第24話 藁をつかんで道を開け

 結局、アンリの邸宅を出てから、竜夫のことを追いかけていた何者は姿を見せることはなく、こちらも見つけることはできなかった。あれからつかず離れず姿を現さず、べったりと付け回さていたせいで、ろくに動くこともできずにただ疲れるばかりであった。日が暮れてきた頃には、一向に姿を現さない追跡者を見つけることは諦め、モーテルへと足を踏み入れた。モーテルに泊ったら、向こうもなにか動きを見せるかと思ったが、その気配はなかった。半日以上付け回されていたせいで、部屋の中でもなにかが自分を見ているような気がしてならない。そのせいであまり気が休まらなかった。


 それでも疲れていたのか、数十分後には眠ってしまい、起きたときには朝の五時だった。


 いつも通り、竜の力を使って自分の身体を浄化し、外に出る準備を整える。ほとんど手ぶらに等しいので、たいしたことはまったくしないのだが。


 外に出ると、朝日が押し寄せてくる。その光はまるで、眠さの残る人間たちに、「目を覚ませ」と言っているのかのよう。まだ通勤などには早い時間のせいか、夜をどこかで飲み明かした者たちの姿がちらちらと見える。


 いまは、何者かの視線は感じられない。早い時間だから、向こう側も活動していないのか、それとも昨日一日付け回したことで満足したのか。なににしても、こちらにそれがわかるはずもない。


 だが、つけられていないのであればそれでいい。ならば、追跡を再開しないうちに、ことを進めてしまおう。


 竜夫は街を歩いていく。


 早朝の街は明るいのに、人の姿がほとんど見えない。昨日の昼間、あれだけ活気があった街と同じとは思えなかった。夜の街もどこか魔力めいたものを感じるけれど、早朝の街も別のなにかを感じる、ような気がする。


 そんなことを考えている間に、目的の場所に辿り着いた。


 目的の場所は、なにか頼ることがあれば訪ねてみろと言われた場所の一つ。ここにいるのは、情報屋らしいのだが――


「ここって――」


 竜夫はその場所に見覚えがあった。ここは以前、情報収集のために入り、チンピラとトラブルを起こして、アルバと殺し合いをすることになったきっかけを作ってしまったバーである。何故ここが、情報屋なのだろう?


 指定された番地が間違っていると思ったが、何度確認してみても、書かれている番地と目の前にある番地は一致している。


「…………」


 少し入りづらいな、と思った。


 なにしろ、理由はどうあれこちらは店の中でトラブルを起こした張本人である。ここの店主は、自分に対し悪い感情は抱いているようには見えなかったけど、なんとなく気まずい。そんなことを考えながら、店に入るべきか逡巡していると――


 店の扉が開いた。現れたのは、この店の店主。


「申し訳ありませんが、もう閉店ですよ……おや、あなたは」


 店外に置かれていた看板をしまいにきた店主がこちらを見て、竜夫に気づいた。


「もしかして、チェザーレファミリーのトラブルを解決したというのはあなたですか?」


 店主は少しだけ驚いた顔をする。


「ええ、まあ。成り行きでそうなりまして」


「そうですか。では、それについては聞かないことにしましょう。知らなくていいことなんていくらでもありますから。その様子だと、お酒を飲みにやってきたわけではなさそうですね」


「情報を求めるなら、ここに行けと言われました」


「わかりました。聞かれたくない話もあるでしょうし、店の中で話しましょう。もうすでに閉店していますから、私たち以外に誰か来ることはありませんから」


 どうぞ、と店主は言って店の中を腕で指し示した。竜夫は言われた通り店の中に入る。


 店主は外に置かれていた看板を中にしまい、扉についていたプレートを裏返した。営業中と準備中と裏表に書かれたプレートだろう。プレートを裏返したのちに扉を閉め、中から施錠する。


 閉店後のバーはどこか虚しさが滲みだす空間だった。まだ片づけの途中だったわずかな液体とほとんど融けた氷の入ったグラスや、汚れた皿などが置かれている。

「閉店前だったので、あまり片付いてはいませんが、ご容赦ください」


 店主は恭しくそう言った。


「こちらにお座りください」


 店主はなにも置かれていないテーブルに手を向ける。竜夫は言われた通りそのテーブルの先に座った。竜夫が座ると、店主も真正面に座る。


「本題の前に一つ、訊きたいことがあるんですが」


 店主が座ったことを確認したところで、竜夫が切り出した。それがどうしても気になったからだ。


「なんでしょう?」


「チェザーレファミリーとはどういう関係なんですか?」


「そうですね、あそこのボスと私は旧知の仲でして、その縁があって、この店の開店資金を出資してもらったんですよ。安心してください。私自身はチェザーレファミリーとはそれ以上の関係ありません。彼らに協力しているのは、旧知の間柄に開店資金を出資してもらったことに対する義理のようなものです。私の言葉を信用しろとは言いませんが」


 店主は無表情で言う。


「チェザーレファミリーの一員の情報屋がその身分を偽るためにバーをやっている、わけではないってことですか?」


「ええ。その通りです。情報屋に関しては、まあ言ってみればバーの仕事の片手間にやってる小遣い稼ぎです。最近は店の経営も軌道に乗ってきましたが、自営業というのは、いつ旗色が変わるかわかりませんからね。稼げるときに稼いでおきたいのですよ」


 なにか飲み物でも出しましょう、と言って店主は席を立ち、カウンターの中に入り、棚からグラスを取り出して、なにかを注いだ。黒っぽい茶色をした液体だった。


 店主はそれを手に持って席に戻ってくる。液体が注がれたグラスを竜夫の目の前に置く。


「お酒ではないので安心してください。お口に会うかわかりませんが」


 竜夫は出されたグラスを手に取り、一瞬手を止めたのち、ひと口流し込んだ。


 それは、麦茶のような味をしていた。だが、どこか違った風味がある。いままで飲んだことのない味だった。


「南国のザレという飲み物です。私は最近、これにはまっておりましてね。お口に合いましたか?」


「ええ。美味しいです」


 竜夫はグラスを置き、そう言うと、店主はわずかに顔をほころばせて「ありがとうございます」と答えた。


「それでは、本題に入りましょうか? 一体どんな情報を求めているのですか?」


 無表情のまま竜夫に視線を向けて店主は言う。身に纏う空気が一気に変わったように思えた。


「軍事施設に関する情報を」


「軍事施設、ですか」


 竜夫の言葉を聞き、店主は少しだけ表情を変化させる。そこには困りの色が見えた。


「軍事施設と言われても、帝都にはいくつもありますからね。なにか、他にありませんか? それだけでは、答えられるものも答えられません」


「最近、破壊された軍事施設を探しています。なにかありませんか?」


 自分が召喚された施設は、自分を逃がすために、あの竜によって破壊されていたはずだ。あれからまだ数日しか経っていない。であるなら、少なくともその破壊の痕くらいは残っているはずだ。


「……ふむ」


 店主は顎に手を当て、思案する。なにか、心当たりがあるだろうか? そう思うと、心臓がどきどきした。


 しばらく無言の時間が続き、店主は口を開く。


「残念ながら、いまの私にはその情報はありませんね」


 あっさりとそう言われ、竜夫は落胆した。


 せっかくなにかつかめると思ったのに、と心の中で歯がみする。本当にままならない。どうしてこううまくいかないことばかりなのだろう。


「まあ、そんな残念そうな顔をしないでください」


 店主のそんな言葉を聞いて、竜夫は前を見た。店主は相変わらずの無表情である。その感情はどうにも読めない。


「いまはその情報がないだけです。これから、あなたの言った破壊された軍事施設というのを調べてみましょう。それとも、調べている時間も惜しい状態ですか?」


 調べている時間も惜しいのは事実だが、このまま闇雲に調べたところでどうにかなるわけでもない。そう言うのなら、待ってみる価値はある。


「いえ、大丈夫です。ある程度確かな情報がつかめるのであれば、多少時間がかかっても構いません」


 それにいまは、以前と違って金にも余裕がある。調べている時間というのがどれほどのものかは不明だが、いま持っている十万が尽きるほど時間がかかることはないだろう。


「わかりました。少しお時間をいただきます。なにか有益な情報が集まりましたら、チェザーレの人間を通じてあなたに知らせます。それでよろしいですか?」


「はい」


「交渉成立、ですね。普段ならここで、料金の相談をするのですが――」


 店主は一度そこで言葉を切る。


「あなたには恩がありますから、今回は無料で構いません」


「……え」


 予想外の言葉に、竜夫は驚きを隠せなかった。


「あなたには私の店のトラブルを解決してもらったわけですから。その借りは返しておくのが筋というものでしょう」


「…………」


 ガルジアの一員であるチンピラを従えていたアルバを殺したのだから、理由はどうあれその通りである。


「もうガルジアの連中は来ないんですか?」


「ええ。聞くところによると、アルバを殺されたことで、この街から手を引くことでチェザーレと合意したようです。どうやら、ガルジアの連中もあのアルバという男を持て余していたらしい」


 あんな危険極まりない男を持て余すのは当然だ。あいつの持っていた力は、明らかに人外のレベルだったのだから。


「というわけで、今回は料金をいただきません。それでよろしいですか?」


「はい」


 向こうがそう言っているのだから、ここは素直に従っておくのが筋というものだろう。まあ確かに、ただより高いものはないなんて言われているが。


「時間はどれくらいかかる?」


「そうですね。できる限り早くお知らせしたいところですが、どれくらいかと言われるといまの段階では難しいですね。とりあえず三日お待ちください。結果の良し悪しにかかわらず、その時点で一度連絡をします。もちろん、確かな情報がつかめれば、それよりも早く連絡をしますが」


「わかりました。ありがとうございます」


 竜夫は軽く頭を下げた。


「いえいえ。いいんですよ。お互い礼儀を尽くし、助け合ってこその人間ですから」


 店主はそう言って、わずかに微笑んだ。


「あなたがなにをやっているのかはわかりませんが、私の勘ではなにか大きなことをやろうとしているように思えます。情報が欲しいときは、またここに来てください。今度は金次第、ということになりますが」


 意外とちゃっかりとした言葉に竜夫も思わず笑みがこぼれた。この男、意外と抜け目がないのかもしれない。


「それでは、そろそそ失礼します。先ほどまで店を開いていたということは寝ていないでしょうし」


 竜夫はそう言って立ち上がった。竜夫の言葉を聞いて、店主は「いえいえ、大丈夫ですよ。お気遣いなく」なんて冗談めかして返してきた。


 店主も立ち上がり、竜夫よりも先に歩き出して店の扉を開いた。薄暗い店の中に明るい光が差し込んでくる。


「突然、窺ってしまって申し訳ありません。いい報告が来ることを祈っています」


 竜夫はそう言って一礼し、店の外に出た。


 やっと先に光が見えた、なんてことを思った。

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