第21話 這いよる者
なにがあろうと生きている限り朝はやってくる。それは異世界でも同じだ。次の日が永遠にやってこないことが本当に幸せなのかはわからないけれど、とにかくいつだって明日はやってくる。理由はわからないけれど、世界というのはそういうものらしい。
そんなことを考えながら目を覚ました竜夫は時刻を確認する。時刻は朝の六時前。
早い時間に目を覚ますのも慣れてきたな、と思った。異世界に来るまでは次の日が凝りもせずに毎日やってくることに嫌になる時がたびたびあった。だが、いつ死んでもおかしくない状態になってからは、こうやって目を覚まし、無事次の朝を迎えられると少しだけ安心できる。これも、生きている実感なのだろうか? とも思う。
竜夫は軽くストレッチして、しっかり身体を目覚めさせたのちに立ち上がった。部屋の鍵を拾い、外に出る。廊下を進み、フロントまで行って鍵を返してから外へ向かった。外に出ると同時に、どこか違うような気がする朝日に迎えられる。今日も青空が広がっていた。
晴れていようと曇っていようと、いまやるべきことは変わらない。もとの世界に戻る手段を手に入れるための情報を集める。ただそれだけだ。
街は今日も朝から賑わっていた。いくつもの露店が軒を連ねている。なにか買って食べようとも思ったが、いまは特に空腹を感じていなかったのでやめておくことにした。資金はあるが、余裕があるわけではない。できる限り、節約しておくべきだろう。どうせ無理ができる身体なのだから。
賑わいを見せる街を進んでいく。
それは、昨日あったことが現実ではなかったのではないかと思えるほど平穏な光景だった。きっと、ここにいる多くの人は昨日自分が遭遇した出来事の存在すら知らないのだろう。世界はいつだって自分の知らないところで回っている。そんな風に思えた。
そういえば、昨日のチンピラはちゃんと死体の始末をやってくれたのだろうか? いまのところ、街の様子に変わったところはない。だが、あのチンピラがちゃんとやってくれたかどうかは不明である。脅した通り、やってくれていたら都合がいいのだが。
どちらであったにせよ、それを確認する手段も暇もなかった。ちゃんとやってくれたと信じるより他にない。それに、軍の施設から逃げ出した以上、もうすでに追われている可能性だってあるのだ。追われる理由がもう一つ増えたところで、それほど変わりはしないだろう。
そんなことを考えながら街を進んでいると――
背後から何者かの視線が感じられた。竜夫は足を止め、そっと振り返る。だが、人混みに紛れて、どこの誰に見られているのかはわからなかった。
竜夫は再び歩き出す。背後の視線もこちらが歩き出すと一緒についてきた。どうやら、自分は何者かにつけられているらしい。そう思った。
この世界に来てからの自分の境遇と、昨日の出来事を思うと、それが気のせいだとは思えなかった。追われる理由などいくらでもあるからだ。
撃退するべきか、と歩きながら考える。だが、多くの人が行き交うこの場で強硬な手段に出るのは危険だ。おびき出したほうがいいだろう。裏通りにおびき出してついてこなかったらそのまま撒いてしまえばいい。そう判断した竜夫は、近場にあった細い路地に進んでいく。
路地に入っても、視線は一緒についてきた。足は止めずにまわりを確認する。撃退するのであれば、もう少し進んだほうがいいだろう。竜夫は角を曲がり、表通りから見えない位置へと進む。
背後の視線はしっかりとついてきていた。やめる気配はなさそうだった。よほど腕に自信があるのか、それとも――
竜夫はもう一つ先の角を曲がると同時に、壁を蹴って上に駆け上がって身を潜める。しばらくすると、自分を尾行していた者が現れた。尾行していた何者かは、竜夫が突然姿を消したことに驚いたのか、足を止め、まわりを見渡していた。顔は見えなかったが、男であることは確認できた。
その隙をついて、竜夫は尾行していた男の背後に回って飛び降りた。回り込むと同時に首にナイフを突きつける。
「いや、待ってくれ。俺はあんたと敵対するつもりはないんだ。話を聞いてくれよ」
竜夫がナイフを突きつけ、その首を掻っ切る前に、尾行していた男は手を上げたのちそう言った。
「じゃあなんだ?」
竜夫はできるだけ冷徹に言う。
「あんたが何者なのか調べていただけさ。探られて嫌だったのなら謝る。だから、この物騒なものを向けるのはやめてくれないか?」
そう言った男からは敵意は感じられない。
だが、この男は口ではそう言っているものの、恐怖を感じているようには見えなかった。
「どうして僕のことを調べている?」
「随分と腕の立つ奴が、ガルジアの奴らと喧嘩したって話を聞いてな。それでどんな奴なのか調べていたんだ」
ガルジアというのは、あの傷男が所属していたと思われる、最近のここに勢力を伸ばしにやってきたというギャングのことだろうか。
「…………」
男の言葉は澱みなく滑らかで、飄々としていたが、嘘を言ってるようにも、こちらを騙そうとしているようにも思えなかった。
「それにあんた、聞いたところによると、アルバの子分と揉めた挙げ句、あのアルバの奴を殺したって話だが、それは本当か?」
男の言葉を聞き、ナイフを持つ竜夫の手が少しだけぴくりと動く。
「……訊いているのは僕の方だ。質問を許した覚えはない」
アルバというのはあの傷男のことだろう。それ以外に思い当たる人間は他にいない。
「実は、うちのボスがあんたと話をしたがってる。それで俺はあんたを見つけ出して、どんな奴なのか調べていたわけだ。ガルジアの奴らと揉めたからといって、信頼できるとは限らんからな」
「お前のボスとは?」
「チェザーレファミリー」
竜夫の質問に即答する男。相変わらず澱みのない言葉だった。
チェザーレファミリーとは確か、この街を拠点とするギャングである。そして、あの傷男が所属していたガルジアというギャングと敵対していたはずだ。
「話とはなんだ?」
「さあね。俺はボスじゃないからな。自分とこのボスだって他人であることに変わりないんだから、なに考えてるかなんてわかりゃしないよ」
「…………」
「しかも、あんた安宿を転々としているようじゃないか。なにか困った事情があるんだろ? 損はさせない、なんて抜かすつもりはないが、話くらいは聞いてもいいんじゃないか?」
「…………」
ナイフを首を突きつけられているにも関わらず飄々としているこの男はどこか胡散臭いのは事実である。だが、軍や警察、アルバを殺されたことに対する報復であったのなら、このように話をしようと持ちかけてくるとは思えなかった。
「とにかく、この物騒なものをどけてくれよ。痛い思いして血だらけになって死ぬのはごめんだからな」
「……いいだろう」
竜夫はそう言って、手に持っていたナイフを男の首から下ろした。
「話だけは聞いてやる」
この男が自分を騙すつもりで接触してきたのだとしても、自分の身を守るだけなら大丈夫だろう。それに、このままではいずれ閉塞するのは目に見えている。この男が、持ちかけている話によって、いずれ閉塞するいまの自分の状況を打破できる可能性は少なからずあるだろう。
使えるものはなんでも使っていく。生きて元の世界に戻ると決意した時、そう決めたはずだ。
「そうか、話ができる奴で助かった。じゃあ、ボスのところまで案内するから、手も放してくれないか?」
男にそう言われ、竜夫は手を放した。一応、いつでも対応できるように警戒だけはしておこう。
「ついてきてくれ」
男はそう言って歩き出した。竜夫は男から少し距離を取り、一緒に歩き出した。
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