすぐさま後ろにバックステップ。襲いかかろうとした棘を寸前で回避。人型の黒い影は、それからゆっくりと振り返る。
どこまでも芸達者な奴だ。自身を一度殺した攻撃を防ぐだけでなく、こちらが行った防御を真似してくるとは。ここまでされてしまうと、落胆よりも相手に対して称賛したくなってしまうほどである。敵ながら見事だ。
だが、これでまた一つ道は狭まった。奴には同じ手段は通用しない。
やはり、どうにかして奴を弱体化させる光を発生させなければならないのか? 奴を弱体化させるような強い光を発生させるものなんて――
そこまで考えたところで、気づく。使えるものが、一つだけある。
あれを使えば、奴を弱体化させられるかもしれない。
しかし、駄目だ。奴を倒したところで、奴を生み出したヨーゼフの力は無限に等しく供給されているのだ。奴を真の意味で倒すのなら、その力のもとを断たなければならない。仮にここで倒したとしても、先ほどと同じようにすぐ復帰してくるだろう。
この場に存在する影を消すことはできない。であるならば、奴を倒す手段はただ一つ。
あの黒い影に護られているヨーゼフを倒すしかない。ヨーゼフがこの場に存在する影を物質化させているのだから、奴を倒せば自身の前に立ちふさがるあの人型の黒い影も消滅するはずだ。
だが、どうする? ヨーゼフに近づくのなら、あの人型の黒い影を倒さなければならない。それから、人型の黒い影が復活するまでの間に、ヨーゼフを仕留めなければ駄目だ。達人のごときあの人型の黒い影を突破するのは容易ではない。
しかし、人型の黒い影を突破さえできれば、ヨーゼフを打ち倒すことも可能だ。
竜夫は刃から片手を放し、ヨーゼフを打ち倒しうるそれを確かめる。反応があった。問題ない、はずだ。
許されているチャンスは一度きり。それを逃したら、もう万事休すだ。ここで、道半ばで終わることになる。
前に進め。
竜夫は自身を奮い立たせる。
目の前に立ち塞がる敵がどれだけ強大であったとしても、前に進まなければなにも得られない。
竜夫は、刃を構え直し、人型の黒い影が動き出すよりも先に前へと踏み出した。
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