第22話 交渉

 十分ほど歩いたところで、男が案内していたボスの居場所とやらに辿り着いた。大きな邸宅が集まっている高級住宅街の一角である。


 自分を案内した男はクルトという名前らしい。こちらから聞いたわけではなかったが、歩いている最中に向こうから名乗ってきた。


「入ってくれ」


 クルトはそう言って、正門を開けて竜夫に入るように促す。竜夫は言われた通り中へと入った。正門の奥にはちょっとした庭が広がっていた。綺麗に整った草花と小さな噴水がある庭。それほど大きくないものの、それらは高級な住宅に中あるものというイメージに合致している。


 ボスの邸宅はすぐに見えた。大きな白い家。簡素なものではあるが、いかにも高級そうな邸宅だ。


「少し待ってくれ」


 クルトはそう言ったのちに鍵を取り出し、邸宅の扉に鍵を差し込んだ。大きな音を立てたのち鍵は解除され、来るとはすぐに扉を開く。


 邸宅の中も外と同じく豪奢さはないものの、下品さのないシンプルでまとまった、どこか品のある作りになっていた。床には土足のまま踏み入っていいのかためらうほど綺麗な絨毯が敷かれており、入口正面には大きな絵画が張られていて、吹き抜けの構造になっている。


「こっちだ。ついてきてくれ」


 クルトは竜夫が邸宅に入ると同時に扉に鍵をかけ、竜夫にそう言って正面の階段に向かって歩き出した。竜夫は言われた通り、クルトについていく。


 竜夫は、高級感に満ちた空間の中を少し緊張しながら進む。


 しばらく進んだところで――


「ボス。連れてきました」


 扉の前でクルトは立ち止まり、そう言った。クルトがそう言うとすぐに、扉の奥から声から「入れ」という声が聞こえてくる。それを聞くとクルトは扉を開けて中に進んだ。竜夫もそれについていく。


 クルトが案内した部屋は、応接室という感じだった。部屋には暖炉があり、明らかに高級そうなテーブルとソファが置かれている。ここもまたシンプルにまとまっていて、下品さはなかった。


 部屋の中にいたのは三人だった。二人は無表情にソファの横に突っ立っている強面で屈強な男。恐らくボディガードかなにかだろう。その二人を従えるように、ソファに腰かけていたのは六十過ぎと思われる女だった。その女からは二人の男が霞んでしまうほどの威圧感が放たれていた。それは、堅気の人間では絶対に出せない雰囲気。そこに座っている女がここにいる者たちのボスであるとすぐにわかった。竜夫は、思わず場を支配する剣呑な空気に飲まれてしまいそうになる。


「そこへ座りな」


 ボスと思われる女は自分の真正面に手を向けながら言葉を発する。その言葉には、人を射殺しそうな鋭さがあった。竜夫は、言われた通り女の正面にあるソファに腰を下ろす。竜夫を連れてきたクルトは腰かけずに、ソファの横に立っていた。相変わらずどこか飄々とした空気を身に纏っている。


「あたしはアンリ・チェザーレと言う。こいつらのボスさね。本来であれば茶でも振る舞うのが礼儀ってところなんだが、あたしはせっかちでね。さっさと本題に入りたいところなんだけど、大丈夫かい?」


 こちらに対して威圧するような空気を放ったまま、にこやかな口調でそう言った。


 竜夫はしばらく考えて――


「いや、それで構わない」


 竜夫がそう返答すると、アンリは「そうかい、ならよかった」と、やはり身に纏う空気とは裏腹ににこやかな口調ですぐに返してきた。


 まだ、こいつらが味方だとわかっていない以上、出された茶を口にするのは危険だ。どうせ口にしないのであれば、はじめから出されないほうがいい。


「じゃあ、結論から言わせてもらおう。あんたがあのアルバを殺したって本当かい?」


「…………」


 そう言われて、竜夫は無言のままどきりとする。


「……どこでそれを知った?」


 アルバを殺した場にいたのは、自分以外にはあの取り巻きのチンピラしかいなかったはずだ。奴が、敵対組織にそれを漏らしたとは思えない。こいつらは一体どうやってそれを知ったのだろう?


「ふむ。あたしにそう質問で返すってことは、どうやら嘘ではないみたいだね。まあ、あたしたちにはそれなりの情報網があるってことだけは言っておこう。なあに安心しな。あんたのことを警察に漏らしたりはしないよ。こっちだって似たようなものさ。警察やら軍とはできる限り関わりたくないからね」


 にこやかな口調でそう言っていたものの、その瞳の奥は一切笑っておらず、こちらに対する警戒はまったく解除されていないことは明らかだった。


 しばらく無言の時間が続く。アンリはこちらに相変わらず鋭い視線を向けている。それはまるでこちらを値踏みしているかのようだ。だが、竜夫は視線を逸らさない。逸らしてはならないと思った。視線を一度でも逸らしてしまえば、そのまま食われてしまうと思ったからだ。それになにより、この相手に弱みを見せるのはあまりにも危険であると直感していた。


「それにしても妙だねあんた。やけに堂に入ってるかと思えば、やたらと素人臭くも見える。あたしはいままでそれなりの数の人間を見てきたが、あんたみたいに妙にちぐはぐしてる奴はお目にかかったことがない」


 アンリにそう言われ、確かにそうかもしれないと思った。なにしろいまの自分は、つい最近まで一度もやったことすらないはずのあれこれが何故かできるのだ。観察能力に優れた人間から、そのように見えてもおかしくない。


「ま、あたしとしちゃ、あんたがちぐはぐだろうがなんだろうが構わないんだけどね。大事なのは能力があるかどうかさ。そうだろ?」


 アンリにそう訊かれたものの、竜夫は返さなかった。下手に喋るとボロを出すと思ったからかもしれない。


「実を言うとね、あたしらはあんたを雇おうと思っていたんだ」


「……雇う?」


 思いがけない言葉を言われてしまい、竜夫は思わず反応してしまった。


「それは、あんたが信用に足ると判断できてからだったけどね。でもまあ、こっちがちんたらしている間に、ことが進んじまったわけだが」


 現実っていうのはままならないねえ、と言葉を漏らす。


「雇おうと思っていた、ということは、いまはその気はないってことか?」


「いや、あんたが首を縦に振ってくれるのなら、雇おうという気はいまもあるよ。ただ、本来あるはずだった雇う理由がなくなっちまっただけさ」


 こちらを雇う理由。それは――


「あたしらは腕の立つ人間を集めて、アルバの奴を暗殺しようと思っていたんだけどね。腕の立つ人間を探して集めて、これから交渉しようかと思っていたところで、アルバが何者かに殺されたって話が入り込んできたわけだ」


 アンリはそう言ってうっすらと笑みを見せる。


「まあ、奴に手を焼かされていたこっちとしちゃ都合がよかったんだけどね。なにしろ金を払う前に問題が消えちまったんだから。嬉しい誤算っていうのはあるもんなんだねえ」


 そう思わないか? と、アンリは竜夫に問いかける。やはり竜夫は、その言葉に返すことはなかった。


「それなら、どうして僕をここに連れてきた?」


「いやあ、そのまま知らんふりしてもよかったんだけど、あたしとしちゃそれはどうも気に入らんというかなんというか」


「…………」


 竜夫はにこやかな声で言うアンリを見る。相変わらずうっすらとした笑みを見せているものの、こちらに気を許しているようには一切見えなかった。


「まあ、そういうわけだ。ここに来てもらったのはあんたに報酬を支払おうって思ってね。どうだい?」


 それから、隣に立っているボディガードに命令する。すると、ボディガードはソファに後ろに置いてあった台車を引いてきた。台車の上にかけられた布を取り払うと、そこに乗っていたのは札束の山。それは間違いなく大金であった。


「十万ある。これでどうだい?」


 こちらの様子を窺うように鋭い視線で不敵な笑みを浮かべている。


「これは、僕を雇うから払うってことか?」


「いいや。これはアルバを殺してくれたことに対する礼さ。雇うのなら別に金を出すよ。あたしらの誘いを断ると言っても、これは受け取ってくれて構わんさ」


「…………」


 相変わらず不敵な笑みを浮かべつつ、その奥でなにを考えているのかまったくつかめなかったものの、嘘を言っているようには見えなかった。


「実を言うと、これにはもう一つお願いがあってね。受け取るというのであれば、そっちも聞いてくれるとありがたいんだが」


「なんだ?」


「あたしらはあんたと喧嘩するつもりはない。こっちからは手を出さんから、あたしらには手を出さないでくれと言いたいわけさ。そこにある金はアルバを殺してくれた報酬であると同時に、これからいい関係を築くきっかけにしたいってわけさね。どうだい? この額じゃ不満かね?」


 竜夫は一度札束の山に目を向け、考える。


 もとの世界に戻るためには、どうしたって金が必要になるのは間違いない。だが、この金を受け取っていいものだろうか? 相手はギャング、犯罪組織である。それも、これだけの金をポンと支払えるだけの資金力を持つ組織だ。下手に関係を作るのは危険かもしれない。


「それとも、地面に頭を押しつけてお願いしたほうがいいかい? その程度で済むのならあたしは構わんよ。あたしがプライドを捨てて、揉めるべきではない相手との戦いを避けられるのなら安いもんさ」


 堂々と言うその言葉には一切の迷いがなかった。ここで竜夫がそうしろと言ったら、この老婆は間違いなくそうするだろう。そう確信が持てる言い方をしていた。


 竜夫はもう一度、アンリに視線を向ける。


 社会的な身分が存在しない以上、真っ当な手段では金を稼ぐことはできない。それに、これだけの金を得られるのであれば、当分は困ることはないのは確実だ。


 そもそも、いまは手段を選んでいる場合ではないのだ。相手が犯罪組織であろうとなんであろうと、使えるものは使ったほうがいい。そうしなければ、竜の力を得ていても生き残れないだろう。


「わかった。その申し出を受け入れよう」


 竜夫がそう言うと、アンリはにこやか笑みを見せた。


「だが、あんたらに雇われるのは断らせてもらう。僕には他にやることがある。あんたらの仲間になるわけにはいかない」


「それじゃあ契約成立だ。この金、いますぐ持っていくかい? それならここで詰めていくが」


「いや、やめておく。そんな大金を持ち歩くのは気が休まらないからな。できることなら、どこかの銀行に振り込んでほしいんだが――」


「なにか問題があるのかい?」


「ああ。困ったことに僕はこのへんの銀行の口座は持っていないし、作ることもできない。だから、そっちで僕でも使える口座を作ることは可能か? この金はそこに振り込んでくれ」


 作れないというのであれば、少し心配であるが、この金はこのまま持ち帰るより他にない。


「ほう」


 竜夫の言葉を聞き、アンリは興味深そうな声を上げた。


「なにか事情があるようだね。なあに安心しな。そっちの事情なら聞きゃしないよ。たいして興味もないからね。おい」


 アンリがそう言うと、もう一人のボディガードが返事をして動き出す。背後からなにかを取り出して机の上に置いた。そこには、封筒が置かれている。


「これと同額の金が帝国中央銀行の口座に入っている。あたしらが金の受け渡し用に使っている口座さ。自由に使ってくれて構わない。口座番号をはじめとした情報はその封筒の中に入っている」


「…………」



 随分と用意周到だ。まるでこちらの状況を見透かされているような気がしてならない。


「わかった。それでいい」


 竜夫は目の前に置かれていた封筒に手を伸ばす。


「それと、もう一つ訊きたいことがある。あの男、アルバと言ったな。あいつは何者だ?」


「さあね。軍人崩れらしいが、それ以上のことはあたしらも知らんよ。調べようと思って探りを入れたら、そいつらを殺されちまったからね」


 結局、あの男についてはわからずじまいらしい。


「最後のこっちからも一ついいかい。あたしらはあんたといい関係を築きたいとさっき言ったね。お互い、都合がいいときに協力し合おうじゃないか。好きな時に好きな分だけ、そのとき一回限りの契約でね。まあ、これ以上あたしらと関わりたくないというのなら無理は言わないが」


 そう問われ、竜夫は少しだけ考える。


 正直なところ、現状自分を召喚したあの場所に関する情報は軍事施設らしいこと以外なにも得られていない。


 であるならば、少しでも情報源が多い方がいいだろう。この組織は間違いなく、この帝都においてかなりの情報網を持っているはずだ。使えるものは使った方がいい。


「いいだろう。なにをさせる気だ」


「さあねえ。なにをさせるかは、その時々によるとしか言えないね。まあ、なにか協力して欲しいのであれば、その封筒の中にある店のどれかを訪ねな。そこはあたしらの息がかかったところだからね。店の人間を含め、うちの協力者にはしっかりと伝えておこう」


「わかった」


 竜夫は立ち上がった。


「最後に一つ訊きたいことがある。僕のことをどうやって知った?」


「郊外に出る強盗団を素手で追っ払った奴がいるっていうのを耳にしてね。それで見つけ出して調べてたってわけさ」


 アンリはつかみどころのない笑みを見せながら言う。その言葉が真実なのか判断はつかなかったが、ハッタリではないような気がした。


「それじゃあ、客を出口まで案内しな」


 アンリがそう言うと、横に立っていたクルトが「こっちだ」と言って竜夫を促した。クルトは先に行って扉を開ける。竜夫は開けられた扉の先に進んでいく。


 部屋を出て扉を閉め、少し歩くと、クルトが「よかったな」と言った。竜夫は、「どういうことだ?」と返す。


「どうやらボス、あんたのこと気に入ったみたいだぜ。あんな楽しそうにしているボスを久しぶりに見た」


 話しているこちらからするとまったくそんな風に見えなかったが、この男からはそう見えたらしい。


「ま、とにかく俺としちゃあんたとはいい関係でいられることを祈ってるよ」


 クルトのそんな言葉を聞いたのち、二人は無言のまま歩いていき、邸宅の外へと出ていった。

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