第23話 次なる一手

 アンリの邸宅を出たのち、先ほどもらった封筒に入っていた番地の銀行に行き、指定の口座を確認してみると、本当に言葉通りの金額が入っていた。できるだけ金額を引き出し、財布に入れておく。もしかしたら、相手側によって大金が入っているこの口座が凍結される可能性もあり得るだろう。


 一応これで当座の問題であった資金面はなんとかなりそうだ。この世界における十万という単位がどれほどのものなのかまだつかめていないけれど、恐らく大金であるはずだ。竜の力を得たいまの自分であれば、食費などは大幅に節約できる。今後必要になるものを適宜購入していっても、一年くらいは持つのではなかろうか。


 あとは、自分を召喚したあの施設に関する情報だ。それさえつかめれば、もとの世界に戻れるかもしれない。あの施設は一体どこにあったのか。その情報は未だにつかめていない。


 街を歩きながら考える。


 やはり、アンリたちを頼るべきだろうか? いまの自分に使えそうなところはそこしかない。犯罪組織に頼るというのはあまりいい気がしないのは事実である。だが、そうも言っていられない。頼れるものがほとんどない以上、使えるものは使っておくべきだ。手段を選んでいられるような余裕などまったくないのだから。


 それにしても、と思う。


 自分を召喚した施設のことについて、どうやって訊けばいいだろうか? 軍事施設ではあまりにも漠然としすぎている。それでは、いくら情報網があったとしてもわからないだろう。誰かになにか質問するときは、その仕方も大事だ。適切に質問をできなければ、こちらがなにを訊きたがっているのか相手には伝わらない。できる限り正確に伝える必要がある。果たして、どうしたものか。


 先ほど渡された封筒から、中に入っているものを取り出してみる。そこにはいくつかの番地がタイプされた紙が入っていた。ここにタイプされた番地にあるものがなにかは不明だが、なにかあればそこを訪ねればいいと言っていた。まあ、行ってみればわかるだろう。


 気がつくと日がすっかり高くなっていた。心なしか、道を歩く人々の年恰好も変わっている気がする。しかし、人の数はまったく減っていない。朝よりも活気にあふれていると言えるだろう。


 歩きながら、次になにをするべきかを考える。


 しばらく考えながら歩いたところで気がついた。自分を召喚した施設について、適切に質問する方法を。


 足を止め考え、これならば、なんとかなるかもしれない、と思った。数少ない情報から自分を見つけ出したアンリの組織の情報網であれば、恐らくできるだろう。


 この異世界に来てから、やっと先に光が見えた気がした。これで、もとの世界に戻れるかもしれない。


 であるならば、早く動いたほうがいい。いまからここを訪ねてみるべきだろうか? そう思ったところで――


 再び感じられたのは、何者かの視線。立ち止まっていた竜夫は、あたりをそっと見回す。


 まわりには数々の人が溢れていた。自分のことを気にかけている者は目に見える範囲には誰もいない。だが、このどこかに、確実に自分に視線を向けているものがいる。


 しかも、先ほどとは向けられている視線の空気が違っている気がした。明らかに敵意が向けられているように思えてならない。


 立ち止まっていた竜夫は再び歩き出す。先ほどと同じように、人通りの少ない裏道へと向かう。裏道をしばらく進んだところで向き直ってみる。しかし、そこには誰に姿もなかった。


 遠くから監視をしているのか、それとも、こちらがおびき出そうとしているのを見越していたのか。どちらなのかはわからない。だが、裏道にやってきても、自分に向けられる視線が消えることはなかった。


 一体、何者だ? 足を止めていた竜夫は再び歩き出し、考える。


 自分を追跡してきているのは、警察だろうか? そう自分に問いかけてみる。


 いや、と首を小さく振って思い直す。アルバを殺したことで警察が追ってきているのならば、このように尾行することはないはずだ。今日モーテルを出てから、こちらを確保するために近づくチャンスなどいくらでもあった。そもそも、警察であるのなら、泊まっていたモーテルに踏み込んできても問題なかっただろう。なにしろ自分が行ったのは理由がどうであれ殺人である。それだけのことをする大義名分になるはずだ。仮にそれができなかったとしても、ふらふらと出歩いていた自分を取り囲んで確保しようとするチャンスなどいくらでもあった。であるならば――


 いま自分を追い、監視しているのは警察ではない可能性が高い。そうなると、いま自分を追ってきているのは――


 自分を召喚した、あの軍事施設の刺客だろうか? それ以外、思い当たるものは他にない。アルバを殺したことがなんらかの理由で軍に伝わったのかもしれない。だが、どうなってそれが伝わったのだろう? 確証はなかったとはいえ、アンリの組織がそれをつかんでいたのだから、警察や軍がそれをつかんでいても不思議ではない。死体処理を任せたあのチンピラが、どこかに漏らした可能性だってあり得る。


 だが、なにか引っかかる。あのチンピラが警察に漏らしていたのなら、まずは警察が動くのではないだろうか? いまのところ、警察が動いている気配はない。動いていたのなら、なんらかの形でもうすでに接触してきているだろう。この世界では殺人が重大犯罪ではない、なんてことはないはずだ。その動きがないにも関わらず、何故軍がその情報をつかんでいるのか? それがわからない。どういうことなんだろう? 軍が、警察にはない独自の情報網を持っていても不思議ではないが――


 歩きながらまわりをそっと窺ってみる。やはり、いまもなお覗かれている感覚があるものの、近くになにかいる気配はない。


 どこかになにかいるのは確実なのに、その姿が見えないことは竜夫の不安を煽った。知らないところで自分の身体がなにかに齧られているような気がしてくる。


 とは言っても、あまりにこちらが変な動きをすると、監視に気づいたと思われるだろう。もし、いま自分を監視しているのがあの施設からの刺客であったのなら、それは手がかりになり得る。うまくやれば、なんらかの情報を引き出せるかもしれない。


 どうする? と竜夫は自分に問いかけた。


 動くべきか、それともまだ泳がせるか、それとも、どうにかして一度この監視を撒いて仕切り直すか――


 アンリの組織に頼るのであれば、この監視の目を一度撒いたほうがいいだろう。自分がつけられたことでなにかが起これば、借りを作ることになる。使えるものは使っておくべきだが、まだお互い信用しきれていない状況だ。こちらが下手をこいて借りを作るのはまずいように思えた。


 自分の足音だけが聞こえてくる。普段なら気にも留めないその音が、やけに不快に思えた。


 くそ、と竜夫は心の中で吐き捨てた。やっと状況が好転したと思ったのに。どうして現実というのはこううまく回ってくれないのだろう? 実に忌々しい。


 どうにかして、この監視している何者かをおびき出せないだろうか? 裏通りへのおびき出しが通用しなかったことを考えると、相手は恐らく尾行に相当の心得があると思われる。下手なことやったところで、尻尾を出してくれないだろう。


 仕方ない、と竜夫は結論づける。


 監視されているのは不快だが、下手に動くのもまずい気がする。今日のところは気づいていないふりをして泳がせておくことにしよう。人通りの少ない裏通りにきてもアクションを起こしていない以上、いまの段階でこの何者かが動くことはないはずだ。


 忌々しいが仕方ない。今日のところは泳がせておこう。もしかしたら、このまま気づかないふりをしていれば、相手がボロを出してくれるかもしれない。


 それにしても、異世界に来てストーカーされるなんて思ってもいなかった。異世界にきてから経験したくなかったことばかり経験しているような気がする。そんなことを思いながら、竜夫は街を歩いて行った。

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