第53話 潜入中
走り出した竜夫の目の前には、すぐにあの施設を外部から遮っている壁が立ちはだかる。壁の高さは、五メートルほど。近づいてみると、その圧迫感と存在感はさらに強くなる。
しかし、竜夫は止まらない。この程度の壁など、いまの自分にとっては障害にはならないのだ。容易に飛び越えられる。竜夫は地面を強く蹴り、上へと飛び出した。
飛び上がった竜夫の身体は、綺麗な放物線を描き、壁にも、その上にある鉄条網にも一切触れることはなかった。空中で姿勢を整えてから着地。あたりを見回す。壁の中の敷地には明かりが少なく、視界は不明瞭であった。
あれだけ堂々と壁を飛び越えたというのに、敵がこちらに近づいてくる様子はない。本当に、いまこの施設にいる兵士たちを無力化しているようであった。敷地内を監視するための明かりは相変わらず動きを止めている。
早く動き出そう。竜夫はそう判断を下した。この状態がいつまでも続いていることはないはずだ。無効化された兵士は、いずれ復活するだろう。その前に最低でも、建物の中に入らなければならない。
暗く、不明瞭な敷地の中に視線を巡らせていく。数秒、あたりを見回したところで――
「見つけた」
二時の方向に、建物があるのがうっすらと見えた。それを確認した竜夫は、すぐに動き出す。地面を蹴り、加速し、いまは動かない監視塔から放たれている明かりをすり抜けるように進んでいく。敵の姿は、まだ見られない。
走り出した竜夫はすぐに建物に辿り着いた。三階建てのそれなりに大きな建物。ここまで近づいても、この場所が、自分が召喚された場所なのかどうか確信はまったく持てなかった。
「どこか、入れそうな場所は……」
あたりに警戒を巡らせつつ、侵入できそうな場所を探す。すぐ近くに窓があった。竜夫はそこに近づく。
当然のことながら、窓は開いていなかった。竜夫は窓を叩いてみる。窓はガラスのような材質で、防弾加工などはされていないようであった。
竜夫は一度、あたりを見回したのち、手に刃を創り出して、そのガラスを切りつける。竜夫によって振るわれた刃によって、ガラスは綺麗に切断され、切断されたガラスは音を立てて砕け散った。そして、自らが作り出したその穴に身体をねじ込んでいく。
窓から施設の中へ身体を押し込みきった竜夫は、床に着地する。敵の姿は、まだない。
施設の中は不気味な静寂に包まれていた。その静寂はきっと、ハンナの力によって作り出されたものなのだろう。竜夫は、できるだけ音を立てないようにして歩き出した。
中に侵入しても、まだここが、自分が召喚された場所だと確信は持てない。そもそも、中がどういう風になっていたのかなんてまったく記憶に残っていなかった。あの状態で、建物の中がどうなっていたかなど覚えているような余裕などなかったのだから、当たり前ではある。だが、ここまで入り込んでも確信が持てないのはなかなか精神的につらいものがあった。この場所が、自分が召喚された場所でなかったのなら、今度はここを無事に脱出しなければならないのだ。恐らくそのときは、侵入したときのように敵を無効化するなんてことは望めないだろう。となると、その難易度は侵入のときよりも一気に跳ね上がる。果たして、やれるのだろうか?
いや、と竜夫は首を振って思い直した。
何度も思ったことだが、どれだけ難しかろうと、できなかったらそれで終わりなのだ。生憎、これはゲームのようにセーブアンドロードは不可能である。どれだけ難度が高かろうと、初見で一発クリアするしかないのだ。なんとも理不尽極まりない難度だが、残念ながらこれはゲームではなく現実である。失敗してもやり直せる、なんていうぬるさなど現実には大抵の場合はない。
不気味に静まり切った廊下を進んでいく。角から顔を覗かせて、先を確認する。その先に、兵士の姿があった。しかし、その兵士は尻もちをついたまま一切動かない。竜夫は一瞬躊躇したのち、できるだけ音を立てないように動かない兵士に近づいた。兵士は、こちらに気づく様子はない。
動かない兵士に近づくたびに、竜夫の心音は大きくなっていった。もしかしたら、自分が近づいたその瞬間に、兵士が動き出すのではないかと思えてならなかったからだ。
竜夫が動かない兵士の一メートルほど後ろの位置を通っても、彼は気づくどころか、微動だにしない。音を殺して兵士の後ろを通り抜けた竜夫は、すぐに加速してその場を離れた。
「動かない、気づかないってわかってても、やっぱり怖いな」
動かない兵士から離れた竜夫は、そう呟いて少しだけ安堵する。できることなら、動かないのであっても兵士の近くは通らないようにしたいところだ。ハンナの力による無効化はいつまでも続くものではない。有限である以上、大丈夫と思って通り過ぎようとしたそのときに、兵士が我に返り、こちらに気づく可能性は充分にあり得る。
竜夫は静まり切った廊下を進んでいく。
やはり、この場所が本当に自分が召喚された場所なのかは判別できない。記憶に残っているのは、軍服を着た兵士たちと、白衣の男たちと――
「そうだ」
そこまで考えたところで、竜夫は気づいた。
自分が召喚されたあの場には、一切窓がなかった。であるならば――
「地下……か?」
竜夫は自分の言葉をかみ締めるように言う。これだけの敷地があるのだから、地下になにかしらの施設があってもおかしくないが――
「いや、のんびりしている時間はないし、とりあえず行くだけ言ってみよう。どこかから地下に行けるはずだ。どこぞの製薬会社の洋館じゃないんだし、地下に行く階段が隠されていることはない、と思うけど――」
とにかく、動くしかない。動かなければなにも始まらないことは、異世界に来てから嫌というほど思い知らされた。
竜夫は、地下に向かう階段を探すために動き出した。
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