第44話 死闘
打開策は見えた。だが、問題はそれをどのようにして行うか、だ。わずかに見えた穴にどのようにして針を通し入れるかである。当然のことながら、いままでと同じようにチャンスは一度だ。失敗は許されない。あの女もいままで倒した二人と同様に、同じ手段を二度許してくれるような慈悲はないだろう。絶対に失敗できない。
どくり、と心臓の鼓動が強くなった。
身体のあらゆるところが痛い。どこが痛くないところなのかわからないほど痛い。これほどの痛みを受けているにもかかわらず、どうして生きているのだろうかと疑問に思う。
それでも、自分は生きている。
自分が思う以上にダメージを負っていて、本当は死にかけているのだとしても。
いまこの瞬間、生きていることは間違いない。
本当であれば、なにも知らず、なにも持たず、言葉すらも通じない異世界に召喚された自分はただ死ぬしかなかったのだ。
それが、なんの因果か風変わりな竜に助けられ、力をもらって、生き長らえることができた。それによって、死ぬしかなかった自分にわずかばかりの可能性を見出した。それは、間違いなくいままでの人生の中で最大なる僥倖だったと言えるだろう。
つらい。
苦しい。
痛い。
諦めたい。
逃げ出したい。
幾度となくそう思いながら、知っている者が誰もいない世界で、わずかに見える光を頼りに、ただ戻りたい一心で、この瞬間まで生きてきた。
自分でもつくづく諦めの悪い奴だと思う。
何度も死ぬような思いをしても、諦めることができないなんて。
さっさと諦めてしまったほうが楽だったのに、どうしてそれをしなかったのだろう? それは、自分でもよくわからない。
「ま、なんでもいいさ。自分のことなんて、自分にだってよくわからないんだから。そういうときもある。きっと、そういうことなんだろう」
竜夫はあたりを警戒する。どこかに、奴の気配が感じられるが、姿は見えない。
がくり、と膝が折れそうになる。しかし、いま持てる力を以てなんとか踏みとどまった。膝を突くにはまだ早い。ここで膝を突いてしまったら、二度と立ち上がることができないようにも思えた。
自分の心音と、荒い呼吸の音だけが聞こえてくる。人の姿が消えた街は、あり得ないほど雑音が少なかった。その異常な静けさが、竜夫を緊張させていく。
早く終わらせたい。そう思うものの、焦るのはNGだ。焦れば、破れる。わずかばかりの光明に通し入れねばならない。そして、それに失敗してしまえば、あの無敵の刺客を突破する手立てはなくなる。粘れば、またなにか見えてくるかもしれないけれど、いまの死にかけに片足を突っ込んでいるような状況でやっと見出した奥の手を失敗したあと、さらに粘ることは身体的にも精神的にもできそうになかった。仮に心が折れなかったとしても、身体のほうが保たなさそうだ。
そのとき――
一時の方向から、気配を感じる。三発の弾丸が飛来した。竜夫は横に身体をずらし、正確に放たれた弾丸を回避――
「が……」
竜夫の左鎖骨のあたりに弾丸が貫通。鋭い痛みによって身体が揺さぶられる。
敵は、こちらが回避することを見越して、その方向にも弾丸を放っていたのだ。あの刺客の力量を考えると、いまのこれがたまたまとは思えなかった。
銃弾が命中し、動きが止まったところに、壁をすり抜けながら女が現れる。女は壁をすり抜けると同時に、壁を蹴ってさらに加速して接近。その勢いを生かし、動きを止めた竜夫に向かって回し蹴りを放つ。竜夫は、体勢を崩されながらもその回し蹴りを防御した。直撃は防いだものの、防御に使った右腕から鈍い音が響き、そのまま横方向に吹き飛ばされ、壁に激突する。
壁に激突したことで、一瞬だけ意識が途切れた。だが、すぐに体勢を整え、攻撃を受けたほうに視線を向ける。
女の姿は再び消えていた。どこに行った? そう竜夫が思ったところで――
いましがた激突した壁から銃を持った女の上半身が現れ、その腕で抱え込むように竜夫の胸にそれを押しつけて――
ゼロ距離で、引き金を引く。
「……ぐ、あ……!」
竜夫は身体をずらし、破壊されることだけはなんとか回避したものの、そのすぐ近く、左胸を撃ち抜かれた。いままでとは比較にならないほど激しく出血する。
竜夫は大量の血を流しながら、壁に刃を放り投げた。
当然のことながら、壁から身を乗り出した女には当たらない。刃は女の身体をすり抜け、壁に当たって弾けて消える。壁から身を乗り出していた女は、再び壁の中へと潜っていく。女が壁に潜った隙に、竜夫は壁から離れる。
とにかく、壁が遮蔽物にならない以上、少しでも少ない場所に逃げなければ駄目だ。竜夫は、点々と大量の血を流しながら走り出す。
「これは……やばいな」
竜夫は左胸の傷を見る。
息が苦しい。心臓の破壊は免れたものの、恐らく肺をやられた。この出血量を考えると、損傷すれば命に関わる太い血管もいくつかやられているだろう。死神の足音がはっきりと聞こえてくる。本格的に、長く保ちそうになかった。
それでも竜夫は、足を止めない。どうせここまで抵抗してやったのだ。諦めたところでもう遅い。とっくの昔に、ルビコンは越えている。
「ごは……!」
口から血の塊を吐き出した。動くごとに命が失われていく実感があった。
それでも、竜夫の足は止まることはない。少しでも自分が優位になる場所を目指して、突き進んでいく。
背後から弾丸が飛来。竜夫はそれを横に飛んで回避するが、回避した方向に放たれていた弾丸に命中してしまう。今度は、右の脇腹を貫かれた。
まだ止まるなと、自分に言い聞かせる。
あと少しで、辿り着く。
あそこに行けば、わずかではあるけれど、こちらが優位になる。
竜夫は最後の力を振り絞って地面を蹴り、転がるようにそこに辿り着く。
そこは、遮蔽物のない広場。一番近くにある建物も二十メートルほど離れたところにある場所。
竜夫は背後を振り向く。
「ここへ来て、どうするつもりだ?」
両手に銃を構えた女がそこにいた。ゆっくりと近づいてくる。掌以外傷を負っていない彼女の姿は超然としていた。
「確かにここは、私の身を隠せる建物はない。だが、その程度では私の優位を覆せるとでも?」
「……どうせ死ぬなら、広くて目につきやすい場所がいいと思ってね」
竜夫は再び吐血する。
「その状態でもまだ減らず口を叩くか。さすがはあの方の力を手に入れただけはある。私に拷問趣味はない。せめてもの慈悲として、苦しまずに始末しよう」
女は、地面を蹴って竜夫に一気に近づく。
竜夫も同時に、刃を創り出し、逆手に構え、地面を蹴って女に接近する。
しかし、傷を負っていない女の方が早い。竜夫の身体に銃を押し当て、放つ。
竜夫は力を振り絞り、身体をずらす。竜夫は、女が放った二つの弾丸による致命傷を回避する。
しかし、二発の弾丸による致命傷こそ避けられたものの、それだけだ。竜夫は肋骨があるあたりを貫かれた。いまの状態でそれだけの傷を負うのは致命傷に等しい。
だとしても、竜夫は止まらなかった。いまの状態で完全に回避することなど不可能だ。ハナからそれは諦めている。致命傷を避け、いま手に持つ刃を振り下ろせればそれでいい。
竜夫は、最後の力を振り絞って、手に持った刃を振り下ろす。
当然、その刃は女の身体に当たることはない。一切の感触なくすり抜けて――
地面に振り下ろされる。
「な……」
何故か女の驚愕する声が聞こえてくる。
竜夫が振り下ろした刃は当たらなかった。
しかし、地面から無数に突き出した刃が女の身体を貫いていた。
そもそも、考えてみればおかしかったのだ。
自分自身を透過して、あらゆる攻撃を無効化するあの女は、どうして地面をすり抜けて襲ってこないのだろうと。
地面も同じく、人間にとって死角になる。地面は建物と違って、どこにでもある。そこをすり抜けていけば、圧倒的なアドバンテージがあったはずなのだ。
それをやっていないということは、明確にできない理由があるからに他ならない。
現在の奴の状況はこうだ。「自分の身体を透過する。ただし対象である氷室竜夫に対してのみ攻撃を命中するものとする」
奴の能力が持つ例外処理は、一つしかできない。そして、一度設定したら、自由に切り替えることができないか、戦闘中にそれを行うは困難である。
例外処理が一つしかできないのなら、どうして自分の身体そのものを透過しているのにもかかわらず、立っていられるのだろう? あらゆるものを透過するのなら、地面だって透過してしまうはずだ。それならば、どこまでも落ちていくのが道理である。何故、そうなっていないのか?
理由はただ一つ。身体の一部分、地面と接している部分を透過していないからだ。
奴の例外処理は同時にできないが、その代わり、部分的に透過しないようにすることが可能である。それは恐らく、自分の身体に対して透過を行った場合のみ可能なのだろう。
透過していない部分があるのなら、そこから攻撃を行えば命中する。その見立ては、見事的中した。そう思えるだけの理由はあった。竜夫が、距離を取るために地面から刃を突き出させたとき、あらゆる攻撃を無効化するはずの奴が踏み込まずにいたからだ。
確証はあったとはいえ分が悪すぎる賭けではあった。なにしろ地面に接している部位を除いてまったく攻撃が当たらないのだ。それでいて相手からは一方的に攻撃が当たるのだから。我ながら、よくやったと褒めてやりたい。
女の身体を貫いた刃は、無理矢理力を注ぎこんだことによって弾けて消える。消えると同時に、風穴だらけになった女の身体から大量の血が噴き出し、倒れた。竜夫は女の身体に触れてみる。動く気配はまったくない。
「終わった……」
女の死を確かめたところで、竜夫はそう呟いた。
「とりあえず……ここから、離れないとな……」
よろよろとよろめきながら、覚束ない足取りで竜夫は歩いていく。
「あ、やばい……もう無理……」
よろめきながら歩いていた竜夫の意識はどんどんと薄れていき――
ほどなくして、竜夫は力なく倒れた。
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