中国語の品詞は分かりづらい

※自身のエッセイから転載


 よく「中国語の文法は簡単だ」と言われる。確かに中国語の文法はヨーロッパの言語と比べると単純ではある。名詞や動詞、形容詞が一切変化せず、日本人にとって難しいのは発音だけなんて言われたりすることもある。


 しかーし。

 私は中国語をもう何年も勉強しているのだが、中国語の文法というのはつかみどころなくよく分からないと感じることが多々ある。ただ単に私がバカなのかもしれないが、中国語は日本語や英語を比較対象にすると非常に異質な言語に見える。


 まず、品詞がはっきりしていない。

 中国語の品詞は、文全体で語がお互いにゆるやかに依存し合うことによって発生しており、語、あるいは字一つでは品詞なんてものはない。


 例をあげよう。


 ・「吃 chi1」というのは、言わずもがな「好吃 hao3chi1 おいしい」で有名な通り「食べる」という意味なわけだがちょっと待ってほしい。 「好吃」は形容詞じゃないか。「吃惊 chi1jing1 びっくりする」もあるがこっちは動詞だ。そして「小吃 xiao3chi1 軽食」は名詞である。


 ・中国語の形容詞の前には基本的に「很 hen3 とても」という字がつくことが多いのだが、「很好吃 とてもおいしい」はまだしも「很吃惊 とてもびっくりする」「很想 とても~したい」「很有意思 とてもおもしろい」とか動詞にもついているのはなぜだろう。


 ・「黑 hei1 黒い」は形容詞である。しかしネットスラングで「黑」といえば「虐める」という意味にもなる。「黑广东人」といえば「広東人をバカにする」のような意味になってこの「黑」は完全に動詞である。


 ・「错误 cuo4wu4」という単語がある。日本語で読むなら「錯誤」であるが、中国語で「错误」はもっと一般的によく使う単語で「間違い」とかそういう意味だ(「错」もよく使われる)。

 それで「間違い」という意味だと聞くと、日本人は勝手に「错误」が名詞だと思ってしまうが、中国語の「错误」は形容詞としても使うことができる。有没有语法错误?(文法の間違いはありますか?)と言えば名詞になり、你的想法完全错误(あなたの考え方は完全に間違っている)と言えば形容詞になる。


 ・「垃圾 la1ji1 ごみ」は普通は名詞だが、これにほとんどの場合形容詞につく「很 hen3 とても」をつけて「很垃圾」と言えば「ひどい」という意味になり、「土 tu3」も日本語で考えたら土(つち)で名詞なのだが形容詞として「やぼったい、田舎くさい」という意味で使うこともできる。我们学校很垃圾と言えば「私たちの学校はよくない」という意味になり、说很土的家乡话と言えば、「すごく田舎くさいお国訛りを話す」ということになる。

 また、スラング的な用法であるが「台湾」という固有名詞に「很」をつけて「很台/好台啊(台湾・台湾人っぽいねぇ)」などと言うこともできてしまう。


 こんな感じで品詞が色々入れかわる。しかし自由に入れかえられるわけでもなく、「鱼」を「很鱼」と言うことはできない。

 なぜこのようなことが起きるのかというと、中国語には日本語と違って形容詞の語尾や名詞の語尾と言ったものが存在しないからである。日本語なら「い」で終われば大体は形容詞、う段で終われば大体動詞という決まり事がある。「かわいい」「若い」「いい」は形容詞、「使う」「食べる」「行く」は動詞という具合にパッと見れば大体品詞が何なのか分かる。(「きれいだ」という形容詞動詞を「きれいくない」とか形容詞みたいに使ってる人はいるけど……)

 しかし中国語はそういうものが一切存在しない言語であるので、ただ語や字を見ただけではそれが何なんなの決めづらい。この点、英語とじゃっかん似ているかもしれない。英語も中国語と同じように形容詞や動詞の語尾が決まっていないので、talkは「話す」という動詞にもなればa talkで「話」という可算名詞として使うこともできる。


 中国語の文法要素は大きく分けて二つに分けられる。ある意味で二種類しかない。一つは独立して語として成立する「实词 shi2ci2(実詞)」、もう一つは文法要素にすぎない「虚词 xu1ci2(虚詞)」である。今まで扱ってきたのは名詞や動詞、形容詞をひっくるめた「实词」である。

 では「虚词」はどうだろう。「虚词」というのは「很 hen3 とても」みたいなものである。「很」は一つでは文をなせず、意味がない。だが実は「虚词」の中には「实词」としての意味を兼ね備えたものもある。


 「在 zai4」を見てみよう。これには大体三種類の意味がある。

 一つは、日本語の動詞の「いる」とほとんど同じ意味である。「在吗? いますか?」とか「我在! いるよ!」という感じで使う。

 二つ目は副詞で、在+動詞で現在進行形を作る。「我在吃东西」と言えば「私は今ものを食べている」という英語のing形にあたるものだ。(この「东西 dong1xi0」は「もの」の意味である。「东西 dong1xi1」というと東西の意味になる)

 三つ目は「~で」の意味だ。これは虚詞の中でも「介詞」と呼ばれるもので、英語でいう前置詞と同じ役割を果たす。「在家学英语」なら「家で英語を勉強する」という意味になる。


 しかし冷静に考えるとすごい言語である。英語でいうbeとingとin, atが「在」という全く同じ形のまま機能するのだ。「我在学校」を単語ごとに訳すなら「I in school」とか「I ing school」みたいなものである。こんな文は英語では存在しえない。


 「上 shang4」も似たような感じで、「上がる」とか「のぼる」という实词、つまり動詞になるときもあれば、虚词になって「~の上で」という意味で使うときもある。これは「下 xia4」についても同じことが言える。「在」とセットになって「在~下」になれば「~の下で」とか「~によって」という意味になる。

 さっきの「很」も厄介だ。「很」は通常形容詞につくと言ったが、一部の動詞にもつくことができる。 「很」がつく動詞というのは状態を表す動詞で、「愛 ai4」とか「想 xiang3」とかいう類の動詞だ。「我想去日本 日本に行きたい」を「我很想去日本」と言えばとても行きたいという意味になる。

 これだけ見ると「很」は単独では使えないことが分かる。しかし「得」を前につけて「得很 de0hen3」にすると度合いが甚だしいことを表すことができる。「认真 ren4zhen1 まじめな」につけて「认真得很 ren4zhen1de0hen3 まじめな度合いが強い→とてもまじめだ」という感じで見た目形容詞のようになるが、この「很」は補語である。中国語を少しでも勉強したことがある人は「得は動詞+得+形容詞で○○する様子が××だという意味じゃなかったのか?」と混乱するかもしれないが、「得很」というのはそれはそれで別の単語なのだ。


 「跟着 gen1zhe0」という言い方も見た目少しおかしい。「跟 gen1」通常は英語でいう「and」とか「with」のような「~と」という意味で、「我跟你 わたしとあなた」という感じで前置詞ないし接続詞として使う。そして「着 zhe」は動詞の後ろについて「坐着讲 zuo4zhe0jiang3 坐って話す」というような「~しながら」という意味になる。

 しかしこの「着」はなんで「跟」についているのかというと、この「跟」は~について……するという動詞のような意味だからである。

 つまり「我跟着那位老师学过汉语」は「私はあの先生について中国語を勉強したことがある→私はあの先生に中国語を教わったことがある」という意味になるわけだ。

(ちなみに辞書を引いたら「红着脸说 顔を赤らめて言う」という例文が出てきた。「红 hong2」は形容詞である。なのになぜ後ろに「着」がつくのか調べてみたら、「红脸 hong2lian3 文字通り訳すなら赤い顔」は名詞ではなく「顔を赤らめる」という動詞なんだそうです……)


 このように、中国語ではある単語の品詞が何なのか判断するのは非常に難しい。中国語では単語の品詞とが文の構造に非常に依存しているので、西洋の言語や日本語のようにどれが何なのかはっきりさせられないのだ。というか「品詞」という概念も結局西洋由来の考え方なので、中国語にあてはめるのが間違いなのかもしれない。

 中国語文法は実に不思議である。

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