第63話 光と影

 人型の黒い影に向かって飛び込んだ竜夫は、手に持った刃で突きを放つ。人型の黒い影はその突きを硬化させた腕で防ぐ。竜夫の刃と人型の黒い影は硬質な音を立てた。竜夫の突きを防いだ人型の黒い影は逆の手を同じく硬化させて貫手を放つ。


 竜夫は後ろに引き、人型の黒い影の貫手を回避しつつ、逆の手に銃を創り出して、散弾を放った。攻撃の態勢に入っていた人型の黒い影に竜夫が放った散弾が降り注ぐ。しかし、散弾は人型の黒い影に命中したものの、それはまるで水の中に石でも投げ込んだかのようだった。ダメージを負っているようにはまったく見えない。


 竜夫が放った散弾を受けきった人型の黒い影は最小の動作で踏み込んできて距離を詰める。その動きは自分の意思が存在しない影とは思えないほど、見事なものだった。これを行っていたのが人であったのならば、達人の域を超え、神域に達していると評されていただろう。


 刃物のように鋭く硬化した腕が竜夫に迫る。人型の黒い影が誇る圧倒的な膂力を放たれるそれは、竜の力を得た竜夫をも容易に殺しきる必殺の一撃。まともに食らえば、腹を貫き、抉り取り、いくつもの内臓を破裂させ、致命傷となるだろう。竜夫は片手に持っていた銃を消し、刃を両手に持ち替え、迫りくる人型の黒い影の貫手を防ぐ。


 だが、自分を上回るパワーで放たれる人型の黒い影の貫手を完全に受けきることはできなかった。竜夫は後ろに五十センチほど後退させられる。重い衝撃が両手に響く。


「…………」


 人型の黒い影は相変わらず沈黙を保ったまま、後ろに後退させられた竜夫を追撃する。一切の感情が見えないその所作で、淡々と自らの責務を忠実に遂行するその姿は、下手な怪物よりも恐ろしいものだった。


 踏み込んできた人型の黒い影は、身体を翻してわずかに動作を遅らせて、今度は足による一撃を放ってきた。人型の黒い影の踵が竜夫のこめかみへと迫る。


 腕よりも遥かに強い足の攻撃を防御しようとすれば、体勢を崩されると判断した竜夫は身体を引いて、自身の脳を破壊せんと迫る人型の黒い影の踵をかわす。それから、振った足を透かしてできたわずかな隙を突き、距離を詰める。低い姿勢で飛び込み、下から突き上げる一撃を放つ。


 しかし、その一撃は空を切った。人型の黒い影は蹴りを放ったときの反動を利用して、回りながら飛び上がり、空中から強襲を行った。竜夫の身体に、人型の黒い影の踵が再び襲いかかる。


 竜夫はすぐに防御に転じ、空中から襲いかかる人型の黒い影の踵を刃で防いだものの、その重さによって姿勢を崩されてしまう。


 一切体勢を崩すことなく床に着地した人型の黒い影は一切無駄のない、流れるような動作で距離を詰め、体勢を崩された竜夫との距離を詰める。


 距離を詰めた人型の黒い影は腕を硬化させて、貫手を放つ。その動作には一切の無駄がそぎ落とされていた。目の前にいる敵を撃滅させるための一撃。足による攻撃で大きく姿勢を崩されてしまった竜夫は反応が遅れてしまう。手に持った刃では、間に合わない。


 だが、人型の黒い影の手が竜夫の身体を貫くことはなかった。竜夫は自らの身体から刃を突き出させて防御したのだ。硬い音が響き渡る。致命傷は避けられたものの、その代償として腕が千切れるような激痛が走った。


「ぐ……」


 竜夫が千切られるような激痛に耐えながら、腕から突き出させた刃を発射しつつ後ろに後退。人型の黒い影の腕は、竜夫が放った刃によって深々と貫かれていた。


「…………」


 それは人であれば大きく攻撃能力が低下する重傷であっただろう。しかし、人型の黒い影にそれは一切見られない。人型の黒い影は、無造作に、自身の腕に突き刺さった刃を引き抜いた。そのまま引き抜いたそれを竜夫へと投擲すると同時に床を蹴って距離を詰める。


 竜夫は、自身に向けて投げ返されたその刃を弾いて防いだのちに踏み込んで、迎撃。竜夫の持つ刃と人型の黒い影の硬化した腕が衝突し、鉱物同士をぶつけたような硬い音が響いた。


 しかし、竜夫が自らの持てる技量を駆使して迎撃しても、人型の黒い影は持ち前の腕力でこちらを力づくで押し込んでくる。圧倒的な腕力に押され、竜夫は後ろに弾き飛ばされた。


 竜夫を弾き飛ばした人型の黒い影はさらに踏み込み、そのまま自らの身体をぶつけてくる。竜夫はなんとか刃で防ぎ、直撃は防いだものの、人型の黒い影の全体重をぶつけられて、さらに後ろへと弾き飛ばされた。背後の壁に激突し、目の前に星が散った。動きが止まってしまう。


 人型の黒い影は、壁に激突して怯んだ竜夫の隙を逃さない。淡々と、達人然とした動作で流れるように距離を詰める。壁に激突し、わずか怯んだ竜夫は、当然のことながら反応が遅れてしまう。


 距離を詰めてきた人型の黒い影の硬化した腕が襲いかかる。狙うのは、竜夫の首。ただ命を刈り取ることだけを考えた一撃だった。竜夫は刃を上げ、自らの首に迫る人型の黒い影の硬化した腕を防御する。またしても硬い音が響き渡った。竜夫は、全力を駆使して、自分の首のわずか十数センチのところまで迫った人型の黒い影の硬化した腕を押し返そうと踏み込んだ。


 竜夫の刃は、人型の黒い影の硬化した腕を振り払った。腕を振り払われた人型の黒い影は後ろへと後退。竜夫との距離は五メートルほど。


「…………」


 竜夫と人型の黒い影は、お互い距離を保ったまま睨み合う。それは、どちらが先に動いても、あるいは動かなかったとしても敗北するような緊迫感に満ちていた。

 睨み合いながら、竜夫は違和感を感じていた。


 どうして、いま自分は奴を押し返すことができたのだろう? 相手の腕力はこちらを遥かに上回っている。しかも、その腕力はこちらが先んじて技術を凝らしても押し返されてしまうほどなのだ。それほどの腕力を持つ相手に、まともにぶつかり合って勝てる道理はない。


 なのに、どうしていまあの瞬間、押し返せたのだろう? いままで幾度となく同じようにぶつかり合ってきたというのに。


 戦いには、都合のいい偶然は万に一つにも起こり得ない。この異世界に召喚されてから繰り広げてきた戦いの中で、それは充分すぎるほど実感していた。戦いの中でなにかが起こったら、大抵の場合そこにはなにかしらの理由が存在する。


 身体のまわりに爆発性の液体をため込んでいたバーザルが、それをできる限り失わないために刺突や斬撃を回避していたように。


 すべてを透過するはずのあの女が、地面をすり抜けてこなかったように。


 いま人型の黒い影を押し返すことができたのだって、それらと同じように理由があるはずだ。戦いとは、そういうものである。


 竜夫は、人型の黒い影と睨み合いながら、あたりを確認。あたりはただ明かりが少ないというだけではない暗さが広がっている。そこには、目立ったものはなにもない。暗闇以外にあるものは、ぼんやりとした頼りない明かりだけだ。


 そこまで考えたところで、自分の背後の壁に明かりがあることに気づく。その明かりはなにかを被せられたかのようなぼんやりとしている。


 まさか、この明かりが奴の力を減衰させたのか? いや、まさか。そんなわけない、と思ったが――


 そこで気づく。


 あの人型の黒い影の正体――ヨーゼフが行使する能力の正体に。


 光を当てたら弱まるもの。そんなもの、誰の目から見ても明確じゃないか――


 奴の正体。それは――


 この場に存在する、影そのものだ。

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