第55話 資料室で見たもの

 扉を開けて部屋に入ると同時に感じられたのは、紙とインクの匂い。異世界でも同じように感じられるその匂いはどこか懐かしいものだった。部屋の中は暗闇に包まれている。数十センチ先すらもまともに見えない。竜夫は、扉の近くの壁を手で探る。扉のすぐ横に、スイッチがあった。それを押すと、ぱちりという小さな音とともに部屋の照明が点灯する。蛍光灯とは違う雰囲気の異世界の明かりによって部屋の中が照らされた。古いのか、どこかぼんやりとしているように思えた。部屋の中には、天井まである書棚がいくつも並んでいる。


 竜夫は、自分がいま入ってきた扉を確認する。扉には鍵と思われるものがあった。内側から施錠と開錠ができるようになっている。これなら万が一、部屋の外側から施錠されたとしても、閉じ込められることはない。それを見て、少しだけ安心する。


 竜夫は、人一人がなんとか通れるスペースしかない圧迫感のある書棚の間を進んでいく。天井まである書棚の中にはファイルがいくつも収められていた。収められているファイルはどれも分厚いものばかりだ。それが、所狭しとただひたすらに並んでいる。


 ここに、自分が求めているものがあるのだろうか? これだけあれば、なにか有益な情報がある可能性は高い。しかし、時間が限られている現在、大量にあるファイルの中から求めているものを見つけるのは難しいのは明らかだった。


 とりあえず、と思って手近の書棚に手を伸ばし、ファイルを一つ抜き取ってみる。相当多くの書類を挟み込んでいるらしく、そのファイルには重量感があった。


 背表紙を確認。そこには、研究報告書1と崩し気味の文字で書かれていた。ファイルを開いて、中を確認してみる。


 表題には新型農薬の開発と生産についてと書かれていた。一応、はじめの何行か目を通してみたが、当然のことながら、それはいま自分が求めている情報ではない。竜夫はファイルを閉じて書棚に戻した。


 狭い書棚の間を進みながら、ファイルの背表紙を次々と眺めていく。自分がいま求めている情報が収められていそうなファイルはなかなか見つからない。


 書棚の中に収められているファイルはどれも研究開発に関係するものばかりであった。恐らくここは、軍事基地ではなく、研究を主とする施設なのだろう。とは言っても、軍の施設に変わりないから、ある程度兵士は常駐しているだろうが。


 ファイルの背表紙を確認しつつ、書棚の間を進んでいく。書棚の間は狭いので、上のほうを見ていると首が痛くなった。できる限り、一つ一つ背表紙に書かれている名前を確認し、背表紙から内容がわからないもの手に取って、最初のほうに目を通してみる。だが、異世界召喚に関する情報は見つからない。時間だけが静かに過ぎていく。


 一つ目の書棚をひと通り確認し終え、隣の書棚に移動する。同じように背表紙に書かれている名前を確認し、わからないものは手に取ってみる。違う。違う。違う。求めているものが見つかる気配はない。


「……ないな」


 せっかくなにか手がかりを得られそうな場所に入れたというのに、現実は思うように進んでいくれない。そのままならなさに、竜夫は苛立ちを感じた。異世界に来てから、こんなことばっかりだ、なんてことを思いながら、書棚にあるファイル名を確認していく。


 資料室の中は外の廊下以上に静寂に包まれているような気がした。なにかしら防音加工がされているのか、ただの気のせいなのかはわからない。


 やっぱり、この場所に手がかりはないのか、そう思いながら、研究報告と書かれたファイルを取り出して中身を確認してみると――


 表題には召喚魔法に関する研究報告と書かれていた。それを見た瞬間、竜夫の心音は一気に跳ね上がった。


 やはり、この場所で異世界召喚が行われていたのだ。異世界からなにかを呼び出す場所なんて、他にあるとも思えなかった。であるならば、自分が召喚されたのはここであるのはほぼ間違いないだろう。歓喜とともに、竜夫は報告書の本文に目を進めていく。


 この国を完全掌握し、その影響力を大陸全土に及ぼしつつある我々は、その繁栄を強固なものにするためには、拡大と成長を続けなければならない。当面の目的は合衆国のある東部大陸であるが、もうすでに合衆国中枢には我々の同胞が入り込んでいる。こちらの大陸と同じようになるのは時間の問題であろう。我々が問題とすべきは、そのあとである。


 繁栄をした我々は、この世界だけは受け止めきれない。である以上、すべての民を繁栄に導くのであれば、ここ以外の地を求める必要があるだろう。我々には、もうすでにその手段の筋道はできている。


「…………」


 報告書の言い回しを、どこか不審に思いながらも、竜夫は報告書を読み進めていく。


 いずれ行うべき他世界への拡大を行うためには、まず本当にここ以外の世界が存在するのかを確認する必要があるだろう。そのために、我々はアーレム地区にある研究施設に、その実験を行う設備を新設した。


 結論から言えば、我々の世界以外は存在する。別世界から、人間と思われる種を召喚することに成功したからだ。


 召喚されたのは二十代の男性。人種的には東部の島嶼同盟に近い。外見からわかる形質が我々の世界のものと非常に酷似していることは非常に興味深い。である以上、召喚された男性がいた世界の環境は、我々の世界と非常に似ているはずだ。そうでなければ、このような偶然が起こり得るはずもない。


 召喚された男性は、我々の言語をまったく理解していないようであった。我々の世界でも、山一つ、海一つ隔てただけでまったく異なる言語を使用しているのだから、これも当然と言える。詳細な調査は後日に行うこととする。


 報告書はそこで終わっていた。それを読んだ竜夫は、言いようのない不安に襲われた。


 召喚された男性というのは、自分のことではないのだろうか? 写真などは添付されていないので、確認する術はない。だが、そう思えてならなかった。


 竜夫は、不安に襲われながらも、報告書をめくる。


 先日、我々が召喚した男性は、この施設を襲撃したあのお方によって奪われてしまった。非常に残念である。しかし、どちらにせよ、我々が行った実験が偶然でなかったことを証明するためには、同じように召喚を何度も行い、成功させなければならない。次の実験に期待するとしよう。あのお方も、我々が召喚するたびに助けに来るようなこともしないはずだ。チャンスはいくらでもある。


 二度目の実験も滞りなく成功した。召喚されたのは、一度目の召喚した男性の倍ほどの身長のある種であった。性別は同じく男性。体格こそ巨大であったが、それ以外は一度目に召喚された男性と類似している。大きな頭部。二足歩行。五本の指。


 我々が捕獲しようとすると、その男性は暴れ出した。巨大な体格のその男性の膂力は、我らの世界では竜血持ちよりも遥かに強力であった。捕獲は成功したものの、兵士三名が負傷。うち一人が重傷を負った。命には別状なし。再び暴れられても困るので、薬品を投与し昏睡させたのち、拘束し、今度は邪魔されないために、地下実験場近くの牢獄へ入れておく。詳細な調査は後日行う。非常に楽しみである。


 じわり、と背中に嫌な汗が滲んできた。この先を読んではいけない。そう思ったけれど、手を止めることができなかった。


 二度目の実験で召喚した男性の詳細な調査の結果、内臓の配置も同じく非常に酷似していることが確認された。身体を切り開いた際に、叫び声を上げていたことから、痛覚を含めた五感もあることも確認。血液の色もこの世界の人間と同じ赤。


 興味深かったのは、薬物の反応だ。有害物質および劇物も同じような反応を示した。生物として同じような形質を持っているのだから、有害物質や劇物にも同じような反応を示すのは当然ではあるが、薬品の実験はなかなか人体での実験が難しい以上、これは有効活用ができるだろう。少し興が乗りすぎてしまったせいか、召喚された男性は死亡してしまった。次回から、うまく調整するとしよう。召喚された男性は不憫であるが、これも我々の繁栄のためである。その尊い犠牲は間違いなく糧になるはずだ。


「……!」


 その報告を読んだ竜夫は、持っていた重いファイルを思い切り地面に叩きつけた。そのままふらふらと後ろにある書棚に寄りかかった。


 わけがわからなかった。


 頭が痛い。


 いま読んだ報告書に書かれていたのは、この施設の人間が異世界から召喚された人間を使って行っていた人体実験についてだ。


「召喚された僕たちは、奴らにとっては家畜同然だったってわけか……!」


 竜夫は思い切り書棚を叩いた。竜夫によって叩かれた書棚は大きな音を立ててぐらぐらと揺れる。この音が施設の人間に聞かれようと、知ったことではなかった。


 言いようのない怒りは際限なく湧き上がってくる。鬼畜としか言いようのない行為を行われたこの場所にあるなにもかも壊したい衝動に襲われた。


 もしも、自分があの竜に助けられていなかったら、先ほどの報告書の男性のようになっていたのは明らかだった。自分は間違いなく幸運だった。それなのに、まったく喜べない。


 言いようのない怒りに震えていたそのとき――


 扉が開かれる音が聞こえる。扉を開けたのは、先ほどあの場所で倒れていた白衣の男。どうして明かりが点いているのだろう? というような顔をしていた。


 竜夫は、なにを思うよりも地面を蹴って、白衣の男との距離を一瞬で詰めて――


 手に刃を創り出し、白衣の首めがけてそれを振るう。首を切り裂かれた白衣は、一切のうめき声をあげることなく、大量の血を噴き出しながら倒れた。その身体は、二度と動くことはない。


 竜夫は、歯を軋らせながら、動かない白衣の死体を眺める。この男の死を辱めてやりたい衝動に駆られた。


 だが、竜夫は壁に思い切り裏拳を叩き込んで、自らを襲うその暗黒の衝動に身を任せることをなんとか踏みとどまった。竜夫に殴られた壁は、鉄球でもぶつけられたかのように大きくへこんでいた。


 それでも、竜夫の中に生まれ出る衝動は消えることはない。時間が経つごとにそれはどんどんと大きくなっていた。


「ふざけ……るな!」


 竜夫はそう声を上げ――


 ここで行われた鬼畜の所業が記録されたこの場をあとにした。

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