第5話 異世界ヒッチハイク

 竜夫は車に揺られながら外を眺めた。そこには、草がまばらに生えているだけのだだっ広い空間が広がっている。時おり住宅のようなものが目に入るが、基本的に目につくものはなにもない。日本の、自分が生まれ育ってきた東京では絶対に見られない光景を眺めていると、本当に見知らぬ世界に来てしまったことを改めて実感する。そんな場所で自分はこれからどうなってしまうのか? できることなら考えたくなかったけれど、現実逃避している余裕などなかった。こんな状況になってしまった以上、なんとかするしかないのだ。それ以外、道は残されていないのだから。


 今度は車の中に視線を巡らした。その内装は、自分が知っているものとよく似ている。ただ、違うことが一つ。車にあるあの独特な匂いが感じられないことだ。使われている材質の違いなのか、もっと別な理由によるものなのかはわからないけれど。


 大学の講義で聞いた、まったく違う場所で進化したはずの生物が似たような形質を獲得するのは珍しくないという生物学の話を思い出した。この車が、自分がよく知っているものと似ているのも、そういったことの一つなのだろうか? 車輪は人類最大の発明だと言われているし。いや、もっと言うなら――


 竜夫は隣でハンドルを握っている男に視線を移した。


 隣で車を運転しているこの男に、自分と明らかに違うようなところは見られない。どう見ても人間だ。それに――


 もし、この異世界が地球とまったく異なる環境であったのなら、自分はこうして生きていられなかっただろう。竜に助けられる以前に、召喚されてすぐに呼吸ができなくなって死んでいたはずだ。不思議ではあるけれど、それが何故そうなっているのかはわからない。きっと、そういうものなんだろう。世界の在り方がわかるほど、自分は賢くないのだから。


 車は進んでいく。代わり映えのない、世界の果てまで続いているように思える道をひたすらに。


「車が珍しいのか?」


 貫くように続いていた沈黙を男が破った。続いていた沈黙が気まずくて言ったわけではなさそうだった。


「えっと……まあ、そうですね」


 似たようなものは知っているんですけど、と言おうとして留まった。余計なことは言わないほうがいいかもしれないと思ったからだ。


「おかしいですか?」


「そうでもねえよ。車が俺みたいなのでも手を出せるようになったのだって結構最近だしな」


 男は竜夫の言葉を否定する。


「馬に比べりゃ動かすのも簡単だし、揺れねえし、臭くねえし、それでいて馬よりも速い。本当に便利になったもんだ。きっと、あんたが俺くらいの歳になるときは、いまよりずっと便利なってるんだろうな」


 そう言った男はどこか感慨深げだった。きっとこの男は、大きく変化していく社会をその目で見てきたのだろう。


 それからまた無言の時間が続いた。かすかに響いてくる車の駆動音と震動が眠気を誘ってくる。


「眠いのか?」


 男が再び竜夫に話しかけてきた。ええ、と言って竜夫は頷く。


「帝都まで、まだ距離がある。寝たいのなら寝ておけ」


「帝都まで、どのくらいですか?」


「このまま行きゃ、三時間くらいで――」


 そこで男の言葉が切れる。


「……どうかしたんですか?」


 不自然なタイミングで男の言葉が切れたので、竜夫はすぐさま問い返した。


「面倒なことになった。さっき言ったこの辺に出てくる強盗団だ。くそ、どっから湧いてきやがった」


 竜夫は窓から後ろを覗き込んだ。自分たちが乗る車の後方から、数台の車が追いかけてきている。


「奴らを撒くから少し荒っぽくなるぞ。舌かまないように注意しとけ。あと、なにがあっても扉も窓も開けるんじゃねえぞ!」


 男はそう言うと、車は一気に加速した。加速した勢いにより、竜夫の身体は背中に押しつけられる。


 せっかく何事もなく帝都まで行けると思ったのに、と思う。だが、現実としてこうなってしまった以上仕方がない。この男の運転技術にかけるしかないだろう。


 男は片腕でレバーを操作し、車のスピードをさらに上げた。


 竜夫はもう一度、窓から後ろを覗き込んだ。すると――


「あっ」


「……どうした?」


「銃をこっちに構えてる」


 一番前を走っていた車から一人身を乗り出して、自動小銃のようなものをこちらに向けていた。自分たちが乗っている車を狙っているのは明らかである。


「なにっ?」


 男は驚きの声を上げた。


「どっかに掴まってろ。もっと荒っぽくなるからな」


 男は叫ぶような声を出し、飛んでくるであろう銃弾を避けるために車を蛇行させる。竜夫は男に言われた通り、窓の上にあった把手をつかんだ。


 もう一度竜夫は背後を覗き込んだ。その瞬間、車から身を乗り出していた男が持つ銃が光を発した。なにかが高速でこちらに飛んでくるのが見える。しかし、動く車から身を乗り出しているせいか、放たれた弾丸は地面を穿つだけだった。


 それでも構わずに後ろを走る車は銃を放ってくる。放たれた弾丸は車体をかすめたものもあった。


 なおも車は蛇行しながら進んでいく。広くて見通しがよく、対向車が来ていないことが幸いだった。そうでなかったら、とっくに事故を起こしていただろう。


「い、いつまでこれが続くんですか?」


「知らねえよ! 向こうが諦めるまでだ!」


 不安そうに言った竜夫に対し、男は怒鳴るような声で返す。


 なおも続くカーチェイス。後ろの車はなかなか諦めてくれない。後続との距離は、先ほどよりも離れたようにも、近づいたようにも見えた。


 別の車からも銃を構えた男が身を乗り出してきた。すぐさま銃口が連続して光り、いくつも弾丸がこちらに飛んでくる。


「銃なんてろくに訓練を受けてねえ素人が撃ったら止まってたって当たらねえんだ。揺れる車から身を乗り出して撃ったところで当たるわけ――」


 男がそこまで言ったところで、がくんと大きく車が揺れた。すると同時に蛇行しながら走っていた車は制御を失い、大きくスピンする。


「この……」


 男は必死にハンドルを回し、なんとか崩れた姿勢を直すものの、滑りながらだんだんと失速していった。


「……最悪だ」


 男は吐き捨てるように言うと同時に、慣性で進んでいた車が停止する。


「奴らがデタラメに撃った弾丸が運悪くタイヤに当たりやがった」


「そんな……」


 背後から車が近づいてくる。当然のことながら、タイヤをやられては、逃げることもままならない。


「なにか武器とかないんですか?」


「そりゃあるが、向こうは武器を持ったのが何人もいるんだ。銃一本持っていったところでどうにもならん。逃げきれなかった時点で――」


 そこで男は言葉を打ち切った。


「こうなっちまった以上仕方がない。なんとか金目のものを渡して、見逃してもらおう。命には代えられねえからな」


 男は苦々しい調子で言う。


「あんたはここにいろ。なにがあっても扉も窓も開けるんじゃ――」


「待ってください」


 竜夫は男の言葉を遮る。


「その役目、僕にやらせてくれませんか?」

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