竜がいた異世界にて ‐無意味に異世界召喚された僕は最後の竜の力を得てもとの世界に戻るために抗い続ける ‐

第42話 無敵なる刺客

　とにかく、攻撃が当たらなければなにも始まらない。竜夫は走りながら歯がみした。

　これまで戦った二人の刺客も強敵だったのは間違いない。はっきり言って勝てたのは星の巡りよかったからだろう。なにかが一つズレていたのなら、やられていたのは自分であってもおかしくなかったのだから。

　だが、いま相対する最後の刺客はそもそも次元が違う。なにしろこちらの攻撃が一切当たらないのだ。話にならないといってもいい。

「戦いにルールもクソもないわけだが、これはひどい」

　竜夫はそう呟き、ため息をついた。

　最後の一人が楽な敵だと思って高をくくっていたわけではないが、まさかこんな切り札を持っているとは思わなかった。こちらの攻撃をすべても無効化し、相手はこちらに対し一方的に攻撃を当ててくる。ゲームだったらコントローラーを投げ出しているところだ。

「でも、そういうわけにはいかないんだよな……」

　無理ゲーだろうがなんだろうが、いま自分を襲う困難は紛れもない現実である。諦めるのは死と等価だ。であるならば、どれほどの困難が襲ってきたとしても、諦めるわけにはいかない。

　しかし、なにかあるはずだ。いままでだって突破口はあった。はじめは無敵のように見えたバーザルにも弱点は存在した。竜の力は完全無欠ではない。ならば、あの女の能力にもなにかしらの付け入る隙があるはずだ。そう思いたいところだが――

　今回ばかりはそれが見えてこない。バーザルのときにあった、わずかな光明すら見えない状況だ。どうにかして、完全無欠のように見える能力を突破する手立てを見つけなければならない。

　そのとき――

　竜夫の右から気配が感じられた。そちらに目線を動かした瞬間、壁から現れたのは手。次に現れたのは自分を狙う女の姿。壁から現れた女はその手を澱みなく竜夫の首にかけてきた。

「ぐ……」

　竜夫は手を振り払おうとする。だが、横から殴りかかられるように襲われたため、女の細腕とは思えない力で竜夫の首に手をかけられた。女はそのまま竜夫の身体を横方向に押し倒していく。

「この……」

　竜夫は女の両手で首を圧迫され、呼吸困難に陥りながらも、手に刃を創り出して反撃を行う。しかし、その攻撃は当たらない。女の身体を一切の手ごたえなく通過していく。間違いなくそこにいるはずなのに、確かに触られている感触があるはずなのに、こちらからはまったく触れない。何度見ても、それは想像以上に理不尽であった。

「……っ」

　女とは思えない力で首を締め上げられ、首を圧迫され、呼吸困難に陥っている竜夫は声にならない苦悶を漏らした。竜夫の首をつかむ女の手は、なおもその力を強めていく。そのまま首を潰すかのような勢いであった。

「ぎ……」

　呼吸困難に陥りながらも、竜夫は女の手を振り払うべく精一杯身体を動かす。だが、竜夫の身体はすべて女の身体を素通りしていく。依然として当たる攻撃が当たる気配が感じられなかった。

　竜夫の身体を押し倒し、馬乗りになった女は止まらない。竜夫の首にかける力をさらに強めていく。その力は、こちらからは触れないのが現実とは思えないほどだった。

「……」

　首を絞められ続け、竜夫の意識はだんだん霞んでいく。晴れているはずなのに、目の前が曇って見えた。竜夫は苦しみから逃れるために、女の手を振り払おうと全身を使って暴れるものの、女は一切介することはない。暴れる竜夫にしがみつくように、その手を首に食いこませている。

「あ……」

　意識がブラックアウトしつつあった竜夫は――

　無意識のうちに、自らを襲う苦しみから逃れるために、無我夢中で、全身から刃を突き出させた。

　いま襲う苦しさが消えたと思えるほどの激痛が全身に押し寄せて――

　次の瞬間、竜夫の首にあった圧迫感が消えた。一気に空気が押し寄せてきたせいで、竜夫は思い切り咳きこんだ。倒れていた竜夫は立ち上がる。自分に馬乗りになっていたはずに女が、五メートルほど後ろの距離に立っていた。どうやら、離れてくれたらしい。

「…………」

　竜夫から離れた女は、無言のままこちらに視線を寄せていた。

　竜夫の首をつかんでいたその手からは、血が滴っていた。その傷は、手の甲まで達している。竜夫が身体から突き出した刃によって手を貫かれたのだろう。

　だが――

　何故当たった？　竜夫は呼吸を整えながら、いま発生した出来事について考える。

　こちらの攻撃は、奴には一切当たらないはずだ。あの女は、こちらの放つ攻撃をすべて透過して、向こうかする。首を絞められていた竜夫が、あれだけ暴れたのにもかかわらず、触った感触すらまったく感じられなかったのがその証拠と言えるだろう。

　偶然が起こったとは思えなかった。いままで二度の戦いでの出来事に偶然はなかったのだ。命の危機に瀕したからといって、都合のいい偶然が起こしてくれるほど、戦いの神という奴は気まぐれではない。

　であるならば、命の危機に瀕した竜夫が無我夢中で放った攻撃が女に当たったのは、なにかしらの理由があるはずなのだ。

「それは遠くで見ていたが、間近でやられるととっさには反応できんものだな」

　女は貫かれ、決して少なくない量の血が滴る手の傷を一切気にすることなく、感心するような声を上げた。

「そりゃどーも」

　やっと呼吸が整った竜夫は、軽口を叩く。

　だが、いまの窮地を回避したことで、道は狭まったとも言えた。再び同じような状況に陥ったのなら、先ほどと同じ方法では逃れられないだろう。相手は戦闘のプロである。同じ手段を許してくれるとは思えなかった。

「どうした、来ないのか？」

　女はどこかにしまっていた拳銃を取り出しながら、悠然と言葉を発する。

「別に私が女だからといって遠慮することはない。なにしろこちらはお前の命を狙っている。女であろうがなかろうが関係なかろう。どこからでも来るといい」

　女は余裕そうな口を叩いているが、先ほどのように竜夫に後退する隙を一切見せていない。背後を見せれば、間違いなく後ろから脳天に風穴を開けられるだろう。

　しかし、前に進むこともできなかった。なにしろ奴には攻撃が当たらないのだ。突っ込んだところで、どうなるかなど目に見えている。

　突っ込んで、先ほどのように押し倒される状況になったらそれこそ終わりだ。今度は逃してくれないだろう。

　前にも後ろにも進めない。八方塞がり。万事休す。万策尽きたかのように見える。

　いや、と竜夫は心の中で思い直した。

　竜夫はいまもなお血が滴る女の手に視線を向ける。

　攻撃が当たらないはずの相手に傷を負わせた。それは本当にわずかなものでしかないとは思うけれど、いままでの戦いで見えてきた光明と同じものであるはずだ。

　だが、わずかに見えた光明がどのように勝機に伝わるかが見えてこない。

「それとも、諦めたのか？　それなら、私としてもありがたいのだが――」

　女はそこで言葉を止め――

「その目を見る限り、諦めたとは思えないな。私の奥の手を見て、そういう目をできたものはそういない。死んでも誇るといいだろう、異邦人」

「死んだあとでも誇れりゃいいけどな」

　竜夫の返した言葉に、女は「違いない」と返した。

「まあ、来ないお前をいつまでも待っているわけにもいかん。仕事というのは迅速に済ませられないのは無能の証だ。そろそろ、こちらから行かせてもらおう」

　女は言い終えると同時に、地面を蹴った。瞬く間に竜夫の一メートルほどの位置まで距離を詰め、流れるような動作で、その手に持った銃を竜夫に向けてくる。

　恐らく、女が持つ銃も同じく、竜夫には触れないのだろう。そうでないのなら、竜夫以外をすり抜ける弾丸を放つことはできない。竜夫は一瞬の間にそう判断を下した。

　竜夫は、全力で地面を蹴り、女の身体目がけて突進。竜夫の身体は、狙い通り女の身体をすり抜けた。女から三メートルほどの距離で後ろを振り返る。

「私の身体をすり抜けると判断して前に踏み出したか。その勇気、さすが二人を倒しただけのことはある」

　自分の身体を竜夫がすり抜けたことに介することなく、女は振り返った。

「だが、いつまでそうしていられるか？　お前があの方の力を得ていたとしても、私とお前とでは積み上げてきたものが違う。対象をいつまでも逃がし続けるほど、私は甘くない」

　両手に銃をぶら下げながら、女はゆっくりと竜夫に近づいてくる。

　地に手をつけた竜夫は、その手から、地面から突き出すように刃を発生させた。

　竜夫の目の前は一瞬だけ塞がれる。

　だが、すぐに女は向かってこなかった。

　わずかに作り出せた一瞬に隙をつき、竜夫は打開策を見つけるべく、再び後退を始めた。