第20話 不可解なるもの

 それからは何事もなかったかのように時間が流れていった。


 手に残っているように思えてならなかった人を殺したときの感触も、『なにか』を失ったような喪失感もいつの間にか気にならなくなってきた。人間というのは、竜の力を得ても、喉もとを過ぎれば熱さを忘れる生き物らしい。いまの自分が人間といえるのかは微妙なところではあるけれど。


 もしかしたら、あの傷男が蘇って、再び自分の命を狙ってくるのではないか、とも思ったが、その気配はまったくない。間違いなく死んでいるのだ。しかし、あの邪悪な男の執念を考えると、死んでもなにかあるのではないかと思えてならない。


 それに、運悪く自分と傷男の戦いの終わりに遭遇してしまったあの哀れなチンピラはちゃんと傷男の死体を始末してくれたのだろうか? あの様子からして、警察にタレこむとは思えなかったけれど、人間というのはとんでもない脅威を感じていたものだって時間が経って冷静になれば、すぐに忘れてしまうのだ。この世界の人間だってそれほど差はないだろう。あのチンピラだって、約束を破り、警察に駆け込んでいてもおかしくはない。


 一応、最悪の事態だけは頭の片隅に入れておこう。竜の力を得た自分が、警察に後れを取るとは思えないが、なにもかも余裕がない現在、追われることになれば厄介なことになるのは確実だ。


 それにしてもあの男は一体何者だったのだろう。竜夫はそれを考えざるを得ない。あの男の身体能力。生物を操る力。考えてみればみるほど、あれが通常の人間とは思えなかった。


 しかし、ここは異世界だ。異世界の人間は、人間離れした身体能力や漫画みたいな異能力を持っている、なんてことがあってもおかしくはない。


 だが、この世界で多少なりとも関わった人間に、人間離れした身体能力や異能力があるとは思えなかった。帝都に来る前、自分をここまで送ってくれたあの男も、自分たちを襲った強盗団にもそんなものがあるとは思えない。高い身体能力や異能力を持っていたのなら、武装した強盗団なんて容易く撃退できたはずだし、強盗団の方が持っていたのなら、銃で武装する必要もないはずだ。


 昨日会話したバーのマスターも、マスターに突っかかってきたあのチンピラも同じだ。人間離れした身体能力や異能力があったのなら、マスターも、自分にぶちのめされたチンピラ二人だって、もっと抵抗していたはずである。そんな気配はまるでなかった。であるならば、彼らにだって人間離れした身体能力も異能力もないことになる。


 自分が関わった人間が特別で、人間離れした身体能力も異能力も持たない人間であった、という可能性もあり得る。


 だが、そんなものを誰もが持っている社会なのであれば、もっとこの社会は違った形になっているのではないか? 街をスパイダーマンやアイアンマンみたいに飛び回っているのが日常の風景であってもおかしくない。


 しかし、この帝都でそんな光景は一度も見たことない。帝都の街並みは、過去の記録映像で見た古い街とそれほど変わりはなかった。であるならば、この世界の人間は、高い身体能力や異能力を持っているのが普通である、というのはあり得ない。仮に、そういった人間がいたとしても、社会で人間がなんの力も使わずに飛んだり跳ねたりしているような光景が普通に見られない以上、それはごく一部の人間だけのはずだ。


 それに、気になることもある。


 あの男は、自分に対して、俺と同じか? と言っていた。その言葉がどうにも引っかかる。あの男は、本当に竜の力を得ていたというのだろうか? だけど、どうやって? あの竜は竜が復活したらしいとは言っていたけれど、いまこの世界には、自分に力を与えたあの竜以外は姿が見当たらなかったはずなのに――


 一体、どこの竜があの男に力を与えたのだろう?


 考えてみたけれど、わからなかった。


 やはり、この世界についてもっと知る必要がある。そうすれば、自分がいた地球とは違う部分が見えてくるだろう。それをしていく過程で、もとの世界に戻る手段や、自分を召喚したあの施設に関する情報が手に入るかもしれない。とにかく情報だ。情報を集めなければ。


「とは言うものの、金はないんだよな……時間は有り余っているけれど」


 効率よく、目的の情報を集めるには、金やノウハウや人脈が必要だ。いまの自分には、それらをなに一つとして持ち合わせていない。


「やっぱり、まずは金をなんとかしないとな。まだしばらくは保つけれど、それも長くは続かないし」


 どうにかして、まとまった金、あるいは定期的に金を得られるようにしなければならない。いまの自分は、普通の人間よりも遥かに金を使わずに生きていけるけれど、それでもまったく使わず生活できるわけではないのだ。これだけは、早急に解決する必要がある。


「とは言ったものの、社会的に存在しない人間が働くのは無理だろうしな。どうしたもんか」


 やれやれと呟き、ため息をついた。ため息をついたところで、あることに思い至る。


「どうせなら、あのチンピラから有り金巻き上げておけばよかった。下っ端みたいだからたいして持ってないだろうけど、少しでも足しになるのは事実だし」


 もっと言うのであれば、自分が殺したあの男から金を奪ってもよかったのだ。チンピラ然としていたけれど、身なりは小綺麗だったから、下っ端のチンピラよりは持っていただろう。あそこで金を奪ったとしても、恐怖に怯えていたチンピラは見逃してもらうために文句なんて間違いなく言わなかったはずなのだから。それに、金なんて死人にとって無用の長物である。ここは異世界なので、もしかしたら死後の世界があるかもしれないけれど、彼岸を越えるのに必要なる金はそちらで工面してください、としか言いようがない。生きている人間は死んでしまった人間に関われないのはこの世界でも同じのはずだから。


 まさか、異世界で退職したあと次の仕事がなかなか決まらなくて、日々減っていく貯金を見るたびに不安と憂鬱に襲われるとは思わなかった。人を殺したときの感触だけでなく、このあたりも都合よく消えてほしいところである。


 竜夫は街を歩いていく。


 あれほど鮮烈な出来事があったというのに、街はいつもとまったく変わりなかった。警察が自分を追ってくることもない。きっと、この世界でも地球と同じように、誰の目にも見えない大きな仕組みががたがたと動いていて、その中の一部が少しおかしくなったとしても問題なく動き続けるのだろう。決定的な破局が訪れるまで、それは回り続ける。自分が先ほどまで繰り広げていた戦いは、その大きな仕組みからしてみたら、取るに足らないものでしかないのだ。


 竜夫は空を見た。


 この世界の空も地球と同じく綺麗な青色をしている。でも、どこか自分が知っているものと違うように思えてならない。それは気のせいなのか、本当に違うのかまったくわからないけれど。


 どちらにしても、この世界も、地球と同じように人間にとってはとてつもなく大きい。この世界がどれほど大きなものなのかはわからないけれど、地球とそれほど変わりはないように思えた。


「異世界に来てまで金金金。人として恥ずかしくないのか、と言いたくなるけれど、ところがどっこいこれが現実なんだよな……」


 どうして世にある異世界ものの主人公はいまの自分のように金に困ったりしないのだろう? 召喚された異世界のせいなのか、それとも――


「でもまあ、なんとかなるだろ。というか、なんとかしなきゃどうにもならないわけだが」


 自分の先に広がっている道が果てしないものなのだと実感するしかない。


「そういえば、地球はどうなってるのかな?」


 自分一人いなくなったところで世界は回る。回り続ける。恐らく、自分働いていたバイト先ですらそうなのだ。自分一人異世界に消えたところで、世界に存在するありとあらゆる問題が消えてなくなるわけではない。


 だけど、自分と近しい人間は違う。親や友人は当然、いきなり消えてしまったら心配するだろうし、自分がいなくても回り続けるバイト先だって、働いている人間がなんの連絡もなく突然来なくなり、連絡もつかなくなったら何事かと思うだろう。それを思うと、なんとしてももとの世界に戻らなければならないという感情が大きくなる。


 どうにかして、自分はいまのところ無事であると伝えたいけれど、自分が知っている範囲では、世界と世界を通じる通信などどこまで探しても存在しない。現に、いまもポケットに入っているスマートフォンは文鎮と化したままだ。


 こちらの世界には、竜の魔法にそれに類するものがあるかもしれないけれど、それがどこで見つかるかなど見当もつかない。なにか、見つかってくれればいいのだけれど。


 しかし、それも途方もなく遠いのは間違いなかった。


「もう今日は疲れた。適当な安宿に行ってもう休もう。明日のことは、明日になってから考えればいい」


 竜夫はもう一度ため息をついて、安宿を探すべく街を歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る