第54話 地下へ

 竜夫は、地下を目指して施設内を進んでいく。


 施設内は相変わらず静寂に包まれていた。自分の歩く足音だけが異様なほど大きく響いている。いまは敵が無力化されていることはわかっているのに、不安が尽きることはない。いつどこで誰かが部外者である自分を見つけるかわからなかったからだ。いつまで敵を無力化できているのだろうか? そのわからなさが時間を追うごとに不安を大きくさせていく。侵入してからまだそれほど時間は経過していないはずだが、とても長い時間が経っているような気もしてくる。


「……結構広いな」


 外観をしっかり確認する前に建物の中に侵入してしまったせいで、この建物がどれくらいの広さなのかよくわからなかった。だが、相当の広さがあることは間違いない。これだけの規模があるのなら、自分が求めているものもあるのではと思えてくる。


 しかし、施設内を進んでいっても、目的のものはなかなか見えてこない。それどころか地下に続く階段すらも見つけられていない状況だ。早くなんとかしなければと思うと、焦ってはいけないとわかっているのに、だんだんと焦りが大きくなってくる。


 たまたま目についた扉に手をかけてみた。できるだけ音を立てないように、そうっとノブを回してみたものの、扉は開かない。しっかりと施錠されている。


 施設内は複雑な構造にはなっていないのに、ひたすらに同じような光景が続いているせいで、確かに前に進んでいるのに、ずっと同じところを回り続けているのではないかと思えてきた。一体、いま自分はこの施設のどこにいるのだろう? 誰かに問いかけるように心の中で唱えてみたけれど、当然のことながらそれに答えてくれるものはいない。進めているのかどうかがわからないことも竜夫の不安を大きくさせていた。


 果たして、これがいつまで続くのだろう? そう思った瞬間――


「あった……」


 やっと目の前に階段が見えた。階段は二十メートルほど先の位置にある。竜夫は、一度あたりを確認したのちに、前に見える階段へと足を進めていく。


 階段は地下にだけ続いていた。地下へと進む階段の先は、より深い暗闇と不穏さに包まれているように思えてならない。誰もいない深夜帯であるからそう思えているだけなのか、なにか言葉にできないなにかを無意識に感じ取っているためなのか、どちらなのか判断できない。


 しかし、この暗闇を怖がっていては、なにも為すことができないのは明らかだ。進むしかない。竜夫はそう結論づけて、背後を一度確認したのちに、階段を一段一段、できるだけ足音を立てないように降りていく。


 階段を一段降りるたびに、自分の身にまとわりつく暗闇が濃くなっていくような気がした。明かりは確かにあるはずなのに、どうして暗くなっているように思えてしまうのだろう? そんな疑問を抱いたけれど、わからなかった。


 階段を降りるときに響く足音がいままでよりもまして大きく聞こえる。できるだけ音を立てないようにしているのに、どうしてこんなに大きな音を響かせてしまっているのだろう? その程度のことすらできない自分に対し、苛立ちが募る。苛立つと同時に、自分が響かせる足音のせいで見つかってしまうかもしれないと思うと、より不安を大きくさせた。


 それでも、前に進まなければならない。ここで恐怖に負けて逃げてしまったら、きっと自分はこの先なにも為せなくなってしまうだろう。そう思えてならなかった。


 大丈夫だと自分に言い聞かせる。いまの自分には、自分を守る力がある。それを信じろ。いままでだってなんとかなってきたじゃないか。これだって、いままでと同じようになんとかなるさ。そう心の中で唱え、自身に暗示をかけていく。


 階段を降りきった先には、扉があった。鉄のような素材でできた、いかにも重たそうな扉。


 竜夫は、その扉に手をかける。もしかしたら開かないのでは? と思ったが、その予想に反し、ドアノブは回り、扉は軋む音を立てながら開かれた。


 扉の先には、廊下が広がっている。ぼんやりとした明かりだけで転々と照らされた廊下は、まるで異界のように思えた。おかしなものも、明らかに恐ろしいものもなにもないのに、どうして暗闇というのはここまで心を不安にさせるのだろう? 人という生き物が、自身を守るために、ずっと暗闇を避けて生き続けてきたせいだろうか? なんてことを思いながら、扉の先に廊下に足を踏み出した。


 踏み出したところで、そういえば、他にこの施設に侵入するといっていたハンナの仲間たちはどうしているのかが気になった。いまのところ、まだ遭遇していないが――


 結局、あいつらはなにを目的にこの施設に侵入しようなんて思っていたのだろう? そこには間違いなく明確な理由が存在するはずだが――


 しかし、そんなことを考えている余裕はない。いまはできるだけ早く前に進み、この場所に自分が求めているものがあるのかどうかを確かめるのだ。ハンナの仲間たちがなにを考えていようと、それは変わることはない。


 廊下に足を踏み出した竜夫は、開けた扉をゆっくりと戻していく。あたりが静かすぎるせいで、その音もやけに大きく聞こえてならなかった。扉を閉めたことを確認したのち、竜夫は薄暗い廊下を進み出した。


 やはり、この場所も通ったのかどうか記憶がない。少しでも記憶に残っていればなんとかなったかもしれないのにと思うものの、いきなりなにもわからない異世界に召喚された状態でそんなことができるはずもなかった。


 しばらく進むと、目の前に人が倒れているのが見えた。竜夫は前に進む。倒れていたのは、白衣を着た男。


「白衣ってことは、兵士じゃないよな……」


 竜夫が近づいても、白衣の男は動かない。


 白衣の男のまわりには、書類がぶちまけられていた。竜夫は恐る恐る、そのうちの一枚を拾ってみる。A4ほどの大きさの紙に、黒い文字がタイプされていた。


 ざっと読んでみたものの、手に取ったそれは途中のページらしく、なにが書かれているのかよくわからなかった。内容からして、論文のようである。はじめから読んでみればある程度わかるかもしれなかったが、侵入した身で、いつ動き出すかもわからない人間のそばで悠長に床にぶちまけられた紙を一枚一枚確認しているような時間などない。情報が欲しいのは事実だが、わざわざここで危険を冒す必要はないだろう。


 さっさとここを離れよう。そう思ったとき――


 倒れている白衣の男の近くに扉があることに気づく。竜夫は、どうするか少し考えたのちに――


 竜夫は開いている扉に手をかけた。ドアノブはがちゃりと音を立てて回った。どうやら、扉は施錠されていないらしい。恐らく、この部屋に出入りしていたそのときに、ハンナの力が襲いかかったのだろう。倒れている男のまわりに論文と思しき紙がぶちまけられているということは――


 この部屋は、重要な書類を保管する部屋なのだろう。であるならば――


「なにか、有益な情報が見つかるかもしれない」


 竜夫は、倒れている男が気づかないように小さな声で呟く。


 自分の召喚が、なんらかの目的を持って行われたのなら、その情報はなんらかの形で保管されているはずだ。もしかしたら、もとの世界に戻るヒントが見つかるかもしれない。


 竜夫は、倒れている男に目を向ける。紙の束に埋もれている男には、動き出す気配はない。


「……とりあえず、行ってみよう」


 そう結論を下した竜夫は、手をかけた扉をゆっくりと押して中に入った。

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